鬼と呼ぶ

夜行性

第1話 酒呑童子

 支子くちなしの香気が漂う頃というのに、夜具から出た手足がひやりと冷たい。男の児おのこは畳に体を起こすと、見るからに上等な絹の御帳をかき分けて妻戸の方を見た。隙間から漏れる微かな光で、夜が明けたのを知る。

 

 御帳台から這い出してぺたりと床に足を着けば、部屋の外ではさらさらという衣擦れの音とともにひさしの格子を開けて歩く音が聞こえる。ほどなくして妻戸が開き、男の児と同じ年頃の女の童めのわらわが二人、角盥つのだらい水瓶すいびょうを運んできた。

 

 顔を洗い身支度を整えると、ぐるりと対屋をひとまわり歩き、庭を眺める。広い庭は見事に整えられ池には立派な唐橋が架かり、大きな鯉や鯰が遊んでいる。


 この屋敷に連れて来られてから二日、夜明けとともに起き、何をするでもなくただ日に二度の食事が出てきて、日が暮れると戸は固く閉ざされる。


 そんな風に過ごしていたので男の児は退屈していた。この日もしばらくして朝餉あさげの粥が運ばれて来た。男の児はたまらず女の童に尋ねる。


「そなたの主はどこにある」

 

 女の童は瞬きひとつもせずに答える。


「殿はおやすみでございます」


「いつ起きる」


「日暮れにはお目覚めかと」


「退屈じゃ。この辺に川はないのか。おれは釣りがうまいぞ」


「此方様はこのお屋敷の垣の外にはお出になれませぬ」


 そう言って二人の女の童は折敷おしきに粥とあつものの椀を並べて、物音も立てずに几帳の後ろに控えた。男の児はため息をついて粥の椀を掴むとかき込むように平らげる。


 ここへ来てからというもの、粥も飯も白米が惜しげもなく振る舞われた。夕餉ともなればきじししの肉も山のように並べられる。よほど裕福な家であるらしい。


 再び退屈しのぎに屋敷の中を歩き回るが、どうやらこの屋敷には下働きの奴婢ぬひもおらず、なにより男も女も大人が一人もいないようだ。身の回りの世話をするのもみな男の児と同じ年頃か、それより幼い者ばかりであった。


 池の鯉に手を叩いてみたり、厩を覗きに行ってみたりと屋敷中を見て回り、日の傾いてきた頃に、屋敷の主人を訪ねるのを許された。


 ようやく主人の顔を見ることができる。女の童たちはかいがいしく男の児の世話をするが、人形のようにおとなしく、男の児の退屈を紛らわせてはくれなかった。屋敷の主人ともなれば話の相手にもなろう。弓の腕はいかほどであろうか、そんなことを考えながら男の児は母屋の長い廊下を渡る。


 この山深い場所は日の高いうちもどこか薄暗くひやりとした風が吹いていたが、寝殿の母屋に近づくにつれ、肌を包む空気が一段と冷えていくのを感じる。


 母屋の妻戸が開くと焚きしめられた香が鼻の奥を撫で、いっそう冷たい空気が男の児にまとわりつく。暗い部屋の奥、幾重にも垂れ下がる御帳が音もなく開き、御簾の向こうに気配がある。


「どうした。腹が減ったか」


 主人らしき声が問う。大人の男だが、男の児の父親よりいくらか年若いだろうか。澄明な声が静寂しじまの中に響く。


「いや、退屈でな」


 男の児がそう答えると、主人はふふふ、と袖の向こうにくぐもった笑い声を漏らした。ぼんやりと薄明かりに浮かぶ男の顔は、抜けるように白い肌にそのまなこだけが黄金こがねのような光を浮かべていた。目を細めて男の児に語りかける。


「そうか、退屈か。それはすまなんだ。そなた名は何と申す」


「おれの名は文殊丸もんじゅまるじゃ。お前は何という」


「わしか、わしはそうじゃな、酒呑童子しゅてんどうじと呼ばれておる」


「酒呑童子か、良い名だな。ところで童子、碁は好きか」




 *****




 都はまるで干からびた川のようであった。いつもなら人が行き交う大路も、風が吹き抜け茅の束が転がるばかり。道のそこここに糞を落として歩く牛も、餓鬼のような物乞いも、姿を消した。


