第漆話 救い人

「あのう、正田君だよね」

 

 図書館で睦基たちの脳内会議が落ち着いた時、一人の女子が声をかけて来た。

 

「正田君は覚えてないかも知れないけど、私、同じ高校出身なのよ、梅木うめき翔子しょうこ、覚えてないよね」

 

 図書館の中だから、小さな声で、でも、聞き易いように話しかけてきた。

 

「ごめんなさい、僕は人付き合いが苦手だから、梅木さんですか、覚えてくれててありがとう」

 

 睦基は恥ずかしいやら、嬉しいやらで、変な表情になっているだろうとばつが悪そうに感じていた。

 

「すっごい、集中してたみたいね、もう終わったの」

 

 翔子は睦基が使っている机に広がった沢山の文献に目を向けた。

 

「うん、今、終わったところ」

 

「じゃあ、少し話ない、出よっか」

 

 翔子は躊躇なく睦基を誘った。

 

 二人で図書館を出ると、広葉樹を囲むように円形のコンクリートのベンチがある。そこで、話しをする事になった。睦基はどんな話をしようかと考えていて、頭の中の丈と別の男の子が騒いでいた。

 

「正田君は医学科だよね、最近は実習だったから忙しかったでしょ、私は看護学科よ」

 

 二人がベンチに腰をかけると翔子から口を開いた。

 

「うん、実習は忙しかったよ、でも、楽しくできた。多くの人とディスカッションして僕の人見知りが少しは解消できたかな」

 

 睦基は翔子から話しやすい話題を振られて、気が緩んだようでお腹がグゥーっと鳴った。

 

「あ、ごめん、ごめん、お腹空いちゃったみたいだ。ハハハ」

 

 睦基の初めての経験だった。人前でお腹を鳴らすことが。

 

「アハハ。じゃあ、食事に行こうか、もう学食は閉まったけど、近くに良い定食屋さんがあるの、満腹亭だけど知ってるでしょ」

 

 翔子は睦基に親近感を持ったような笑顔を見せた。

 

「うん、満腹亭、知ってる、でも、行ったことないんだ、売店のおにぎりとかサンドイッチで済ましちゃうから」

「えっ、そうなの、医学科は忙しいんだね、じゃあさぁ、チャレンジメニューとかどう?私、これでも大食いなの、後、一品だけチャレンジしてないメニューがあるの、行こうか」

 

 翔子は益々、笑顔を大きくした。

 

 何を隠そう、翔子は見た目とは違って大食いだった。テレビに取り上げられてもおかしくない程なのだ。色んなお店のチャレンジメニューを制覇していた。

 しかし、全く太ってはなく、スタイル抜群で、また、明るい性格。スポーツも万能で、誰からも好かれる才色兼備である。

 それに反して、睦基は、これまで恋愛とか、異性に興味を持った事が無く、翔子の評判を知る由もなかった。だから、翔子と食事をすることに対して、若干の緊張感を抱きながらも自然に接することだけを心掛けた。

 

「へぇ、いっぱい食べれるんだ、いいよ、僕もチャレンジしてみる、きっと、こんな機会がないと大食いしようなんて思わないから、今週はバイト休みにしてて時間あるし、良いなぁ、楽しみだよ」

 

 二人で満腹亭に脚を進めながら、睦基も笑顔になった。

 

 〝丈、大人しくしときなよ。誰、その子〟

 

 頭の中では一文字が丈に注意をした。

 

 〝はいはい、分かってるよ、こいつ、分からない、最近、こんな場面で、女子と話してると出て来るんだ〟

 

 〝睦基も性欲が目覚め始めたのよ、自分では気づけないけどね、自然な成長でいいんじゃない、少し遅い目覚めかな〟

 

 歌音が口を挟んだ。

 

 〝佐助よ、歌音の言う通り、スケベだから佐助、みんなが寝てる時にマスターベーションしてるの、歌音も知らなかったでしょ、私がそうするようにいったの〟

 

 レイはあっさり答えた。

 

 〝知ってたわよ、レイが上手くコントロールしてたから黙ってただけよ、丈が暴れるといけないから、でも、そろそろ初体験も必要ね、佐助かぁ、でも、佐助は睦基と統合出来たほうが良いかも将来的には〟

 

 歌音は誰よりも睦基の成長に気を回していた。

 

 〝分かってたのね歌音、流石ね、任せて、犯罪にならないように初体験出来るように戦略立てるから〟

 

 レイは珍しく微笑んだ。

 

 〝どもっ、佐助です、初めまして、レイは厳しいっすよ、はい、睦基を犯罪者にしないように頑張りやす、多分、直ぐに取り込まれると思いやすが、それまでは宜しくっす〟

 

