第弐参話 皆殺しの功罪
「申し訳なございません、一人の者は、非常勤職員でございまして、本業は医師であります、令高大学付属病院に勤務しておりまして、三〇分程遅れる見込みです、他の者は集まっておりますので、宜しくお願いします」
絢子が普段の朝とは違い、見かけない男性二人と横井定幸に対し、緊張して話していた。
「おはようございます、久し振りですね、みなさんの活躍は耳に入ってますよ、つい先日も人身売買をしてる組織の壊滅にご協力して頂いて感謝しております、その時にですね、みなさんが得た情報からピンクキャメル号の乗組員たちを勾留し、世界中から買い集められた女性一〇人を保護し、それぞれの祖国へ帰国させることができました、しかしながら、あの船の乗組員たちは、単なる運び屋でした、で、ありますから黒幕が存在するのが明らかになりましたよ」
定幸もこの二人の男性がいるからか、普段より丁寧に話しを進めていて、絢子はいつもと違う定幸の言葉遣いに、ただならぬことが起きたと察し、背中、脇の下、胸の谷間に僅かながら冷や汗が垂れるのを感じていた。
「あの船の船長はイタリア人でした、他の乗組員は、ユダヤ人で、ですから、黒幕は」
定幸が核心を突こうとすると、ダークグレーのスーツにオフホワイトのワイシャツ、ライトグレーのネクタイをした一人の男性が言葉を遮った。
「横井さん、後は私から、私はイタリアの日本大使館に席を置く
織田がそこまで話しを進めると、睦基がやってきた。
「すみません、遅れました、でも絢子さん、正直いうと困るんですが、あっ、あ、すみません」
ただならぬ雰囲気と、初見のクールな大人の男性が二人もいるのに気がついて、言葉を止めた。
「急に申し訳ないないです、私は、イタリア日本大使館に席を置く織田有造です、正田睦基さんですね、掻い摘んでいいますと、日本で行われてた人身売買は、イスラム過激派の資金源の一部だったことが分かりました、そして、日本、みなさんがテロの標的に成り兼ねないということです、正田さんがいらっしゃるまでに、ここまではお話しさせて頂きました、では、続けます」
睦基は驚き、益々、声を出せず頷くだけだった。
「実は、日本政府は、横井さん、益田さんの働きかけを、ここ、防犯研究所を特殊な組織と認めています、良い意味でです、しかしながら、ロングタイガーを惨殺してしまいました、それは、目を瞑るとして、その代わり、テロ対策に参加して頂くことになります、これは、強制的に参加してもらいます、日本でのテロ活動を未然に防ぎ、その危険性がゼロになるまでです、ご理解できますね、致し方ありません」
最後は、強い口調で話し、織田は口を詰むんだ。
「私は法務省特命テロ対策室室長の
織田に継いで、ライトグレーのスーツに真っ白なワイシャツ、紺色のネクタイをした、欠点がなさそうな印象の男が話しだした。
「正田さんに関しては、大学病院には、法務省の外国人犯罪者の精神鑑定医に就いてもらい、犯罪心理の研究に携わってもらうと通達します、すなわち、令高大学医学部付属病院から特別に法務省へ派遣するという形を取ります、それと、梅木翔子さんはあなたのアシストする看護師として、勤務してる病院に通達して参加してもらいます、これはですね、みなさんをマフィアとテロリストから身を守る対策でもある訳です、私見ではありますが、これはあなた方の正義感から招いた反社会的勢力を壊滅させるために殺害と言った手段を取った功罪です、もしも、我々に協力しないというのならば、刑事事件としてみなさんを逮捕し、豚箱にぶち込みます、恐らく、今の生活を続けるよりは、殺される確率は減るでしょう、理解できますね、ここまでみなさんを特別優遇するのは、それぞれ高い能力をお持ちだからです、我々もみなさんから学ぶ事があると期待もしてます、国益、自国民に損害が及ばないよう、当面は我々と仕事するということです、宜しくお願いします」
