1-6 基礎の基礎
◆
さて、と詩歌が僕の前に浮かび上がる立体映像を指差す。
「世に言う「魔法」というのは、別世界の物質や存在をこの世界へ呼び出すことだっていうのはわかるわね?」
僕は無言で頷く。
「この別世界というのは、この世界が誕生して以来の、全ての分岐した世界、あったかもしれない世界、のことよ。実際にはあったかもしれない、ではなく、今もあることにはあるけど、認識するのは極端に困難な世界ってこと」
立体映像には無数に枝分かれする線が浮かぶ。
「一般人には認識できないけど、魔法使いには別世界が認識ができる。魔法使いの扱う魔法には、基礎的要素が三つあるの。それは、門、適性、力、この三つ」
立体映像が切り替わり、テキストが浮かぶ。
「門は、魔法使いが別世界から何かしらを引っ張り出す時の、世界と世界を結ぶ穴のこと。適性は、門を設定できる別世界の得手不得手のこと。力というのはどれだけの別世界の存在をこの世界へ呼び出せるか、という力量こと。オーケー?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、実際にやってみせよう」
場所はヴァーミリオン事務所の表だった。
例のベンチに寝そべっているハンがいて、その前で僕と詩歌が立っている以外は、通りは無人である。
離れたところで詩歌が腰から短剣を抜く。
「まず、門を開く」
と言っても、空間を切ったりはしなかった。
ただ彼女の短剣の先がかすかに揺らいだだけだ。
「今、時空のゆらめきが視認できたと思うけど、この短剣の先でこの世界と別世界が極端に近くなっているわけ。じゃ、そこから物体を引っ張り出す」
やっぱり詩歌は剣を動かさなかった。
何もない空間に小さな粒が生まれ、何かと思うと氷らしい。
と見えた次には、氷の粒を中心に、巨大な雪の結晶のようなものが構成されていく。
人の上半身ほどある結晶があっという間に出来上がった。周囲がいつの間にか春とは思えない涼しさ、むしろ寒さに包まれている。
「これは極寒の別世界から引っ張ってきた雪の結晶。遊びだから結晶なんて作っているけど、魔法使いが戦闘を行うときには、極低温による氷凍系の魔法として使うことになる」
言いながら、わずかに剣を引き、突き出されたときには結晶は中心を打たれてバラバラに砕けた。
砕けると、細かな氷の破片が、次々と輝く塵になって消えていく、幻想的な光景が展開された。
「魔法で呼び出された別世界の存在は、本来的には魔法使いの力がなくなればこの世界で存在を維持できない。だからこうして消えていってしまう。逆説的に言えば、魔法使いを攻略するには、その魔法の進行を中断させるという手が使える。あなたにはまだ早いけどね」
ついに氷の結晶は全てが消えて、しかし地面のアスファルトには染みひとつなかった。
水になったわけではなく、本当に存在が消えたのである。
「これが本当に基礎の基礎。魔法学校に入っていれば、十六歳の最初の授業で学ぶことよ」
僕が何も言えないでいると、「ま、後から追いつけないわけでもない」と詩歌が言ってくれる。お礼を言おうとしたけどそれより前に詩歌が耳に指を持って行き、一人で話し始めた。
どうやらもう一人の所員の神崎さんが応援を求めているらしい。
詩歌がハンの方を見て、そのハンは頬杖をついたまま頷き返した。
「悪いけど、義照、今回はここまで。私は仕事に行くから」
「はい、すみません、邪魔しちゃって」
詩歌は雑に頷くと、さっさと自分の大型二輪の方へ歩き出した。
その後ろ姿には、眩しいものがある。
僕もいつか、魔法使いとして彼女のようになれるだろうか。
「義照くん。ちょっとこれを持ってごらん」
声の方を見ると、ハンが片手におもちゃの剣を持っていた。
そう、簡易的に魔法で遊べる、子供用のおもちゃだ。
「ほら」
放り投げられたそれを反射的に手に取り、ハンの方をうかがう。
「これでどうすればいいんですか?」
「門を開く練習にはなる」
「おもちゃですよ。魔法の初歩の応用で光を撒き散らすような」
ニタっとハンが笑う。
「違法改造してある。門は開くはずだ」
違法改造……。
僕は両手ておもちゃの剣の柄を握った。
「まずはここではない世界を探すんだ」
導くようなハンの声。
ここではない世界……。
不意に意識が手元に吸い寄せられ、頭の中に何かが瞬き始める。水に覆われた世界。樹木が支配する世界。砂漠だけの世界。
「どれでもいい。その世界と自分のいる世界の間にある見えない壁に、穴をイメージする」
遠くからの声を聞きながら、穴、を想像した。目の前の光景に切れ目が入り、光景そのものがその切れ目に落ち込んでいく。
落ち込むものを手元で受け止めようとした時、唐突に二つの世界が繋がった感触があった。
わっ、とハンが声を漏らす。
僕も危うく声が漏れそうだった。
おもちゃの剣の切っ先から怒涛の勢いで砂が溢れ出す。黄色がかった砂がとめどなく流れて、周囲を埋めていく。
混乱した僕がおもちゃの剣を手放すと、砂の放出は唐突に停止し、次には周囲の大量の砂も塵へ帰り始める。
「なんで、砂?」
ハンが呆れたように言いながら、乱れた姿勢を整え、今度こそベンチに座り直した。
彼が咳払いをして、こちらを真っ直ぐに見る。
「実はね、義照くん」
「は、はい、なんですか。砂なら、後で、片付けておきます」
「砂はどうでもいい。勝手にすぐ消えるよ。それよりね、実は僕は正直、きみには何の見込みもないと思っていた」
ゆっくりとハンが立ち上がり、砂を踏んで、そこから立ち登る光を押しのけて、僕の前まで来る。
何か、不吉なのは気のせいだろうか。
彼が口元に笑みを浮かべて、そうしてポンと肩を叩いた。
「意外に面白いところがあるな、きみは。魔法の指導は僕がすることに決めた。詩歌ちゃんには戦闘術、格闘術を教わりなさい」
はい、としか言えなかった。
認められたんだろうか。それともただの興味本位か。
僕は周囲に未だ残る、消える定めの砂の山を見た。
この砂は僕が魔法で呼び出しのか。
僕が魔法を使ったなんて、実際に目の当たりにしても信じられなかった。
(続く)
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