1-4 相談と押し付け合い
◆
建物の表に出て、どうするのかと思ったら、そこにある古びたベンチに腰掛けると、男性はおもむろに煙草を取り出してマッチで火をつけた。
「ここ、禁煙じゃないんですか?」
余計なお世話というか、無礼だとさすがに思ったけど、聞かずにはいられなかった。今時、都市部は路上喫煙は全面的に禁止なのだ。
男性は口元を綻ばせる。
「今時、禁煙じゃない場所なんてないよ」
「で、ですよね……」
「タバコは良い。思考が整理される、錯覚がある」
錯覚なのか……。
フゥっと紫煙を吐き出し、男性がもう一度、こちらを見る。
「僕の名前は、ハン・ヴァーミリオン。きみは?」
その問いかけで、さすがに僕にも緊張が戻ってきた。
「僕は、相坂義照と言います」
「年齢は? 大学生? 高校生?」
「高校を先月、卒業しました。十八歳です」
「どこの大学に入ったの? 専門学校? 就職?」
答えづらい質問だけど、これもいずれは向けられるのは必然と覚悟していた問いかけの一つだ。当然、答えも用意されている。
「大学には入りませんでした。トキオで、魔法使いになりたいんです」
へえ、という返事の後、それに続く言葉はなかなかなかった。
ゆっくりとタバコを吸い、煙を吐き出し、ふーん、とハンが声にする。
「出身は? 地方でしょ?」
「カヅラ県です」
「遠いな。両親はどういうつもりで、君を送り出したんだい? もしかして、家出してきたのか? もしかしなくても、親に無断でやってきた?」
はい、と短く答える。
きっとこれから叱られて、故郷へ帰ることを勧められるだろう。
でも僕としては、そんなわけにはいかない。
何があっても、この都市で生きていきたい。
すぐには無理でも、いずれ、魔法使いとして勉強したい。この魔法使いの都市で。
最初は何でもない警備員でも。
僕が悲壮な思いを再確認している前を、タバコの煙が漂う。
困ったなぁ、とたいして困っていないのんびりした口調で言って、そばにあった灰皿にハンが吸い殻を投げ捨てる。
その視線がレンズ越しに僕を見やる。
「僕としては、きみを親元へ帰す義務がある。義務じゃないか。しかし、それがまともな大人のやることだ。志は立派でも、十八歳で、おそらく定職もなければ住む場所もなく、経済的余裕も頼れる人脈もないんじゃ、この街では死ぬしかない」
でも、と反論が口から溢れそうになった。
しかし僕が言う前に、「でも」とハンの方が言った。
「もし何か、見るべきものがあるのなら、手助けはできるかもしれない」
「見るべきもの、ですか」
咄嗟に確認していたが、ハンは微笑みながら「詩歌ちゃんが知っているさ」と答えると、ゆったりとタバコの箱を改めて取り出し、二本目を口にくわえた。マッチで火をつけ、フゥっと斜め上に煙を吐き出す。
「春だねぇ」
ハンの弛緩しきった声にどう答えるべきか、僕にはわからなかった。
今、自分がどういう立場なのか、さっぱりわからない。
少し待っていると大型二輪の駆動音が聞こえ、建物の前へ詩歌の乗った大型二輪が滑り込んでくるのを僕とハンで迎えることになった。
もちろん、日がだいぶ低い位置に来ている。僕とハンはずっとぼんやりしていたのだった。無意味な時間だ。
「どうなりました?」
身軽に地面に降りた詩歌の言葉に、ハンが答える。
「どうもなっていないよ。タバコを吸っていただけ。詩歌ちゃんを待っていた」
「そうですか」
「きみ、彼の何かを見たんじゃないの?」
ハンの言葉には、今までにない鋭さが見えた気がした。
詩歌がサングラスを外し、美貌の目元に不満そうな感情が見えた。
「実は、ほんのちょっとだけですけど、見ました」
「何を?」
「この少年が、魔法警察の持っていた魔法刀剣を手に取ったんです」
ハンの手元で、タバコが揺れた。
「手に取って、どうなった?」
「一瞬、魔法が発動する兆候が見えました」
うーん、と言葉にしながら、ハンが手元でタバコを揺らす。
「ありえないことだと思うけど、詩歌ちゃんが嘘を言う理由がない。それでも信じられないけど、今の話はどういうことかな」
私にもわかりませんね、と詩歌が肩をすくめる。
そいつはまた、などと言いながら、ハンはタバコを口元に運んでいる。
しばらく三人ともが無言だった。というか、僕が口を挟める要素はない。
「どうもこの少年は、家出少年らしいよ」
ハンがそう発言すると、ありそうなことです、と詩歌が気楽に応じる。
「こんな素朴な服装の少年は、トキオにはなかなかいませんからね」
詩歌の冗談にハンは笑えても、僕は笑えない。着飾ってきたわけじゃないけど、トキオの街に馴染めるつもりではいたのだ。
「詩歌ちゃん、この少年を僕にどうして欲しいわけ?」
「ちょっとだけ、本当にかすかに、才能があるかもしれないし、ないかもしれないし、あったらいいなぁ、と思う一方で、そんな望みは捨てた方がいいように思ってます」
ものすごい曖昧な表現だ……。
「つまり拾えってこと?」
まるで捨て犬か捨て猫を拾うかどうかの相談だった。
しばらくハンと詩歌が無意味としか思えないやりとりを続けたけど、どうやらそれは駆け引きだったららしく、最後にはハンが音を上げた。
「もう良いよ。うちで適当に雇うとしよう。正社員は無理だし、アルバイトということで。それも事務員としてだけど」
僕はその言葉を聞いて、真っ直ぐに直立した。
「よろしくお願いします!」
元気でよろしい、とハンが笑い、詩歌はちょっと不愉快そうにしていた。僕が調子のいい奴に見えたんだろう。
構うものか。想定外の幸運なのだ、逃がす理由がない。
ハンはまだぼんやりしていた。
「元気も大事だけど、もし能力がないとわかったら、本当に事務仕事を勉強してもらうよ」
「はい!」
やれやれとばかりに詩歌が首を振ったところで、すかさずハンが言った。
「教育はきみに任せるよ、詩歌ちゃん。自分が拾った人間の世話は自分でしなさい」
詩歌は怒るでもなく、即座にやり返した。
「では、所長が彼の住まいの面倒を見てあげてください。アルバイトの収入で生活できるような環境はそうそうないですけど」
もうハンは恨めしそう顔をしたけど、何も言わなかった。
(続く)
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