室井は若干、感情的になりながらも、定幸や絢子、睦基、加藤、神路三姉妹に好意的な表情でいい放った。
七人全員が言葉を失った。特に、神路三姉妹はばつが悪い表情を浮かべた。しかし、独りだけ違っていた。
「室井さん、質問宜しいでしょうか」
加藤が声をだした。
「はい、なんでしょうか」
室井が加藤に顔向けそういうと、全員が加藤に注目した。
「いつから、宿舎に入るんですか」
加藤は興味津々な表情を向けた。
「これから直ぐです」
室井は即答した。
「家には戻れないの」
加藤は緊張感があまり見られず、困った顔を覗かせた。
「はい、戻れません、ですが、宿舎の部屋に入ってもらったら、その部屋に置きたい自宅にある私物をリストアップしてもらいます、そして、係の者がご自宅から回収することになります、横井さんと神路さんたちは、持ち家でありますから、当局で管理します、予定としては、益田さんと加藤さんが宿舎に持ち込まない私物は、横井さん宅で保管します、正田さんと梅木さんは神路さん宅で保管します、ですから、益田さんと加藤さんの賃貸契約してるマンションは契約解除の手続きをします、正田さんと梅木さんは職員寮ですから、退寮手続きをします、いずれも当局が進めて行きますのでご安心下さい」
室井は表情を和らげ、加藤の質問の答えにつけ加えた。
「他に今すぐ聞きたいことはありますか、今日はこの後、マイクロバスが迎えにきますので、それで宿舎に向かいます、到着したら、丁度お昼時なので、昼食を召し上がってもらいます、その後、部屋割りをして、搬入する私物のリストアップをしてもらい、一六時から格闘技トレーニングです、これには横井さんと益田さんは自由参加です、私の部下を指導して頂く形になるでしょうか、今日のスケジュールはざっとこんなもんです」
室井が話し終わると、表には迎えのマイクロバスがきていて、早速、乗り込み、宿舎へ向かった。
「いい忘れてました、みなさんの携帯電話は回収します、電源を切ってお預かりしますので、代わりに、新しい携帯電話をお渡しします、宿舎に着いてからですね」
マイクロバスが走り出し、程なくして、室井がいった。再び、張り詰めた空気に変わった。独りの男以外は。
「室井さん、俺、日本代表返り咲きですよ、嬉しいなぁ、まぁ、マフィアとテロに負けないように頑張りますよ」
加藤がまた、ズレたことをいった。
「情報通りですね、加藤さん、あなたみたいな方、嫌いじゃないですよ、今回は、表舞台には出ない、裏の日本代表ですけど、良いですか」
みんなが呆れる中、織田はきちんと相手にした。
「えぇ、構いませんよ、なんか、日の丸の付いたグッズ、もらえますかね」
みんなはクスクス苦笑いした。
「加藤、ご機嫌だなぁ」
思わず定幸が声をだした。
「加藤さん、残念です、有りません」
こんなズレ過ぎる加藤の質問で、バスの中の空気は一瞬だけ和んだ。
車窓では、通勤ラッシュが落ち着き、普段の日常が流れていた。それに反し車内では、度が過ぎた正義で、個々が敷いたレールから降ろされた者たちが、行き先を見失しないかけた非日常が流れてた。
「睦基君、私、拉致られたって思ったよ、信じられないんだけど、ここで暮らすの、理由は聞いた」
翔子が宿舎の出入り口近くの応接スペースでソファーに座りテレビを見ていて、出入り口から入ってきた織田と室井の後についてきた睦基をみつけ、間を置いていってきた。
