第4話 カフェ

 茶色のエプロンを着た青年が店のドアを開けて、驚きながら私の名前を問いかけるように呼んだ。私の名前は月樹と書いて「るな」と読む。初対面の人には高確率で読み方を聞かれるので面倒に思う時もある。でも、私はこの名前が結構、気に入っている。青年はなかなか返事をしない私に少しずつ近づいてきた。私は怖くなりフードを深くかぶり、下を向いた。私の目の前に来た青年はもう一度

「……月樹だよな?」

と不安そうに問いかけた。私は声がうまく出せなくて小さくうなずいた。

「……久しぶり。僕のこと覚えている?」

青年は覚えていてほしいと願うように聞いてきた。私は小さくうなずいた後

「久しぶり……桂」

と下を向きながら小さく返事をした。桂が何も言わないので、聞こえなかったのかと不安になった私はゆっくりと顔を上げ、桂の顔をのぞいた。すると、桂は私と目があったことがうれしかったのか、満面の笑みを浮かべ

「覚えていてくれたんだ。……良かった。」

と優しい声でほっと息をするように言った。

「桂葉君、まだ仕事終わってないぞー」

桂と同じエプロンを着た女の人が店から顔を出して、桂にからかうような笑い声で話しかけていた。桂葉というのは、桂の名前だ。

「今、行きます!」

桂はあきれるような少し怒った声でその女の人に返事をした。

「月樹、ごめん。少しだけ待ってもらえる?月樹に渡したいものがあるんだ。」

女の人の時とは違う優しい声で桂は私に問いかけた。

「…分かった。ここで待ってる。」

「ありがとう。すぐ戻ってくるから。」

桂は足早に店内に戻っていた。桂の後ろ姿は昔とは全然違っていた。桂と出会ったのは私が5歳の時だった。その時の祖父はまだ元気で、毎日のように私は魔法の小屋に遊びに行っていた。


「じぃじ!こんにちはー」

私は、お客さんにドアを開けてもらった後祖父を見つけてカウンター席に勢いよく座った。そしてコーヒーを入れている祖父に話しかけた。

「月樹はいつも、元気だね。」

祖父は嬉しそうな声と顔で私を見つめながら言った。

「うん。るな、じぃじに会えてうれしいもん。」

「嬉しい事を言ってくれるね。」

祖父は私の頭をそっと撫でてくれた。

「月樹、隣に座ってもいいか?」

私の隣の席を引きながら、男の人が話しかけてきた。この人はさっきドアを開けてくれた人であり、私の父の弟である秋人さんだ。

「いいよ、あっちゃん!」

秋人さんが席に座ると同時に店のドアが小さな鐘の音を鳴らしながら開いた。そこには、綺麗な女の人と私より少し背の高い男の子が立っていた。男の子は女の人の後ろに隠れるようにこちらをのぞいていた。

「秋人、久しぶり」

女の人は秋人さんに近づきながらそう言った。

「もしかして、咲良か。」

「あっちゃん。この人だれ?」

私は秋人さんの服を引っ張りながら問いかけた。

「この人はさくらさんっていって俺の高校時代の後輩だった人だよ。」

「その子、先輩のお子さんですか?」

「違う、違う。俺の兄貴の子供。月樹、挨拶しな。」

私は秋人さんの後ろに少し隠れながら、咲良さんの方を見て

「るなはるなっていうの。としは5さい。」

「私は咲良っています。よろしくね。月樹ちゃん。」

咲良さんは私と目線を合わせるために、腰を少し曲げながら話してくれた。

「桂、あなたも挨拶しなさい。」

そう言いながら咲良さんは後ろにいた子供の背中を押した。しかし、その男の子は何も話さなかった。

「ごめんなさいね。この子、人見知りが酷くて初めての人の前だといつもこうなの。」

咲良さんは申し訳なさそうに言った。私は、椅子から降りて桂に近づいた。そして手を差し出して

「けいくん!るなとあそぼう?」

と満面の笑みを浮かべて問いかけた。桂は困惑した表情を浮かべながら、それでも私の手を握ってくれた。

「うえであそぼう。とらんぷとかいっぱいあるよ。」

私は桂が手を握ってくれたことがうれしくて、桂の手を勢いよく引っ張ってしまった。いきなりのことに桂は助けを呼ぶような顔で咲良さんの事を見た。そんな桂の事はおかまいなしに私は桂の手を引っ張り続けた。

「じぃじ、うえであそんでもいいよね?」

「いいよ。咲良さんもかまいませんか?」

「はい。桂の事をよろしくね、月樹ちゃん。」

咲良さんは桂の頭をなでながら、嬉しそうに言った。それとは逆に桂は顔に涙を浮かべているように見えた。しかし、私はそんな様子など全く見ずに桂の手を引っ張り上に連れて行った。

