第陸話 気づき

睦基たちが入学した大学は医科大学だった。当初、医学に触れたことがない一文字は共に学んでいけばいいと考えていたが、歌音はそれに加え、コミニュケーション能力を高める必要があると考えていた。

 それは、睦基に多数の人格が存在するのが世の中では〝異常〟と見られることを睦基身が学んで行く知識、肌で感じる体験、それらを基に自己分析をすることで、気づきを与えたいと考えていた。

 

 〝ねぇ、睦基、医者は患者に病状とか説明しないといけないから、そろそろ、友達作らないとね〟

 

 歌音はさらっと睦基に伝えた。

 

 睦基が先ず始めたことは、毎朝、鏡の前で笑顔を作ることと、教科書をはじめ書物、新聞は勿論、折り込みチラシまで時間さえ有れば音読した。その結果会話が上達していった。

 

 また、静かにしていた丈はその上達する姿を羨ましく思い、身体を鍛え始めた。ランニング、筋トレを欠かさず、格闘技は柔道と合気道、空手、剣道を学んだ。

 それに釣られてレイは、企画力や戦略力を高めるため、将棋、囲碁、チェス、麻雀を学んだ。

 それらに係る費用は、高校生の時に丈が窃盗した盗品を売り捌いたお金で賄っていた。

 しかし、あっという間にその貯金は底をついた。

 それを予想してた歌音と一文字は家庭教師のアルバイトを始めた。どうにかやり繰りできた。

 こんな生活には、お金が係る事は勿論、睦基を含めて複数の人格が一つの身体で活動する訳だから、秒単位のスケジュールで動き回らなければならない。月に一日は休みを取るようにはしてるものの、身を削る思いで日々を過ごしていた。

 

 そんな中、漸く、睦基は多数の人格が存在する事の特異性に気づく機会を得た。

 

 医学科での解剖学や生理学、生化学等の基礎医学系には実習が設けられており、単位取得にはそれに参加し及第点取得が必須である。その実習で多くの人と接する機会を逐わざるを得ないのがきっかけとなった。

 それぞれの実習ではそれなりの課題が与えられる。その課題遂行が、周りの人たちに比べて非常に速いのである。睦基自身が抜きん出て秀でているわけではなく、数人で代わる代わる作業を進めるため、他の人の数倍の速さで作業ができた。

 その基礎医学系の実習にはそれぞれの講座の教授らを交えたグループディスカッションが設けられる。各種実験結果を指導を受けながら考察していくのだ。

 

 その時の周りの同級生たちは、睦基たちと違って、表情、声色が全く代わらなかった。睦基は、誰かと交代して休んでる時でも、こんな時は眠らないようにして、同級生たちを観察した。

 すると、同級生たちは独りで考え、独りで黙々と作業し、なんて効率の悪い状態かと疑問に思った。

 単純な事だ。睦基は独りじゃないからだ。これまでのできごとを思い出してみても、周りの人たちは独りなのである。初めて意識した。

 

 その後、睦基は図書館へ向かった。

 

 〝一文字さん、みんなは独りみたいだよ、なんで僕には沢山の人がいるんだろう〟

 

 睦基は興味深げに頭の中で呟いた。

 

 図書館では脳科学系や神経内科系、精神医学系の文献を読み漁った。

 

 歌音、一文字、丈、レイらと検討した。どうやら睦基は、解離性同一性障害だということが分かった。

 

 〝睦基、俺らは病人なのか〟

 

 丈は唖然とした。

 

 睦基自身は言葉を失い、精神疾患なんだと不思議に思った。全く病人という自覚はない。

 

 医学界が正常とか異常とか決めていて、その差別化が生活に支障がないものの、その基準で当事者を苦しめてしまうことは少なくない。

 

 〝睦基、私と一文字さんは知ってたのよ。その診断名までは分からなかったけど〟

 

 歌音は口を紡ぐ睦基の代わりに声を出した。

 

 〝そうなんだよ、悪く思わないでくれよ。こうやって、自分自身で気づいて、分析して、調べて分かるほうが理解が早いからね。期待してたんだ、睦基ならできるだろうってさ。〟

 一文字が歌音に続いた。

 

 〝そうだね。能動的に気づけたほうが良いよね。二人は見守ってくれてたんだよね、ありがたく思うよ、でも、笑っちゃったよ、他の人たちは独りで頑張ってるんだよ、逆に偉いよね、凄いや、それにしても、僕が主人格なんだよね〟

 

 睦基は二人のいうことを直ぐに受け入れてみんなに確認した。

 

 〝俺じゃないのか、俺が一番強いぞ。格闘技はマスターしたぞ〟

 〝何いってるの丈〟

 〝そう、睦基が主人格よ、私達は交代人格って事になるわね、戸籍は正田睦基だからね、私が最初に見守り始めたかな、そして、一文字さん、丈、レイの順番で生まれたかな、でも、もっと居るのよ、何人かは私にも分からないけど、それにしても、すっかり桃ちゃんは夜泣きしなくなったね〟

 

 歌音は睦基の中にいる人格たちを混乱させないようにした。

 

 〝何だか責任感じるというか、名前も無い人達は、どうなんだろう、楽しいのかな、自分らしく生きて行けるのかな、僕が生み出したわけでしょ、僕達と同じ様に出て来れないのかな〟

 

 睦基は悲しげな表情を浮かべた。

 

 〝誰にでも不確実な感情があるからな、悲しいような、辛いような、楽しいような、ワクワクするようなとか、もしも、僕が主人格だったとしても、そんな人達も居ておかしくないと思うよ、睦基だって、理解できないことは今でもあるじゃないか〟

 

 一文字は睦基に対して、他の人格たちへも届くように話した。

 

 〝そうだね、他の人たちが独りであることを僕は思わず笑っちゃったからね、悲しむ感情が出たっておかしくは無いか〟

 

 睦基の悲しげな感情はすぐに和んだ。

 

 〝提案なんだけど、私たちは身体一つで体力的に無理してると思うんだけど、少しづつお互いの役割をもっと整理してみてはどうかしら、高校生になった頃から気になってたんだけど〟

 

 レイは一層、睦基の中に宿る人格を合理的に遣い分けようと考えた。

 

 〝そうして行った方が良いね、その都度、こうやって話し合っていく必要があるわね〟

 

 歌音はレイの考えに賛同した。

 

 睦基の私見は、端的に噛み砕いて言うと、解離性同一性障害、いわゆる、多重人格とは、その人が心的外傷を負い、人格が崩壊しそうな程に負傷すると、その侵害刺激の時空間的記憶、その刺激から惹起した情動とを、別人格として分離させ、負傷した人格を自己救済させようとする心的防衛反応と捉えた。

 この状態で社会的に問題行動を起こしたり、自立生活がままならない場合は、分離して生まれた交代人格を惹起させた心的外傷エピソードを明確にし、主人格がそれを理解し、今後、同じような事態に遭遇した時の対処方法を組み立て、安心する事でその人格と自分自身が統合し交代人格か出現しなくなる可能性があると考えた。

 あくまでも、主人格と交代人格を必ず統合したほうがいいというわけではなく、社会への不適応が強すぎて、解離した人格を持つ者が、社会生活を満足に営めない場合、人格統合した方が良いとも考えるに至った。

 

 急遽、図書館で脳内会議を開き、多数の人格が協力し合うということで落ち着いたが、それぞれが、ほんの少しだけ不安が残ることまでは口にしなかった。

 

 続 次回、第漆話 救い人

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