第13話
ヨシヤは息を呑む。
ドアの前で息を整え、営業として先輩に連れられた時はどうしていたっけななんて記憶の片隅を掘り起こしてみたものの、叱られた思い出しか出てこなかった。
弱々しく、ドアを叩く。
下手したら風の音かと思われるくらい弱っちい音がしたとヨシヤ自身でも思ったが、それ以上強くできなかったのだ。
「はい?」
しかしノックの音はきちんと中に伝わっていたようだ。
出てきたのは、眼鏡をかけた痩身の男性だった。人の良さそうな顔をしていて、ヨシヤはほっとした。
これでコワモテの熊みたいな大男が出てきたら泣いてしまう自信があったからだ。
「あの、初めまして……わたくし、行商人をしておりますヨシヤと言いまして……。こちらに、学者さんがいらっしゃると聞いて、その、面白い話など伺えないかと思って参りまして……お時間をいただけたらと、その……」
「ああ、行商人の……先ほど来られておいででしたね! うちも見に行きたかったんですが」
「で、でしたらこちらでまだ果物などありますよ。奥様にいかがです?」
「本当に! それはありがたいなあ。どうぞ、中へお入りください」
いい人だ、良かった……!
そう感激するヨシヤをよそに、その男性も嬉しそうだ。
「マーサ、行商人の方が尋ねてこられたけど果物なら食べられそうかい?」
「あら……すみません、こんな格好で……」
「いえいえ。どうぞそのまま」
小屋と言ってもいいくらいの小さなその建物は、部屋らしい部屋もなく棚とベッドが二つ並んで、台所があってとワンルームだった。
どうやらトイレは共同トイレらしく、外にあるらしい。
水源は村の中央にある井戸だ。
夫妻の名前はそれぞれ、夫がリチャード、妻がマーサ。
村人達が言っていたようにもう少し大きな町で学者として生活していたらしいが、マーサが妊娠してから体調が悪化する一途であり、医者に診せたところ空気が悪いせいじゃないかということだったのでこちらに越してきたとの話だった。
「まあぼくは研究さえできれば、ある程度お金には困りませんし……なにより妻と子供の健康には変えられません。不便は多いですが、この村の方々は大変優しいし幸せなんですよ」
「そうですねえ、うちの妻もあまり体が強い方ではなくて、よくわかりますとも」
「わかってくださいますかー!」
男同士はあっさりと気が合った。
気弱で妻が大好きって辺りがよく似ていたのかもしれない。
そんなリチャードのあっけらかんとした態度にマーサの方は困ったような、申し訳ないような顔をしていたが……ヨシヤはそんな彼女の上のメーターがやはり気になった。
見つけた後、ハナに聞いてみた感じではこうだ。
『あくまで私はヨシヤさんに眷属としての能力を与えたことになっているけれど、それがどんな形で発現されたかはヨシヤさん自身に影響されているはずよ。メーターがあって、二つの数値を示しているなら、そのマークがなんなのかを考えるべきね』
(だとしたら……)
今、この夫妻と話してわかったこと。
おそらく満タンに近いゲージのハートマークは、夫婦仲だ。羨むほどの夫婦仲!
しかし、人魂マーク。
これはきっと、胎児に関係しているはずである。
ヨシヤはジャングルの果物をいくつか説明しつつ出しながら、マーサの方へと視線を向けた。
顔色はあまり優れない。
(俺には妊娠についてよくわかんないけど……)
命に関わることがあるという事実はヨシヤも知っている。
女性の同僚達から生理が人それぞれの痛みなように、悪阻も人それぞれだとかちょっと男の身では気恥ずかしい話も耳にした。
まあハナが辛い時にはどうしたらいいのか、そんな彼女たちの話のおかげで対処がいくつもできたから感謝もしているが、もう少し男の気持ちも考えてほしかったと今でも思っている。
怖くて口にはできないけれど。
(でも俺、今は
眷属レベル1。
大したことはできないはずではあるが、普通の人にはできないなにかができるはず。
そっとヨシヤは、自分のてのひらに視線を落とす。
脳裏に浮かぶのはあっちゃんが、まだ名もない働き蟻で死にかけていた姿、契約完了をした途端ちょっと姿が変わって蜂を倒した雄々しい……っていうか結構禍々しかったなアレ……とちょっぴりゾッとしつつ、最後にはいつだってヨシヤを温かく出迎えてくれる愛妻ハナの笑顔。
(そうだよ、信者云々よりも、ハナならきっと……お腹の中の赤ちゃんも、その赤ちゃんを心待ちにしているこの二人のことも、力になってあげたいって思うよな)
優しい妻のことは、夫である自分がよく知っている。
そうヨシヤは気持ちも新たにぐっと手を握り、ごそごそとバッグから小さな石を取り出した。
蟻たちが散歩の帰りに持ってきてくれたもので、きらきらして綺麗だったので夫婦でテントに飾っていたオブジェである。
一応ハナのガイドブックに寄ればブラックパールの原石らしく、蟻たちの協力もあって綺麗な輝きを見せてくれている。
そう、彼は――これをご神体にして、信仰を広めようと決めたのだ!
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