因みに、この施設は、首相官邸の地下に位置していて、マイクロバスは、国会議事堂の正面で停まり、議事堂の中に入ると、女性用トイレの隣にある施錠された鉄の防火扉から入り、階段を一階分降りて、そこからは階数の表示が無いエレベーターで、更に、二、三階降りて着いた場所だった。
「翔子、先に連れてこられてたんだ、申し訳ないね、研究所の仕事で、こんな状況になってしまって、でも、翔子もここに居る方が安全だから」
睦基は申し訳ない表情でいるだけで、翔子が問うことには答えられなかった。
「翔子ちゃん、ごめんなさい、私達姉妹がこんな状況にしてしまって、ほんと、ごめんなさい」
姫子が翔子に謝った。傍に居た美里は、両手を下腹部の前で合わせて頭を下げた。その隣のサキは、顔の前で合掌して頭を下げた。
「いえいえ、みなさんも一緒で安心します」
翔子は三姉妹を気遣った。
その後、睦基らには新しいスマホが配られた。自由に使って構わない事とお互い連絡が取り合えるようにといわれ、また、室井や織田からも連絡が入ること。預けた携帯の番号や知人、友人の電話番号等は登録しないことを厳守するよういわれた。
昼食は、このフロアにある食堂で、ブッフェ形式になっていた。高級な食材や豪華な料理ではないものの、誰もが口に合う味付けの料理だった。
一番喜んだのは、言うまでも無い、翔子だった。また、室井の部下達五人も一緒に食事を共にした。
会話は無く、皆、翔子の食いっぷりに釘付けになった。厨房の中に居る調理師達も注目していた。大学時代にテレビやネット動画に出ていた翔子を知る者も居て、直ぐに人気者になった。
昼食を終えると、部屋割りが伝えられた。
「みなさん、部屋割をお伝えします、私は、特テロ室の和久井です、宜しくお願いします、先ず、この施設ですが、このフロアを四階と定めております、ですから、ここより下に三フロア存在します、住居スペースは、一階と二階の半分になります、合計、四〇人が生活可能です、すなわち、四〇部屋用意できる構造です、この施設の一番の目的は、有事の際に、天皇のご家族、総理大臣をはじめ各大臣、最高裁裁判官、日弁連会長および副会長等、国を統治することを機能させるための人物を滞在させるのです、ですから、各部屋には基本的な日用品は揃ってます、ご自由にお使いください、では、みなさんのお部屋は、一階に神路姫子さん、美里さん、サキさん、それと、正田さんと梅木さんは二人部屋を用意してます、続いて、二階は、名前をお呼びしてない、横井さん、益田さん、加藤さんです、鍵とご自宅から持ち込みたい私物リスト用紙をお渡しします、現在の時刻は、一三時三〇分です、一六時に三階のトレーニングルームにその用紙も持参してお集まり下さい、トレーニングウェアは既に各部屋に用意してますので、それをお使い下さい」
和久井が滑らかに話し、鍵と私物リスト用紙をそれぞれに手渡し、エレベーターホールに案内して、一緒に二階、一階に降りた。
「サキちゃん、俺と同部屋なんてどう」
エレベーターの中で、加藤らしい言葉を発した。
「力士じゃないの、ワ・タ・シは」
サキは軽くビンタして、その言い草をつき返した。
「加藤、いい加減にしなさい」
加藤は絢子に怒られた。
「私のところ、たまには遊びに来て良いですよ。囲碁の相手してください」
美里は怒られた加藤をからかった。
「囲碁、ですか、五目並べ、なら、へへ」
加藤は、囲碁なぞした事がない。五目並べもだ。しかし、断る事も出来ずに苦笑した。
「えぇ、カトちゃん五目並べも出来ないじゃなぁい、アハハ」
サキは加藤に失笑した。
「絢ちゃん、俺さぁ、未だに洗濯機だけ使った事ないんだ、後で教えてもらえるかなぁ」
定幸は絢子に普段ではありえないことを頼みだした。
「えっ、独りやもめになって何年だっけ」
絢子は驚き、即答した。
