死にかけガールと花

しがない

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 死にかけガールが死んだ。あるいは、死んでしまった以上死んだガールと呼ぶのが正しいのかもしれないけれど、僕の中での死にかけガールはずっと死にかけのままなので、やっぱり死にかけガールと呼ぼうと思う。


 死にかけガールは国が指定している重たい病気に罹っていた。身体が段々と花に変わっていく病気だった。一日に何回か花を嘔吐して、それをかき集めた花束を僕は何回か貰った。血のように真っ赤な花束のこともあったし、天使の衣のように真っ白な花束のこともあった。夏にスイセンを貰ったこともあるし、冬にヒマワリを貰ったこともあった。彼女の体内において、季節は関係ないらしかった。


 死にかけガールは花が好きだった。同じ病気の人には自らの身体を蝕んでゆく花のことを嫌う人も多いらしいけれど、彼女は花を愛し続けた。この花はいつ頃咲くとか、この花の花言葉は何とか、色々教えてもらったはずなのに、もう殆どを忘れてしまった。ただ、その中でもアベリアの花言葉が謙虚だということは、やけに印象に残っていた。


 死にかけガールは滅多に病室から出られない。しかもその『滅多に』に漏れる例外というのは検査と手術だから、僕が彼女を見られる病室以外の場所はせいぜいが病院の廊下だった。花が好きなのに彼女が見ることの出来る花は病室に飾られる無機質なものばかりで、花の図鑑を眺めてはいつも悲しそうにしていた。病室の窓からは、灰色のビル群しか見えなかった。


 死にかけガールはダンスが好きだった。看護婦がいなくなった時間を見計らって無駄に広い病室を余すところなく使い、花びらのように踊った。二回ほど見つかってこっぴどく怒られたが、それでも懲りずに踊り続けた。彼女の花化が足から始まったのは、もしかしたらそういう理由なのかもしれなかった。


 死にかけガールは本が好きだった。ダザイだのアクタガワだの、常に小難しい本を読んでいた。自らが吐いた花を押し花にした栞を幾つも持っていて、本の内容によって使い分けていた。ただ、意図して使い分けていることは分かってもどう使い分けていたのかは分からなかった。僕も一つ、アネモネの栞を貰ったけれど、ダザイだのアクタガワだのには挟まず、彼女から貰った花図鑑に挟んだままだった。もしかしたら、彼女は本が好きだったのではなく、本を読むくらいしかすることがなかっただけなんじゃないかと思ったのは、確か葬式の帰り道だった。


 死にかけガールは足から花になっていった。正確に言うと左足の小指から徐々に足を蝕み、いつの間にか右足も花に、というかたちだった。躍ることが出来なくなるまではそう時間がかからなかった。それでもいつも気丈に笑っていたけれど、ある夜、病室に向かうと月明かりの下で縋るように枕に顔を埋めながら肩を震わせていた。僕は見なかったフリをして廊下を引き返し、病院の入り口にあった自動販売機で缶コーヒーを買って飲んだ。缶コーヒーの苦みは、無力な自分へ自罰的に飲むにはあまりにも甘ったるかった。


 死にかけガールは食べることが好きだった。体内で花を作る際に大量のカロリーを必要とするため、花蝕症患者である彼女は健康のためにむしろ多くの食事を摂らされた。どれだけ食べても太らないの羨ましいでしょ、と彼女は笑っていた。正直なことを言うと食に興味がある方ではなかったので大して羨ましくもなかったのだけれど、僕はいいなあ、と間延びした返事をした。


 死にかけガールはお洒落が好きだった。白い病衣だけではお洒落じゃないと言って、自分から出来た花でアクセサリーを作ってお洒落をしていた。花冠にブレスレット、首飾りに指輪といった多種多様で色とりどりの装飾は白い彼女の美しさとともに脆さも際立たせていて、いつも小さな抵抗感が褒めることを邪魔していた。果敢なさを尊いものだと言って評価することが、僕は好きじゃなかった。


 死にかけガールの脚は一夜のうちに鮮やかな色をした椿に変わった。目が覚め、それに気づいてあげた悲鳴を彼女は血と見間違えたからと言っていたが、そんなわけがないことは察しの悪い僕でも分かっていた。ただ、気の利いた言葉なんて持ち合わせていない僕はそっかと言って傍にいることしか出来なかった。吐き気のするほどに無力だった。


 死にかけガールは手先が器用だった。折り紙にしろ、編み物にしろ、縫物にしろ、細かい作業は一通り得意だったが、飽き性なのか特に何かを熱心に続けることはなかった。大体、そうして作られた物は病室にあるのも邪魔なので僕が持ち帰っていた。捨てても良いよと言われていたが、まさか捨てれるはずもなく、押し入れの中に仕舞い続けていた。