 六人目の明確な新たな人格、佐助が現れた。

 

「さてさて、超メガ盛りハンバーグ丼なのよねぇ、ここでの最後のチャレンジメニューは」

 

 満腹亭に着き、四人掛けのテーブルに独りで翔子は座った。

 

「凄い、モンスターだ、梅木さん、白飯二キロ、白飯の上に千切りキャベツでハンバーグ五枚、その上に唐揚げ一キロ、また、その上にハンバーグを五枚盛るのぉぉ、合計五キロ超え、僕の何回分の食事に匹敵するだろうか」

 

 睦基は素直に驚いた。

 

「正田君は何にする」

 

 隣のテーブル席に着いた睦基に翔子は得意げな表情でメニューを見ていた。

 

「僕は、唐揚げチーズカレー四キロにしようかな、制限時間四〇分か、どうかな」

 

 不安げに翔子へ顔を向けた。

 

「では、ご注文を繰り返します、梅木さんが超メガ盛りハンバーグ丼のチャレンジメニューで、制限時間は五〇分になります、お連れさんは、唐揚げチーズカレーのチャレンジメニューで、制限時間が四〇分です、梅木さんは成功すると一万円の食事券を差し上げます、失敗しますと、料金が五九八〇円になります、お連れさんは成功すると、三〇〇〇円のお食事券を差し上げます。失敗した時の料金は三九八〇円になります、梅木さん、お二人で同時に始めますか」

 

 女性店員は、丁寧に説明した。

 

「はい、正田君よ、高校の同級生なの、宜しく、はいっ同時に始めまっす」

 

 翔子は、女性店員に睦基を紹介し、意気揚々と注文を終えた。

 

「梅木さん、紹介してくれてありがとう、うぅぅ、ワクワクするね」

「正田君、無理は禁物だからね、残ったら私、もらっちゃうから」

 

 翔子はドヤ顔だった。

 

 〝睦基、いけるよ。途中で代わってくれ〟

 

 頭の中で丈は負けん気を出した。

 

 〝睦基独りでは無理だから、丈、後は、佐助と代われば完食出来るはず、そのつもりで〟


 レイは透かさず作戦を指示した。

 

 〝分かった〟

 

 レイの戦略は、いつも納得出来る内容だと睦基は感じていた。

 

「梅木さん、そんなに自信あるの、なんとか完食するよう頑張るよ」

 

 睦基は慌てて喋った。


「翔子ちゃん、いらっしゃい、いよいよ最強メニューのチャレンジだね、頑張ってよ、それにしても珍しいなぁ、男子と二人で来るなんて」

 

 満腹亭の店長、大川おおから安幸やすゆきが翔子の超メガ盛りハンバーグ丼を慎重に運んできた。

 睦基の唐揚げチーズカレーは、注文を取ってくれた店員、河合かわいが運んできた。

 

「正田君、高校卒業以来で、話ししてたらお腹鳴っちゃうんだよ。アハハ。連れて来ちゃった。」

「腹ペコなんだ正田君、頑張れよ、翔子ちゃんに誘われるなんて、君はいい奴なんだろうな」

 

 大川店長にそう言われた睦基は愛想笑いをして、顔の前で手を振るくらいしか出来ず、運ばれて来た料理に度肝を抜かれていた。

 

「久蘭々ちゃん、そっちもセッティングいいね、では、梅木さん五〇分、正田君四〇分のチャレンジ、用意スタート」

 

 大川店長と店員の河合が同時に、デジタル表示のタイマーのカウントダウンをスタートさせた。

 睦基はこんなカレーライスを食べるのは初めてだったカツカレーすら食べた事が無かった。唐揚げやチーズ、カレーライスは勿論、それぞれで食べた事があるけど、それらが一つになって、それもこんな大量になんて、睦基にとっては奇異なできごととなった。

 

 一〇分経過すると、睦基は独りで三分の一程食べた。翔子も三分の一食べていて、余裕な表情だ。

 

 〝丈、代わって〟

 

 レイが指示した。

 

 睦基は水を飲み胃底部に食塊を流し込み、丈と交代した。

 

「翔子ちゃん、僕も余裕だぜ」

 

 丈は思わずというか、わざとらしく『ちゃんづけ』した。

 

 〝丈、黙って食べなさい。〟

 

 レイは叱った。

 

「正田君、調子良さそうね」

 

 翔子は驚いた表情だった。

 

 〝旨いねこのカレーライス、癖になりそうだよ。〟

 

 睦基は頭の中でみんなにいった。

 