「一五、一六、一五年以上かな、三日に一回洗濯屋に頼んでたからさ」
定幸は分が悪そうに答えた。
「勿論、教えてあげる、今の洗濯機は簡単よ、それはそうと定さん、トレーニングには出るの」
「一応な、疲れが溜まらないくらいは身体動かした方がいいからな、若い連中とも交流したいしな、絢ちゃん、独りやもめってのは女の独りもんに使う言葉だよ、因みにな」
定幸と絢子は兄妹のようだった。
「地下で暮らすなんてどうなるだろう、日焼けはしないからいいけど、乾燥してるかしら、いや、湿気が多いかも。化粧道具持ってきてもらわなくちゃ。メディヘイルのフェイシャルパックは必ず持ってきてもらうんだから」
姫子だけは、ぶつぶつ一人で喋っていた。
みんなの人となりが散らついて、部屋へ案内する和久井は親近感を抱き、これから何ら問題が起こらないよう考えていた。
睦基と翔子が部屋に入ると、満腹な翔子は、ベッドに横になった。
「睦基君、横にならない、普段より沢山食べちゃったよ、急にこんなとこに連れてこられるなんて思いもしないから、ヤケになったわ」
翔子は愚痴を溢した。
「そうだな、でも、前向きに考えよう、ここの生活が終わったら、また、同じ職場に戻れるんだから」
睦基も翔子の隣りに横になった。
「そうね」
翔子はそういうと、目を閉じ、寝てしまった。睦基は翔子の寝顔を見て、同じように目を閉じた。
三〇分ばかり経った時、睦基のポケットに入れてたスマホの着信音と連動する振動で二人は目を覚ました。
「室井です。正田さん、お部屋ですか、梅木さんもご一緒ですか」
「はい、部屋に居ます、翔子も一緒ですよ」
睦基が答えると、翔子は驚いた表情を向けていた。
「確認させて頂きたいことがあるのですが、一〇分後にそちらに伺っても構いませんか」
何の音もせず、鮮明に室井の声だけが聞こえてきた。
「確認、はい構いませんよ」
「なんて、睦基君、誰」
翔子は眉間に皺を寄せていた。
「室井さん、僕たちに確認したいことがあるらしい、一〇分後に部屋にくるってさ」
「僕と翔子ちゃんとを確認したい訳だから、共通点を考えるとやっぱり、独りじゃないってことかな」
一文字が代わっていった。
「私もそう思う、高い能力を持ってるから、とかいってたしね」
翔子からユキに代わっいた。
「婚約してるかどうかじゃなーい、いやだー、恥ずかしいわよねぇ」
杏が久し振りに表にでてきた。
「久し振りね、杏ちゃん、大丈夫よ、私たちがついてるからね」
歌音は、翔子から杏に代わることを強く不安を感じてる状態だと察して、そういった。
暫くして、ドアをノックする音が鳴り、睦基に戻って、室井を迎えた。
「すみません、休憩してる時に」
室井申し訳なくペコンと頭を下げ、四脚の椅子がある正方形のダークブラウンで木目調のダイニングテーブルに睦基と翔子が座るようジェスチャーを交えた。
室井は緊張感を見せずに二人へ顔を向けていたが、睦基と翔子からは、緊張感が伺えた。
「えっと、お二人の資料を読まして頂いててですね、ちょっと疑問に思った事がありまして、森川組を解散に追い込んだ時の件なんですけど覚えてらっしゃいますか」
何の疑念を持たない口振りだった。
「はい、僕の異父兄弟で兄が居た反社団体ですね、覚えてますよ」
「捜査員達がガサ入れした時には、森川組の連中は既に動けない状態だったらしいです、益田さんに聞くと、恐らく正田さんだろうって教えてもらったんですけど、事実ですか」
室井は動揺なぞ、見せるわけがなかった。
「はい、僕たちがやりました」
「えっ、梅木さんとお二人で」
流石に室井は驚き、資料に向けてた視線を一度、二度、刹那に睦基の目に向けた。