 土埃の舞う大路を二人の男が行く。小袴こばかま直垂ひたたれを身につけた男はその年の頃十六ほど。白い額に萎烏帽子なええぼしを着けている。まるでどこぞの姫君のように、涼しい目元に紅色の唇が見目麗しい。


 いまひとりは直垂の前を大きくはだけ、日に焼けた胸で太い腕を組んでいた。烏帽子も着けず、雑に括った髪が風に揺れる。飢えたように光る双眸と太い首がまるで獣のようだが、この男もまた殿上人に劣らぬ端正な顔立ちである。色白の男が言う。



晴明はるあきら殿によると、災いの元は大江の山にあるそうな」


 大男が腕を組んだまま不満げに問う。


「高貴な身分のわらわばかりが拐われていると言ったな。ついに大臣の姫でも拐われたか」


 色白の男はそれに答えなかった。大男は大きくため息をつき、それで、と続ける。


「若君はなんと」


「若君のお考えはわからぬ」


「わからぬでは何もできぬではないか」


「若君はすでに大江山におられるのだ」


「なんだと」


 この二人の男、卜部季武うらべすえたけ渡辺綱わたなべのつなの主は後の源頼光みなもとのよりみつである。この時よわい十二、幼名を文殊丸もんじゅまるという。


 この数年、都とその周辺では神隠しが続いていた。その多くは百姓や物売りの子供らであったが、この年桜の花が満開を迎える頃についに都の貴族の末姫が姿を消した。


 それ以来、検非違使らが物々しく通りを行き交うようになり、日暮れの近くともなれば人々は戸口を固く閉ざして息を潜め、夜をやり過ごした。


 大江山には鬼が住まい、童たちを拐ってきてはその生き血を飲み肉を食らい、夜な夜な大騒ぎをしている、と都のはずれではもっぱらの噂であった。


 帝の命を受け、安倍晴明が星を読んだ結果、大江山に凶星ありとして、文殊丸の父である源満仲みなもとのみつなかにその討伐が命じられた。


 満仲は、幼いながらも賢くまた武勇に秀でた文殊丸に特別に目を掛けてきた。都でも並ぶ者のない勇猛な武士もののふと評判の四人の男たちを文殊丸の下に付け、今回の鬼の討伐を文殊丸に任せることを決めた。


 そこで男たち、卜部、渡辺、坂田、碓井ら四名の武士は、大江山への討ち入りの算段をつけるべく集まった。ところが肝心の文殊丸が、自らおとりとなって鬼に拐われてしまったのだ。




 渡辺綱はそれを聞くと腹を抱えて大笑いをした。人気のない夕暮れの大路、高らかな笑い声が風に運ばれていく。



「笑い事ではないぞ源次げんじ(渡辺綱の通称)」


「いやこれはなかなか。若君はまこと面白いお方よ」


「とにかく、我らも呑気に支度をしている場合ではない。明日には大江山に向かうことになろう。心しておけよ」


「おう」


 二人は通りの外れに繋いだ馬に跨り、源満仲の屋敷へと急ぎ戻った。屋敷にはもう二人の武士、坂田金時さかたのきんとき碓井貞光うすいさだみつらが季武と綱の帰りを待っていた。


「源次よ、どうだった」


 坂田金時が渡辺綱に尋ねる。綱も偉丈夫だが金時はさらに大きい。二人が並ぶと阿吽の像のようだ。綱が市中の様子を話して聞かせる。


「まるで流行り病のようじゃ。みな怯えて隠れておる」


「ふむ、夜になれば鬼が下りてきて童や姫君を拐っていく、か」


「して、若君はどちらに」


「ははは。若君はな、とうに先駆けて敵陣にある」


 綱が愉快そうに言ってのけると、金時と貞光は間抜けた顔をして聞き返す。


「なんだと」


 金時と貞光に詰め寄られて季武は腕を組み、大きく息をついて、もう三日も前に文殊丸は大江山へ拐われていったことを話した。


「殿は何と仰せじゃ」


「頃合いを見計らって助太刀いたせと」


「それはまた呑気な」


「わしは若君がおられぬのを昨夜聞いた」


「なんと」


 こうして四人の武士は大将不在のまま、取るものもとりあえず、鬼の住むという大江山へ向かうこととなった。都からはおよそ三十里、並の者なら三日はかかろうかという道を四人は暁闇のうちに屋敷を出て、二度目の白昼を待たずに山へ辿り着いた。


