1-11 現場
◆
僕の右手の先で水の流れが渦巻く。
一方、左手の周囲では赤々とした炎が渦を巻いている。
集中を維持して、門を開いたまま、焦点を固定し、虚質を引用し、安定化させ、それぞれの別世界における本来の形のままに制御していく。
「意外に早くできるようになったね」
ヴァーミリオン事務所の外のベンチに腰掛けて、ハンはのんびりとタバコを吸っている。
僕にはそれを横目に見る余裕があった。
トントンとハンが灰皿にタバコをぶつけると、灰が散った。
「オーケー。では、魔法と魔法がぶつかった時の衝撃を体感してみよう。火と水を接触させて」
はい、と返事をして、僕は両手を軽く動かし、魔法による水と魔法による火をぶつけた。
水が一瞬で沸騰、蒸発、爆発となる。
身構えて衝撃に耐えようとしたけど、実際にはそれはできなかった。
頭の奥で針でも通されたような鋭い痛みが走り、小さく声が漏れていた。しかし痛みの元は手だ。一瞬で指先から肩、さらに首から頭まで電気が走った感覚。
結局、吹き付ける湿った熱風に押されて、僕は尻餅をついている。
全身がびしょ濡れになっているし、魔法は火も水も消滅している。門は閉じてしまい、完全に相殺されたようだ。
体を濡らした水が不自然に消えていく不快感の中で、僕は咳き込んだ。水気は消えても、体に受けた衝撃は消えない。
「魔法使いは、常に今のようなフィードバックを想定する」
タバコをくわえたまま、ハンがこちらへ来て手を差し伸べてくれる。
ありがとうございます、と僕は彼の手を取って立ち上がった。
説明は続く。
「魔法を無力化される衝撃は、あまり馬鹿にはできない。ただ、無力化されない魔法もない。魔法というのは、別世界のものを無理矢理にこの世界に引きずり出しているのだから、決定的に不自然だ。魔法とその反動は切っても切り離せない」
「でも、これじゃあ、不便です」
「その通り。だから魔法使いはそれぞれの方法で魔法が破れた時に影響を受けないようにする。影響を逃がす余地を作ったり、影響そのものを自分とは別のものに転化させるね」
立ち上がった僕はまだ使っているおもちゃを握り直す。
ハンは、繰り返してやっていこう、とゆるりとした表情をしている。
それから二度、同じことを繰り返した。反動がどういう形で発生し、僕を打ち据えるか、少しずつ分かってきた。ハンが言うには、衝撃の流れを理解できれば、それを分散することもできるとのことだ。他にも彼はいくつかのアドバイスをくれた。
でもこの日は、もっと別のことがあった。
十五時を過ぎた頃、事務所の中で仕事をしていた詩歌が足早に外に表に出てきた。
「所長、クージ街で強盗事件です」
「あ、そう。うちに依頼が来たの?」
「まさか。警察からの要請で、極短期入札が行われて、うちが権利を得ました」
「そうやって自分たちを安売りするのはよくないよ、詩歌ちゃん」
「安売りしなくては収入がなく、事務所は倒産します」
その通りだね、正論だ。ハンがなんでもないように頷く。
結局、僕はハンが運転する自動車で、詩歌は自分の大型二輪で現場のクージ街へ向かった。
トキオの中心部からはやや離れているが、店舗の多い一角だ。
警察が周囲を取り囲み、それを野次馬が取り囲んでいるが、その野次馬の数は少ない。トキオではこの程度のことは日常茶飯事なんだろう。そうでなければ都市の人間は極端に他人の行動や事情に無関心かだ。
規制線に立つ制服警官に身分証を見せて、三人で中に入る。
武装警察が取り囲んでいるのは、宝飾品店だったが、建物に乗用車が一台、半ば突っ込んでいる。外に面しているガラスの壁が粉砕されて、周囲に破片となって飛び散っていた。
「豪快な強盗もいたものだ」
感想らしい言葉をハンが漏らす。
警察の指揮官が来て、どうやら魔法使いだ、と情報を伝えてくる。
「発生から既に十二分が過ぎている。こちらからの呼びかけに反応はなし。おそらく人質が三名。店員が一人、逃げ遅れた客が二人。魔法による探査では命に別条はない」
「強盗の人数をまず教えてくれよ」
「全部で三名。どの程度の危険度かは不明」
淡々と話す警官は武装しているが、魔法使いではないらしい。魔法刀剣を帯びていないからだ。
他の警官は事件現場より、こちらを睨んでいる。
しかし、彼らの魔法使いに対する感情は、なんだろう。嫌悪だろうか。とにかく、あまり親しげではない。指揮官のハンとのやり取りも事務的な口調に終始している。
ハンも詩歌も警察の援護で来ているのに。
余所者が警察の仕事に首を突っ込み、稼いでいくのが不快なのだろうか。
ハンがタバコの箱をポケットから取り出し、一本、くわえる。
街頭での喫煙は禁止だ、と警官は言おうとしたようだ。
しかしそれより先に現場で変化が起きた。
何かが地面を転がり、白煙が吹き上がった。煙幕だ。
「下がった方が良いね」
言うなりハンが後退し始める。警官たちは判断がつきかねたようだ。
ずっと微かにしていた乗用車の内燃機関の駆動音が大きくなる。
下がれ! と警官が叫んだ時、濃密な白い煙を突き破った乗用車がバックでこちらへ向かってくる。警官たちが悲鳴をあげ左右に身を投げる。
僕も逃げようとしたが、ハンが動こうとしない、詩歌も動こうとしないので、思い止まった。
不意にすっと詩歌が前に進み出ると、ぐっと腰を落とした。
「これが一流の魔法使いだよ、義照くん」
ハンの言葉は落ち着きすぎている。
自動車は減速することなく突っ込んできた。
その前には詩歌が平然と待ち構えている。
はねられる。いや、轢かれる。
そう思った時には乗用車は後ろ向きに詩歌に接触し。
詩歌の足が滑り。
靴底の強化ゴムが焦げる異様な臭いが漂い。
鈍い音が周囲を吹き抜ける。
一瞬で数メートルを後退した詩歌の背中は、僕とハンの目と鼻の先にあった。
詩歌が上体の力で乗用車を押し返す。まるで重さなどないかのように自動車は横転し、天地逆さまになった車の車輪がぐるぐると空転した。
び、びっくりした……。
人間にできることじゃない。
「まぁ、あれが前衛の魔法使いのデタラメなところだね」
タバコを揺らしながらハンが評価している前で、武装強盗が車から這い出てくる。
三人全員の手に魔法刀剣があった。
ただし、その姿勢や視線の配り方、表情を見れば、完全に心が挫けているとわかる。
詩歌が太ももの鞘から魔法短剣を抜く。
神威ルーロンという銘が与えられた進行型置換刀剣が、詩歌の魔法を即座に増幅し、補助していく。
詩歌の鍛えられたしなやかな肢体が別世界の物質で作られた鎧で覆われていく。
ついに短剣さえもがこの世のものではない長剣と化す。
詩歌が突撃を開始し、武装強盗は無謀な戦闘の口火を切った。
(続く)
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