第2話 小佑莉のがまんと小児病棟の悲しさ

生後二か月。

まるでお宮参りの様なドレスに包まれた小佑莉は、はじめての太陽に眩しそうにしていた。体重は漸く2500グラムに達しのだが、未だ未だ小さい。しかし二か月間、胎内ではないお外で生きて来たので、多少はおませさんだと、看護婦さんはいっていた。

「まあまあ可愛い」

両家の祖父母、兄弟、姉妹が揃い、総勢10人が病院に押しかけた。

「目がパッチりして、大きいね」

両家にとっての初孫である小佑莉はアイドル並みの大人気だった。

生まれた翌日に腹膜炎の手術をした娘は、人工肛門がついている。二歳になれば腸を繋ぐ手術を受けるのだが、それまでは小さい身体のお腹に、ポコッと腸が出ている状態だ。腸の周りに専用のパッドを貼り、そこにビニールを付けるのだが、ゆるい便なので漏れることも多く、腸の周りは赤くただれてしまっていた。

「ごめんね、痛いね」

景子は、なんとかしてただれを直したいと思っていたが、ただれの部分にクリームを塗れば、パッドが貼れなくなり、便が漏れてしまう。

「どうしたものかしら」

寝付いた小佑莉に布団を被せ、やさしく髪を撫でていた。ただれた部分の皮膚は硬くなり、どんどん範囲を広げている。

「仕方がないのかな、いまは」

娘の寝顔を覗いていた久嗣は、胡坐を組んでそういった。

「他人みたいな言い方しないでよ。痛いらしいのよ。小佑莉はがまんしてるけど。本当に痛いらしいの。大人だってそうでしょう」

「そう当たるなよ。他人みたいだなんて、別に」

「お腹の腫れている部分が、固くなってるの。久嗣は触ったことないからわからないでしょう。おむつなんて替えないし」

景子は実家の和室の窓から見える、小さな滝を見て、心を落ち着かせようとした。

「わかった……とにかくそんなに躍起になるなよ。おかしいよ最近」

「どういうこと?」

「看護婦さんから聞いたけど、以前、未熟児室に、神社の手水舎の水を汲んで持って行って、小佑莉に飲ませてくれって言ったんでしょう」

「そうよ。方角が良い神社に行って、水を汲んで来るの」

「その、方角がいいとか、どういうこと?」

実家の母親が古くから頼っている占い師のお告げだった。

「占い師さんが占った方角の神社の水を汲み、それを子供に飲ませることで、回復するといわれているの。毎日、毎月、違うのよ神社が。いろんな神社に行って汲んで、それを未熟児室に持って行ってたのよ」

「だけど、それは」

「看護婦さん、喜んで受け取ってくれていたわよ」

「建前だよ。本当に飲ませる訳ないだろう、雑菌が入ってるかも知れないのに、そんなの飲ませたら余計に病気になるよ」

「だから煮沸してるって」

「看護婦がいってたよ。飲ませられないから、手や額に少しつけてるって」

「そう、飲ませてなかったの。別にいいわ、過ぎたことだし。小佑莉はもう元気になったのだから」

「占い師のお陰だといいたの?」

「そんなことは。ただ、あの頃は藁にも縋る思いでいたから」

「まあいいよ」

散歩に出て来るといって、久嗣は出て行ってしまった。子供が出来てから、実家に入り浸りになってしまっていることで、夫は窮屈な思いをしていたのかも知れない。口喧嘩が多くなっていた。


一年後。小佑莉は相変わらず入退院を繰り返していた。免疫力が低く、すぐに風邪をこじらせ、高熱を出す。そして入院となるのだ。それでもまだ、この小児科病棟の中で小佑莉は、健康な方だったかも知れない。

「雄介くんは、二歳になるんだね」

隣のベッドに寝ている雄介くんは二歳だが、身体の大きさは生後半年くらいだった。顔を覗いてお話すると、いつもニコニコ笑ってくれる。理由はわからなかったが、雄介くんは声が出せない。

「小佑莉ちゃんのお母さん、いつもゆうちゃんのこと気にしてくれてありがとうございす」

そういって頭を下げたのは、看護婦長の土手さんだ。独身の土手さんは、全くと言う程、面会に来ない雄介の両親に呆れて、口癖のように愚痴をこぼす。

「ゆうちゃん、抱っこしてあげようね。お母さんもお父さんも無責任だね」

小佑莉もそうだが、入院患者の殆どは点滴を打っているので、抱きかかえるのも一苦労だ。しかし土手さんは、寝たきりの雄介が床ずれしないように、おんぶ紐を使って、彼をおんぶしながら仕事に従事する。

ある日のこと、いつもの様に景子は娘の面会に来ていた。到着して最初に娘の身体を固定している紐を解いてあげ、抱っこする。なぜ紐で固定しているのかというと、点滴の針を抜かない為なのだが、見た目はなんとも可哀想で、涙が出る。

