1-9 三大要素

      ◆


 オーケー。

 僕はハンの言葉を聞きながら、神経を集中する。

「復習するよ。まずは門を設定する。そのために、別世界、別世界線へ接続する必要がある。まずマクロな視点で、広い世界線の分岐を把握するんだ。今から過去へ遡っていく」

 僕の意識が瞬間、肉体を離れる。

 魔法使い独特の、時間を無視した幽体離脱。

 視野いっぱいに光の粒。

 今まさに分岐するこの世界。

 かつて分岐した世界の残滓もここにはある。

 星空のように見える光景の中を僕の意識が進む。

 一点を選ぶ。

 ここと大差ない世界。

 今いる世界とは違うけど、比較的、似ている世界。すぐそばだ。

「門を開く点を決めることを「焦点化」という。できた?」

 顎を引くように頷く。

「じゃあ、そこに門を開く」

 僕の意志が焦点化によって選び出した別世界の一部に切れ目を開ける。

 そこから溢れ出すのは、この世界には存在しないもの、別世界の物質。

 世界同士の反発作用でこれは僕のいる世界には容易に割り込めない。

 ただ消えるだけの本流として、僕の門から溢れるのみ。

 この物質を、虚質、と呼ぶ。

「さて、解放した門から溢れ出るものを、「牽引」しよう。この世界へ導くんだ」

 僕の集中が、ある種のベクトルとなり、虚質をこの世界へ引き寄せ、固定しょうとする。

「正確に「制御」して、虚質を「安定化」させる。出来るかな?」

 僕の目の前に虚質が形を得始める。

 それは別世界のあり方を取り戻し、安定化され、本来の形でこの世界に顕現する。

 小さな雫。

 それが大きくなる。

 僕が呼び出したのはただの水だった。

 しかしこの水はこの世界の水ではない。別世界の水だ。

 そしてこの別世界の水がこの世界で従うのは、その魔法を発動した僕だった。

 宙に固定する。物理的な安定のために回転させている水の球体は、あっという間に人の上体ほどの大きさになった。

 僕はいつの間にか目を開けていて、その水の塊を凝視している。

「よし、最低限はできてきたね」

 恐る恐る水の球から視線を外す。

 集中を維持して、魔法を継続。

「では義照くん、その水の形状を変えてみよう。魔法は別世界の物質や存在を呼び出すのが基本だけど、それを自在に操るのが本分だ。これじゃあ、ちょっとした手品と変わらないし」

 場所はヴァーミリオン事務所の前の道路で、あまりにも辺鄙な場所にあるので人気は常に少ない。たまに外国人がウロウロしているくらいだ。この外国人はハンから言わせれば「善良な移民者」で、市郎太に言わせると「自由人」となる。

 何はともあれ、ここで水をぶちまけても大きな影響はない。それにどうせ消えるのだ。

 虚空に浮かび続ける水に働きかける。

 右手では例のおもちゃの剣を僕は握っている。

 左右の手を実際に動かして、球体を棒状に変えていく。

 棒と呼べる長さではなくなり、帯という方がふさわしい長さになった。

「いいね。じゃあ、縦横に走らせようか。まだ手品の段階だ」

 左右の手を同じ方向に動かす。帯が宙を泳ぎ始める。

 何か、妖怪でこういうものがいたような気がするな、という程度ののんびりした動きで、漂う。

 それなのに、今にも御せなくなりそうなほど、高い集中の継続が求められる。

「帯の端と端を合わせて、輪っかにしよう」

 ハンは容赦ない。

 でもこれは訓練だ。実戦ではこんなのんびりしたことをする余地はどこにもないのは自明だ。

 左右の手を動かして、水の長い長い帯の両端を接続。

 輪として認識し、動かし続ける。

 それが限界だった。

 帯としての認識と、輪としての認識の食い違いが起こり、一部が破綻し、そこから一気に全体の輪郭が崩壊する。

 大量の水が地面に落ち、一瞬の豪雨となった。

 僕はずぶ濡れになりながら、しかし息を整えるのに必死だった。

「まぁ、初めて二十日でこれなら、望みはあるよ」

 のんびりしているハンの方を見ると、彼はのんびりとタバコを吸っていた。

 彼は少しも濡れていない。それどころか彼の周囲だけ円形にアスファルトが乾いている。

 魔法を行使したんだ。

 僕はまったく気づかなかった。ハンは今、素手だ。ハンが魔法刀剣を持っているところはこれまで、見たことがなかった。

 僕でも気づいたことは、このどこかとぼけたような人物は、詩歌や市郎太が一目も二目も置く、一流の使い手だということだ。

「いいかい、義照くん。今、きみがやっていることを魔法使い、これは魔法技師もだけど、とにかく僕たちはほとんど無意識にやる。いちいち、別の世界線を探したり辿ったりはしない。即座に何が必要か判断し、焦点化する。この才能のことを、「適性」というんだ。この適性の有無は、魔法使いにおける基礎の三要素の一つ、大きな要素だ」

 タバコをくわえたまま、ハンが話す。

「この門を開く世界座標を認識する力量が、異世界を切り取る力である「門」、門から魔法を呼び出す「力」、この二つと並ぶ三つの大要素。僕の観測だと、適性のない人間は、門と力があっても魔法使いとしては大抵は二流だね。もちろん、圧倒的な門や力のセンスで他を圧倒する変わり種もいるけど」

「所長は、どういうタイプですか?」

 思わず問いを向けると、ハンはちょっと笑ってタバコを咥え直した。

「よくいるタイプだよ」

 どうやら秘密ということらしい。

「さあ、義照くん。今やったことを繰り返そう。時間は有限だ。もう服も乾いただろう?」

 実際、僕の服も、地面も乾いていた。

 魔法で呼び出した物質は、魔法使いの制御を離れれば、この世界では異物であり、自然と消滅してしまうのは絶対だ。僕の服が濡れたこともなかったことになる。

 僕は呼吸を整え、右手のおもちゃを握り直した。

 光が視界で弾ける。

 僕の意志が疾る。

 早く、遠くへ。

 ここではないどこかへ。

 僕は世界を越えていく。

 別世界へと踏み込んでいく。

 集中。

 時間が長く長く引き伸ばされ、遅く遅く、置き去りにされていく。

 光が、走る。



(続く)

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