 〝知ってる〟


 歌音、一文字、レイ、佐助たちの声はシンクロした。

 

 〝美味しいな、美味しいな、嬉しいな〟

 

 久し振りに桃が現れた。

 

 〝桃ちゃん、お姉さんになって来たね〟

 〝おい、おい、静かにしててくれよ〟

 

 丈は初めて複数人格の煩わしさを知った。でも睦基の頭の中は良い雰囲気になった。こんな状況は初めてだった。

 翔子も美味しそうな表情で食べている。全くペースを崩さず。かつ、一口が大きい。そして二八分三六秒で食べ終わった。

 

「ご馳走様でした、美味しかったです」

 

 丈は、睦基よりも五分長く食べて、佐助と代わった。

 

 〝佐助、睦基と代わって〟


 レイは指示した。

 

 〝睦基、後五分で食べなさい。それと、翔子ちゃんって呼ぶのよ〟

 

 佐助でも食べ終えそうなところ、翔子との距離を縮めるために、再び睦基に食べさせた。


「睦基君、無理しないで、でも、もう一息だから、時間はまだ有るからね、落ち着いてよ」

 

 翔子は余裕な応援。

 睦基はとても嬉しく思った。なんだこの感覚は、そう思っていた。

 

 〝睦基、梅木さんを気に入ったみたいね〟

 

 歌音は嬉しく思った。

 

 〝予想通りよ。梅木さんと、お付き合い出来ると思うは〟

 

 レイは確信した。

 

 翔子に遅れて三二分一八秒で睦基は食べ終えた。

 

「ご馳走様でした、ふうぁ、完食出来たぁ」

 

 睦基はスプーンを置いて両手を掲げた。思わず翔子は抱きついた。

 

「無理だと思ってた、睦基君やるわねぇ、私と一緒に来たことがある男子で成功したのはあなたが初めてよ、おめでとう、嬉しい」

 

 翔子は直ぐに離れ、睦基を讃えた。

 

「ねぇ、睦基君。時々は付き合ってくれない、大食い、今日、初めて睦基君と話したんだけど、なんだか食べてる途中から、古くからの友達のような気がして、思い出してた事があってね」

 

 満腹亭から出て、睦基が翔子を駅まで送る途中、会話が始まった。

 

「えっ、うん、付き合うよ大食いくらい、夢中で食べてたら、僕が思わず翔子ちゃんなんて言ったからね、馴れ馴れしくしちゃったかな、思い出してたって、何を」

 

 翔子は不安を抱かせたと思った。

 

「ううん、馴れ馴れしいなんて、いや、私ね、よく引かれるのよ、大食いが終わると、でも、睦基君からは全くそんなこと感じなかったから、思い出したのはね、高校を入学したばかりの頃でね、睦基君は、養護施設だったじゃない、周りの子達がそんなとこから通ってくる子はあの進学高では珍しいからね、不気味だとか、関わらないほうがいいなんていっててね、でも、ずっとマイペースで、そんな偏見というか、周りの声なんて気にしないで頑張ってて成績良かったし、試験の後はいつも席次が一桁だったもんね、どんな事も嫌な顔せずに凄いなって思ってた、そんなこと思い出してたの、高校生の時に話しかけていれば良かったなって思った、私、周囲の子達の目を気にしてたのよね」

 

 翔子は申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「いやいや、施設の先生からそんな目で見られるはずだからっていわれてたんだ、だから、気にしてなかった、医学部に入りたくて必死だったし、それと、人付き合い苦手だからさ、丁度良かったのかも」

「そっか、強いね」

「いや、施設に入れたのが幸せだったから、その晴れ晴れした気持ちで突き進んだだけだよ、強い弱いなんて意識して無かったし」

 

 睦基は高校時代を懐かしんでいた。

 

「そういうのが強いっていうんだよ、アハハハ」

 

 翔子は安心した。

 

「今度、また、色々話ししよう。睦基君、じゃあ、今日はありがと、またね、あっ、LINEしてる」

 

 改札口の手前で二人は連絡先を交換した。

 

 〝一文字さんありがとう。僕はあんな会話出来なかったかも。〟

 〝そんな事ないさ、僕が教えてあげれば良かったけど。でも、久し振りに外の人と言葉を交わしたくてね、新鮮だったよ、梅木さんはいい子だね〟

 

 一文字は透き通った声色だった。

 

 睦基をはじめ、他の人格たちはこの日、図書館での脳内会議で多くの人格が落ち着き、翔子と出会い、この女性の存在が今後を充実させる存在になると期待した。

 

 続 第捌話、親交、深交

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