「いや、翔子はその時、自宅でしたから、知人の食堂の店長とそこの店員さんと三人で家に避難してましたよ」
睦基は冷静に答えた。
「でも今、僕たちって、言われましたよね」
室井は睦基が口にする言葉を一言なりとも聞き逃さない。職業上の習性である。
「僕は六人格でこの身体一つで生きてます」
「えっ、え、多重人格って事ですか?」
室井は眉毛を持ち上げ額に三本の皺を寄せた。
「はい、そうです、信じられないと思いますが、森川組を襲撃した時は、主に、僕らの二人でやりました、代わってみますか」
「は、はい。お願いします。」
室井の心は、睦基の言葉を聞いて、無意識に増える心拍数の高鳴りを気づかずにいた。
「あの時は、俺が奴らを蹴散らして、三階から逃げる時は、身軽な俺が、窓から飛び出したんだけど」
丈、佐助に代わり、無機質な言葉で答えた。
室井は目が点になり、大きく開いた口は数秒間閉じられなかった。
「あの頃は、身体まで代われなかったんですけどね、いつの間にか、代われるようになったの」
歌音とレイの順に代わって見せた。
「それで、睦基が研修医の時に全身のMRI画像を撮ったんです、そしたら、大脳皮質の運動野と感覚野、それと、海馬と扁桃体が一般的な体積よりも大きくて、神経細胞も多かったです、それと、女性になると、生殖器の形状、胸の形状は変わりますが卵巣と子宮、乳腺は存在しません」
一文字に代わり、睦基に戻って素直に話した。
「が、あ、うん、凄いですね、はい、ちゃんと見ました、女性にも代わるんですね」
室井顔は青くなった。
「あっ、室井のおじちゃん、歌音とレイのどこ見てたのよぉ。エッチねぇ。」
翔子から杏に代わっていた。
「へ、へっ、梅木さんも」
室井は椅子に腰掛けたまま、腰を抜かした。
「すみません、驚かせて。私たちは三人です、解離性同一性障害でした、治療を受けました、治療前は、何人居たか分かりませんけど」
ユキに代わった。
「ほぉー、素晴らしい、いや、大変ご苦労なさったんでしょうね、医師になられて、助産師になられて、貴重な方々だ、お仲間のみなさんは、ご存知何ですか」
室井は、感心したような、悲劇な人のような、様々な感情が入り混じった表情で腕組みをして聞いた。
「僕の事は知ってますみんな、翔子の事は、特に言う必要ないので。特に、いってないです」
睦基は軽々と答えた。
「じゃあ、梅木さんに関してこれまで通りに接して構いませんかね、この後、トレーニングがありますから、私の部下には伝えてて構いませんか、その方が彼らもやりやすいと思うんですが」
室井はこの先のことを考えて尋ねた。
「その方が良いですね、僕らも動き易いですから」
室井は睦基と翔子に握手をして部屋を出て行った。
「翔子、何かあれば僕が守るから安心してよ、こんな状況だ、しょうがないよ、なるようになるさ」
睦基は翔子の不安を取り除きたく、胸を張った。
「分かった、私、大人しくしてるね」
杏の大きな気遣いだった。
「ありがとう、いつも」
翔子に戻って睦基に答えた。
そして、また、ベッドに戻って二人で目を閉じた。
「では、みなさん宜しくお願いします、私の隣りから、
一六時になり、トレーニングルームに室井の部下、五人と睦基と翔子、研究所の六人、合計一三人が集まり、和久井が特テロ室の他の四人を紹介した。
「じゃあ、先ずは我々の格闘技経験者と特テロのみなさんの実力を確認し合いませんか」
加藤が楽しそうな顔で提案した。
「そうですね、未経験の方もいらっしゃいますし、横井さんと益田さんの役割は我々のブレインになって頂きたいですから、見て頂いて、その後どうやってトレーニングしていくか考えていきますか」
その提案に対して、和久井はそう答えた。