 死にかけガールは虫が苦手だった。閉じられた病室の中で虫が湧くことなどそうあることではないが、換気のために窓を開けているとたまに虫が入り込んでくることがあった。その場でそれに気づくなら換気した人間も一緒にいるのでひと騒ぎで済むのだが、飾ってある花に潜り込むなどして彼女がひとりの時に気づくと、虫を対処する者も彼女を落ち着ける者もいないせいでひどいパニックになった。しかも病院からすれば重病患者が騒ぎ出したということで緊急事態かと身構えることになり、虫の襲来は決まって台風の到来に似た被害を病院中に残していった。


 死にかけガールは文章を書くのが好きだった。小説が好きだからそれも当たり前なのかもしれないと思ったのは、僕が小説の良さも分からず、ろくな文章も書けない人間だからだった。ただ、彼女の書く文章というのは彼女が読んでいる所謂小説ではなく、手紙だった。誰かのために、個人的なことをつらつらと書くのが好きなんだと、彼女ははにかんで言っていた。その手紙たちに宛先はなかった。誰に向けたものでもなく、彼女は手紙を書いて、それをポストを模した箱に入れてしまっていた。何度か見せて欲しいと言ったけれど、私が死んだらね、と言って結局読ませてくれなかった。


 死にかけガールは雷が嫌いだった。雷が鳴ると大きなヘッドフォンを着けて布団に包まり、じっと過ぎ去るのを待っていた。この時に病室を訪れると彼女はこちらの来訪に気づかず、その状態の彼女に触れるとぎゃっ、という声をあげて驚いた。目を丸くした彼女も、驚かせたのが僕だと気づいて腹を立てる彼女も可愛くて、僕は雷の日が嫌いじゃなかった。


 死にかけガールの花化はじわりと滲むように進み続け、腹部まで進んだ。胃がなくなった以上これからは食事ではなく点滴で栄養を摂ることになると、食事好きの彼女は悲しんでいた。人間は腹部までなくなっても生きていられるのかと、僕は人間の生命力と現代医学に関心をした。


 死にかけガールは子供が好きだった。病院内にはまだ小学校も低学年ほどの花蝕症患者もいて、脚があった時は何度も面倒を見に行っていた。腹部がなくなってしばらくして、これじゃあ子供作れないねと彼女は呟いた。子供はうるさくて好きじゃないと僕は言った。


 死にかけガールは夏が好きだった。設備の整った病院内において季節の影響は殆どと言っていいほど受けないが、彼女は夏が好きなのだと度々言っていた。彼女が季節を感じられるのは病室の窓くらいで、春も夏も秋も冬も、僕からすると大した代り映えはないように思えていたが、毎日ずっと、嫌でも目に入ってくる彼女からすると決定的な違いがあって、それを比べて、夏が一番好きだと言っていた。その違いがどんなものかは結局僕には分からないままだった。


 死にかけガールは私、そろそろ死ぬよと言って笑った。そうなんだろうと僕は思った。今更泣いて喚いたところでどうにもならないから、染み込ませるようにその事実を受け取った。悲しいよと僕は言った。ありがとうと彼女は言った。


 死にかけガールが死んだ。死因は心臓が花になったことだった。葬式の時、彼女の母親から一部の遺品を受け取るとともに彼女の心臓だった花束を貰った。美しい、リンドウの花だった。家に帰った僕はそれを持っている一番立派な花瓶に入れて、リビングに飾った。


     *****


 死にかけガールのいた病室は既に片付けが済んでいて、寂しく虚しい空間になっていた。この病院は花蝕症患者のサナトリウムとして使われているので、きっともうすぐ次の患者が入るのだろう。その前に僕はどうしてもここを訪れたかった。


 開かれた窓は白いカーテンをたなびかせている。青い空が見えて、蝉の声が聞こえる。彼女が愛した、夏の窓だった。


 僕はベッドの傍に置いてある椅子に腰かける。この椅子に座るのも、もう最後になるんだろう。


 彼女が生きたベッドを眺める。常に死と隣り合わせで生き続けて、花になった彼女の影に触れたくてじっと待つけれど、白いシーツの上には何も現れはしなかった。


 花の匂いがする。幻ではない。どこかの花蝕症患者の、花の匂いなんだろう。


 僕にとってそれは死の匂いだった。彼女を常に蝕み続けた匂いだった。それでも嫌いになれないのは多分、彼女が花を愛していたからなんだと思う。


 ふと、ベッドの影に花が落ちていることに気がつき、拾う。淡い紫色をした、シオンの花だった。


 彼女以来この部屋にはまだ患者が入っていないはずだが、それでも掃除に来た看護婦が落とした可能性もある。けれど、僕にはそれが彼女の残した花だという不思議な確信があった。


 崩れないように、抱えるように持つ。花はいずれ枯れるが、それでも枯れるまでは大切にしたいから。


 風が凪いだ。カーテンの動きが止まった。


 彼女の声が聞こえた。あるはずもないのに、そんな気がした。

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