第七章 祖国

 澄み渡る青い空。そして、水平線のその先まで続く大草原。

 王都ブルラシアにほど近いここ中央平原は国内随一の美しさを誇っている。

 特に四季の違いは顕著に出て、春は花が舞い、夏は心地良い風に吹かれ、秋はコレッサの森付近に行くと色鮮やかな紅葉に彩られ、冬はこれ以上ないほどの白銀に包まれる。私はこの自然豊かな場所が好きだった。

 春は幼馴染だったミーナとお花遊びをして、夏は森の近くを流れる川で釣りを遊びをして、秋は丘の木に登って色鮮やかな絶景を眺め、冬は積りに積もった雪で王都近くの友達と雪遊びをした。

 本当に、私の幼少期は楽しくて、充実していて、そして、本当に。

 とんでもなく、不愉快なものだった。


 「ねえ、ケリ君」

 昨日大好きな本を読むために夜更かしをしていたため、お花の冠を作りながらうつらうつらしていた私に、ミーナは優しく囁いた。

 「ブフアッ!?」

 その囁きに非常な驚きを見せる私に、クミンは「ふふっ」とそっと微笑んだ。

 「な、なんかった?」

 「いいえ、何も」


 「ねえ、ミーナ」

 「なーに?」

 「ミーナってさ。何処に住んでいるんだっけ」

 「えー、前にも教えたでしょ?」

 「え、教えてくれたことってあったっけ」

 「『秘密』って」

 「それ教えてくれてないじゃん」

 「そうだね」

 「あ、認めた」

 「そうだよ、認めたよ。そうだねー、結構遠い場所かな」

 「そうなの?」

 「うん。馬車で大体15日程度かなー」

 「結構距離あるね。ということは東の方から来てるの?」

 「ひがしって、なに?」

 「東は東だよ。東西南北、方位のひとつだよ」

 「とうざいなんぼく……ほい?」

 またか。常識知らずなのか、ミーナは知らないことが多すぎる。そのクセ好奇心旺盛だから、毎回説明するのが面倒臭い。

 「いいか? 方位っていうのは」

 面倒臭い説明を始めようとしたその時、少し遠くから「おーい」という声が聞こえた。

 「あ、お父さーん! ケリ君ごめんね! もう時間みたい」

 ミーナはさっさと身支度を済ませて、去り際に「スッ」私のおでこにキスをした。

 「また……会えるといいね」


 この日を最期にして、ミーナは一度たりとも私の前に姿を表せることは無かった。

その後私は軍に出征し能力を認められ、軍部大臣という名誉な役職に就くに至ったが、この数十年間、胸の奥に刺さった淡い鋭利なナイフは一度も抜けた試しが無い。

普段はなんとか鎮痛出来ているものの、この場所を通る度に少し胸が痛む。

 「大臣、よろしいでしょうか」

 「ミンサか、よろしい」

 「はい」

 そう言うと、ミンサは天幕の仕切りを捲り上げて、中に入ってきた。

 「状況はどうだ」

 「はい、滞り無く。斥候からの報告ですが、やはり敵も中央都市を包囲するようです」

 「そうか。自軍は気付いているのか?」

 「いいえ、可能性は低いかと。敵も隠密行動を徹底しているようですので」

 「そうか、それでは敵が自軍へ突っ込むのと同時にこちらも仕掛けるぞ。しかし敵に食いつかせるつもりは無い、一気に畳みかけるぞ」

 「それまでは隠密行動を徹底するように!」


 「ねえ、お母さん」

 「なーに?」

 「お父さん、何処に行っちゃったの?」

 「お父さんはね、私たちを守るために、必死に戦ってるのよ」

 「そうなの?」

 「そうよ」

 「いつ、お父さんに会えるの?」

 「そうねえ。いつになるのかしらね」

 母の膝枕に身を委ねがら、この時の私は能天気にもまだ父が生きている前提で、母と会話していた。ちょうどこの時、王国軍との戦いで父が数本の矢に射抜かれ、絶命していたというのに。

 父の訃報を聞いた母は狂乱し、酒に溺れ、ただひたすら堕ちていった。そうなると最早頼り身の無かった私は、裏の世界へ足を踏み入れるしか道は無かった。母の行きつけの酒場が裏社会への入り口だったらしく、マスターに見込まれた俺は毎日酒場裏の薄汚い路地に向かい、クライアントに会って、今日の仕事内容を聞く。そしてクライアントに言われたように要人の屋敷に忍びこみ、殺し、強盗と思わせる意味も含めて金品を掻っ攫う。

 半端とは言え、元々父から軍人になるための英才教育を受けていた私は、小さい体でそつなくこなし、なんとか食い繋いでいった。しかし、やはりどうしても父のようになりたかった私は……。


 「おい、仕事だ」

 「やっとか。もうお払い箱にされたのかと思ったよ」

 「まあ、お払い箱にした……とも言えなくはないな」

 「……え?」

 「黒いシルクハットに白いリボン、ボンボンのような紳士さんだ」

 「……分かった。命の保証はしてくれるんだろうな?」

 「勿論だ、元々そんな契約だったからな。ただ、自分で死ぬのは例外だ」

 「え?」

 「分かったらとっとと行け」

 俺はマスターに言われるがまま裏路地へ向かおうとすると、「待て」と俺の歩みを止めた。

 「今度コリンズ・フィールドへでも墓参りに行け」

 「……へ?」

 コリンズ・フィールドというと、父が眠る戦死者用の墓地だ。しかし、何故……。

 詳しく話を聞こうと声をかけようとするが、マスターは入り口側のテーブル席へオーダーを取りに行ってしまった。俺はクライアントを待たせまいと、一人裏口へ出た。


 「やあ、初めまして。君がゴリウム・ミリー君かな?」

 路地へ出てすぐ、目の前のところに特徴が一致する大男が立っていた。その大男は、何処かわざとらしくフラついている。

 「そうです。……それに、どうやらただのご依頼ではなさそうですね」

 「ほお、何故そう思う?」

 「馬鹿にしないで下さい。下に着てるの、軍服ですよね? それもかなり高級の。それと腕章を見た感じ、将軍級ですね」

 「ほお、いい推理だ。しかし、この軍服が盗まれたものだという可能性はないのかね?」

 「盗む必要が何処にあるんですか? 隠しているつもりでしょうが、分かりますよ。いくら隠そうとしても隠し切れないほどの、筋肉質な身体をしていると」

 「ふむ、少しヒントを与えすぎたか。しかしそれでもよく見破ったな」

 「いいえ、ヒントとしては丁度良かったです。しかし無駄な動きが抜かれ過ぎていたので、少しの動きでも各部に伝播する。それでより確信が持てました」

 「ほお、通りで手首や足首、そして首元ばかり見ていたわけだ。今後は肌の露出部を無くすとしよう。さすがは、イケイル将軍閣下の御子息だ」

 「……え?」

 ゴリウム・フォン・イケイル。俺たちを置いて戦死していった父の名だ。

 「……詳しいお話を聞かせて頂いてよろしいでしょうか?」

 「そう殺気立たせるな。それとも、この人数を相手に出来るとも?」

 大男が「パチンッ」と指を鳴らすと、何処からとも無く数人の男達が現れた。

 「言っておくが、人数だけではないぞ? お前のお父さんが手塩に掛けて育てたやつらだ、勿論俺を含めてな」

 「……分かった、何処へでも連れて行け」

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