このトレーニングルームには、二〇畳程のマットが敷かれていて、エアロバイクにトレッドミル、ウェイトトレーニング用のダンベルやバーベルにベンチ等が揃ってた。
「じじぃは、自転車こぎしながら見てていいかい」
定幸は楽しそうな表情である。
「熟女もそうしまーす」
絢子も定幸に倣って、エアロバイクに向かった。
「カトちゃん、アタシ、先鋒ね」
サキが加藤の背中を叩いた。
「宜しくお願いします」
辰吉が出てきた。ベッドギア、オープンフィンガーグローブ等、全身のプロテクターを傍の棚から出してきた。
二人の戦いが始まった。MMAのルールで五分一ラウンドで和久井がレフリーをした。
辰吉が身につけた琉球古武術は、実践的な武術である。琉球王朝時代に首里や那覇の士族が実戦を通して開発、発展させたもので、武器を持ち攻めてくる大人数の敵を、武器を持って対峙するといった理念で、槍や棒、ヌンチャクやトンファー等を用いて一撃必殺の技が研究され発展した。また、徒手拳術、いわゆる拳は勿論、全身を武器にする戦術もある。なので、沖縄空手も熟せるのだ。すなわち、武器が無い時のために、鍛えた指先や爪先、腕、腿、全身を武器にして戦える。また、人体の急所である目、喉、各関節、金的等を如何に破壊するか、自分の身体の一部を武器にして、実際の武器を使う時の動作に似せ攻撃をする。そして、防御する時も相手の身体にダメージを与える戦略を持つ武術だといえる。
加藤は、爪先に多く体重をかけ、辰吉を中心に弧を描くようにゆっくり動いた。
対する辰吉は、そう動く加藤に自分の身体の正中線を向け続けるように右脚を軸に左脚を動かして回転した。
すると辰吉は仕掛けた。左に弧を描く加藤に左脚を一歩前に出した。加藤が足を止め、逆方向に動きだす瞬間に右脚でローキックを放った。加藤の左太腿にヒットするかと思いきや、膝と爪先を上げ、足の甲と脛でL字を作り、辰吉の素早く動く右脚を往なし辰吉の身体が半身になるように更に右側に自分の足と地面に着きながら膝を曲げ、辰吉の右膝を折りバランスを崩した。
辰吉の上体が後ろへ倒れかけると、加藤の右腕は辰吉の首に顎の下から回し入れ、背中に抱きついた。二人はそのまま、後ろに倒れ込んだ。
加藤は瞬時にチョークスリーパーを極めた。辰吉の顔は青白くなり、加藤の腕をタップした。
「一本、ヤメ」
レフリーの和久井は叫んだ。秒殺だった。周りで見てる睦基以外は『オォー』と、声と拍手が沸いた。
「参りました、加藤さん、空手のレジェンドだと思ってたんですけど、色々熟すんですね、これからご指導お願いします」
辰吉は爽やかだった。
「次鋒は私でーす、人の名前覚えるの苦手で、あなたどう」
サキは唯一の女性、大垣に声をかけた。
「望むところです、大垣です」
二人がプロテクターとベッドギア、オープンフィンガーグローブを着けた。
「始めっ」
大垣は、サウスポースタイルで軽くその場でステップを始めた。サキも同じようにサウスポースタイルで構えたが動かない。空気が張り詰め、大垣がステップする音しか聞こえなかった。
サキが仕掛けた。右ジャブを出し、拳を戻す瞬間、大垣が左ストレートを繰り出した。
大垣は、右脚を大きく踏み込み、左拳が充分当たる距離となりサキの顔に誰もが当たったと思った瞬間、右に顔を向けながら左斜め前に左足を出し、体勢が低くなり右手で大垣の左上腕を突き上げ左肘を右胸に入れた。
大垣は左後方へ吹き飛ばされ、二回転後ろ回りで転がった。
「ストップ、大丈夫かっ」
和久井が大垣に近づき、サキの動きを止めた。
「ごめん、大垣ちゃん。大丈夫」
サキは和久井の背中越しに大垣を覗き込んだ。
「大丈夫です、強すぎる、初めてです、こんなに飛ばされたのは、参りました、サキさん、教えて下さい、私、強くなりたいです」