「けいくんはなにがしたい?ふたりだととらんぷはつまんないよね。なにかあるかな。」

私は2階にある和室部屋に桂を連れてきて、押し入れの中にある箱の中身を確認しながら聞いた。私は箱の中から折り紙を発見して、後ろにいる桂に

「けいくんって、つるさんおれる?」

と聞いた。桂は自分の手を握りながら小さくうなずいた。

「おれるの!すごい!るなにおりかたおしえて!」

桂は私がいきなり大きな声を出したのに驚いていたが、少し嬉しそうな顔をしていた。その後、桂は私に丁寧に鶴の折り方を教えてくれた。最初はぎこちなかったが、だんだん慣れてきたのか、口数も増えてきて鶴の折り方以外の事もたくさん教えてくれた。

「けいって6さいなの?じゃあ、けいは今しょうがくせい?。」

「うん。」

「じゃあ、けいにぃにって呼んだほうがいい?」

「うんうん、けいがいい。けいのほうが嬉しい。」

桂は顔を大きく横に振りながらそう答えた。

「わかった!ってもうこんなじかんだ。そろそろかえんなきゃ。」

「もう帰るの?」

「うん。日がくれる前にかえらないとじぃじにおこられるから。」

私は、下に降りようと立ったが桂は座り込んだままだった。

「けい、かえんないの?」

桂は下を向いて黙り込んだままだった。桂は自分の気持ちをため込む性格だった。誰かを傷つける事を桂はひどく恐れるような人だ。

「またあそびにきてよ!るな、けいとまたあそびたい!」

私は、座り込んでいる桂の前に座って桂の手を握りながら言った。

「うん。……絶対またあそびにくる。」


それからの私達は飽きもせず毎日のように遊んだ。桂と遊んだ日々は今でも鮮明に思い出せる。それくらい私にとってはかけがえのない思い出だ。

「……な……るな……るな!」

昔を思い出していたら、いつのまにか目の前には仕事をおえたのか私服に戻った桂が私を心配そうに見つめていた。

「大丈夫?寒かったよね?本当は中で待ってもらいたかったんだけど、秋人さんが中にいるから」

秋人さんとケンカをしたわけではないけれど、祖父が亡くなる前、私の家に何度も来て、いなくなる前に会いに来いと何度も私を説得しに来てくれた。そんな秋人さんを私は最後まで無視し続け、そこから一度も顔を合わせていないので、正直気まずくて会いたくないのは事実だ。そんな私の気持ちを桂は理解してくれてたのだろう。こういうところは昔から変わっていない。尊敬できる部分であり、たまに心が読めるのではないかと怖くなる部分でもある。

「ありがとう、桂。……そういえば、私に渡したいものって何?」

「これだよ。今日のお昼に女の人がお店に来て、月樹に渡してほしいって頼まれたんだ。」

桂は手に持っていたスマホを私に渡した。そのスマホは紛れもなく、私の物だった。一体あの黒猫はなにがしたかったのか、スマホを盗んだと思ったらすぐに返すし訳が分からない。

「それ、月樹のスマホだよな。月樹、いじめられてるわけじゃないよな。」

「大丈夫だよ。世話焼きな友達が私のためにってやったことだと思う。」

こんなにもスラスラとうそをつける自分が嫌になる。

「そっか。高校生活楽しい?」

「……うん。楽しいよ。」

また、うそをついてしまった。高校には1年の夏休みが終わってから一度もいっていない。うそをつくのは辛いが桂に心配をかけたくないし、高校に行けていない自分が異端者のように思われるのが怖くて本当の事は言えなかった。

「それならよかった。……もう暗いし送るよ。」

「いいよ。私の家から桂の家って遠いでしょ。」

「……もう少し月樹と話したいんだけどダメ?」

桂は甘えた子供のように言った。桂の子供の頃は顔がかわいくて、女装をさせたら似合うだろうなと思っていた。けど今の桂はアイドルにもなれるだろうイケメンに育っていた。桂目当てにカフェに来る人もいるらしい。ただでさえ男子への免疫力のない私がこんなイケメンに言われて、断れるわけがない。

「分かりました。」

私はぎこちない返事をした。その後、私達はお互いの今までの事を話し合った。私は本当の事はほとんど話せなかったけど、とても楽しい時間で、あっという間に私のマンションの前まで着いてしまった。

「ここまでで大丈夫。わざわざありがとう。」

「いいよ、これくらい。夜道を女の子1人で歩かせるわけにはいかないだろ。」

桂は一体、会わない間にどんな生き方をしたのだろうか。子供の頃の桂とは比べ物にならないくらい変わっている。

「月樹、またお店に顔だしてくれないか?秋人さんも月樹に会いたがってるよ。」

「……行けたら行く。」

つい行かない常套句を言ってしまったが、今の私にはこれが精いっぱいだった。

「うん。いつでも待ってるから焦らずゆっくりでいいよ。」

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