「ゆうちゃん、元気かなー」

そういって景子が雄介のベッドを覗くと、雄介が声を出さずに泣いていた。

「ゆうちゃん、どうしたの。どこか痛いの」

景子は片手で雄介の背中を摩った。雄介は未だ泣いている。

「こんなに……」

見た目でも推測できたが、雄介の身体は骨と皮だけだった。

「小佑莉、ちょっと待ってて」

娘をベッドに戻し、柵を上げてから、雄介のことを慎重に抱き上げた。すると雄介はすぐに泣き止んだ。

「抱っこして欲しいよね、そうだよね、ゆうちゃん」

おとなしくて、自己主張をしない雄介が泣いた。泣いて、寂しさを訴えた。

この一年後、雄介は旅立った。看護婦の土手さんは、心労で言葉を失った。

「健康な子を持つみなさんは誤解されていますが、赤ちゃんが異常を持って産まれて来る確立は、そんなに低くないのですよ」

健康なことは、たまたまラッキーなだけなのだと、雄介を胸に抱え、土手さんが微笑んでいたのを思い出す。


小佑莉二歳。人工肛門を外す手術を受ける為に入院していた。術後の小佑莉に付き添うため、夫婦は個室を借りた。

「ここが小佑莉ちゃんのお部屋だよー、広いね」

そんなに広くない六畳ほどの部屋にはシャワーもついていた。景子は小佑莉の手を取り、部屋の説明をしはじめた。

「ここでねんねするの?」

寝間着に着替えた小佑莉はベッドに座り、そういった。

「そうよ、きょうと、明日と明後日と、暫くここでねんね」

椅子に腰掛けている景子は、娘の小さな手をマッサージしていた。肉付きのない細い指と身体。超未熟児で生まれた小佑莉は身体も小さい。少しどこかにぶつけただけで、すぐにアザが出来る。いまも頬にアザがあった。

「みんなの所ではねんねしないの?」

いつもの大部屋のことをいっていた。二年間も入退院を繰り返していると、知り合いも多くなる。

「そうだよ。大きなお部屋だと、ママとパパは、お家に帰らないといけないでしょう。だからね、このお部屋に泊まるのよ」

「ママ帰らないの?」

「そうだよ、小佑莉と一緒に寝るんだよ。ここで」

「やった、やった」

明日の手術のことを娘は知らない。説明をしても理解ができるかわからないし、無駄に不安を煽りたくはなかった。小佑莉は静かな子で、我儘をいったことがない。いつも何かを我慢している。

翌日、手術は無事に終わった。昨夜、夫は病院に姿を見せなかったが、泊まれる人数が限られているから仕方がない。そう景子は納得していた。

「もう十時間か、腹減ったな」

久嗣は腕時計を見た。

「食べに行かない?」

「いや、いいわ」

「小佑莉は眠ってるし、少しなら出ても大丈夫だよ」

「だから、わたしは行かないし、行きたかったらひとりで行けば、そのままマンションに帰ってくれていいから、わたしはお昼間、お母さんが持って来てくれたおむすびを食べる」

「そう、なら、おやすみ」

帰る後ろ姿で、久嗣が文句をいっていた。

「そんなにムキになることかね」

久嗣を見る自分の目が冷ややかなことは気付いていた。交際期間を含めてもう二十年の付き合いになる。互いの心が冷え始めたのは、五年ほど前からだ。互いに仕事が楽しくなり、家に帰り、相手がいないとホッとした。

それでも、小佑莉を授かってからは、夫婦に変化が見えた。心の底から喜んだし、産まれて来る日を指折り数えた。しかし、景子の酷いつわりや、切迫早産などを隣で見ていた久嗣は変わって行った。ある日のこと、切迫早産で緊急入院した景子に対し、久嗣は耳を疑う言葉を発した。

「そんなに大変なら、子供、諦める?」

当時、妊娠四か月。景子は敢えて反論せず、久嗣の言葉を封印した。きっと深い意味はないのだと。

手術からひと月が経ち、この日から小佑莉は大部屋に移る。

「ママね、きょうは帰るけど、また明日来るからね」

子供達の遊び場にいる小佑莉は「大丈夫だよ」と笑顔を見せてくれた。時間は午後八時、面会時間が終わる時間、親と離れたくない子供達の泣き声が、あちらこらの大合唱だが、小佑莉は泣かない。

「もぅ慣れっこになっちゃったのかな?」

景子は座って遊ぶ、娘の背中を眺めてそういった。

「小佑莉ちゃん」

景子の母、洋子は名残惜しいのか、孫の元へ。そして孫娘を背中からやさしく抱きしめた。小佑莉が声を押し殺し、泣いていたからだ。物分かりの良い、我慢強い子だと思っていたけれど、それは小佑莉が、自分の感情を押し殺していたに過ぎない。まわりの大人を困らせない為に。

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