大垣は必死な顔つきになった。
睦基と加藤以外は唖然としてた。最早、横井と益田は、エアロバイクをこげないでいた。
「正田さん、お願いします」
とても緊張した顔でプロテクターを着て宮里が言った。
「室井さんからお聞きしました、僕の事、あ、僕はプロテクター要らないので」
「は、はい。聞きました」
宮里は、特テロ室のメンバーの顔を見ながら答えた。
睦基は、ジャージーの上着を脱ぎ、マットの端に置いた。宮里の方を振り向くと、丈に代った。タンクトップ姿の身体は、身長が高くなり両腕両脚の筋肉が太く盛り上がった。胸板も厚くなった。ゆっくりマットの中央に向かって歩き仁王立ちした。
「オォー」
特テロ室のメンバーから声が漏れた。
「始めっ」
丈は、微動だにせず宮里に目を合わせた。宮里は左右の拳を握り胸の高さまで上げ、左腕を少し前に出して、右足を前に着いて構えた。
二人は一分間動かなかった。宮里はその間三度固唾を飲んだ。丈はゆっくり宮里に向かって歩いた。
「宮里さん、動けなくなったね」
宮里のこめかみから汗が垂れた。丈は軽く右肩をポンポンと叩いた。
「動けません、すみません」
仕方なく丈は、ジャージーの上着を取りに行った。すると宮里は動けるようになった。
「私が相手します」
上着を着て、振り向くとレイに代っていた。
「えっ」
大垣だけが声を出した。
「宮里さん、行くよ」
レイが素早く宮里の二〇センチ前まで移動して顔に四発、左右の脇腹に四発、パンチを寸止めした。
「すみません」
宮里は再び凍りついた。
レイは一メートル程下がると歌音に代った。
そして、恐ろしく速い上段蹴りを左右二発づつ寸止めした。宮里は動けず、腰を抜かしマットに尻を着いた。
「ごめんなさい、バケモノで」
歌音は得意げだった。
「僕らには敵わないよ、きっと、世界最強のつもりなんだけど」
佐助に代わって、壁を垂直に五歩走りながらいった。マットに降りると隣りの壁を一蹴りして天井を五歩走り着地した。
「すみません。僕らは六人です、室井さんから聞いてたと思いますけど、どんどん身体能力も何もかも進化してます、漫画みたいですよね」
冷静な睦基に戻った。
「辰吉さんは、コアマッスルをもっと鍛えて八卦掌を加藤君から学んで下さい、大垣さんもそうですね、後、上半身の筋力アップ、サキさんからキックボクシングを習って下さい、宮里さんも辰吉さんと同じように、和久井さんと鬼龍院さんは、筋トレと睦基とのスパーリングがいいですね、後、翔子ちゃんと姫子さん、定さんと絢子さんは、丈が太極拳教えますので、みんな直ぐ強くなりますよ」
スマートに一文字がみんなのトレーニングを指示した。
「じじぃと熟女も強くなれるのかい」
定幸はひとこと挟んだ。
「勿論、きっと、自分でも驚きますよ」
一文字は断言した。
「凄い、頼もしい、想像以上ですよ、私も太極拳がいいですかね、ハハハ」
室井がトレーニングルームに嬉しそうに入ってきた。
「衝撃的な日になりました、我々は言葉になりませんが、正田さん達と過ごすことで、最強のチーム、ワンチームになれそうです、和久井、宮里、辰吉、鬼龍院、大垣、頑張れよ、今日のトレーニングは終わりにしましょう、一八時から夕食になりますので、食堂で懇親会をします、勿論、アルコールもあります、梅木さん、料理も沢山用意しますからね、明日からのスケジュールを作りましたのでこれに目を通してて下さい、お疲れ様です」
室井は笑顔を全員に向けたが、目には涙を浮かべていた。
続 次回、第弐肆話 悔しい決別
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