「やれやれ我らも鬼に拐われれば苦労のないものを」


 金時が懐からほしいを取り出して食いながらぼやくと、貞光が笑って言い返す。


「鬼とて見目良きものを所望とみえる。熊のような男は拐うまい」


「ふん。ではお主も同様じゃな」


 大江山は昼というのに薄暗く、人の行き交う跡もない。ただ険しい山肌にかすかな獣道があるばかりだった。四人はどういうわけか登っても登っても一向に頂上には辿り着けず、それどころか同じ朽木の前を何度も通り過ぎる羽目になった。


 これこそが鬼の妖力なのであろうか。常人であればもうすでに気が触れて力尽きていてもおかしくない。だが四人はさほど思い悩むこともなく、それならば鬼が迎えに来るまでここで酒盛りでもしてやろうと、どっかり腰を下ろして酒を飲み始めた。やがて日も暮れて、辺りが深い闇に包まれた頃、卜部季武が皆に言う。


「まてまて、お前たち。何やら聞こえぬか」


 そう言われて、男たちは暗闇に耳を澄ます。


「何が聞こえる」


「これは、笛だ。笛の音が聞こえるぞ」


「おお、確かに。俺にはかねが聞こえる」


「俺には琴の音に聞こえるが」


「いやいやこれは琵琶の音であろう」


 そうして楽の音の聞こえる方へ、誘われるように茂みの奥へ足を踏み入れると、そこには立派な垣に囲まれた屋敷があった。


 幽玄な楽の音と、何やら良い香りも漂っている。これはまさしくあやかしの住処に違いない。男たちは腰にいた太刀の鍔に指をかけ屋敷の中の様子を窺う。


 すると突然門が音もなく開き、中から女の童が二人姿を現した。中へ入るよう促す女の童に、四人は顔を見合わせながらも誘われるまま、屋敷に足を踏み入れた。


 外からは分からなかったが、中に入るとそれは見事な室礼しつらいで、左大臣の屋敷もかくやあらんというほどの豪華なものだった。先の見えぬ長い廊下を渡って、ようやく屋敷の主人の元へたどり着いた。


 十間はあろうかという広い部屋の奥、下ろされた御簾の向こうに気配を感じる。両脇に置かれた高灯台に、音もなく青白い炎がともると、ずらりと並んだ童の姿が浮かび上がった。


 三十人は下らぬ童たちはみな美しい衣裳を身につけ、人形のように大人しく座っている。そういうことに疎い綱でさえ、この世のものではないのを肌で感じた。


 かすかな衣擦れの音と共に御簾が上がり、この屋敷の主人がその姿を現した。四人と同じ年の頃で、それはきらきらしい姿かたちの男であった。内裏でもこれほど美しい者はないと思われる。そしてその隣には、四人の主である文殊丸が涼しい顔ではべっていた。


「はて、このような寂れた山奥に何用か」


 主人に問われ、綱は季武の顔を窺い見る。季武は一礼して答えた。


「我らはこの先の丹後守様の元へ向かう途中、山中にて道に迷い、途方に暮れていたところをこちらにお助けいただいた次第」


「ほう」


「ついてはその礼として、ぜひ都でも評判の美酒を差し上げたく」


「酒、とな」


 里の者の話では、件の鬼は酒に目がないという。そこで安倍晴明が特別な酒を四人に持たせていた。


「はい。神変奇特酒という、都でも手に入れることができるのはごく一部の殿上人のみと言われる酒でございます」


「それはそれは」


「もしそこな童、これをそなたの主にぜひ」


 そう言って季武は、金時が背負ってきた甕の酒を文殊丸に差し出す。文殊丸はその酒を男の盃へ注いでやった。男は盃を煽ると一息に飲み干して、名残惜しくその唇を舐めた。


「これはまことの美酒。うまし」


 上機嫌の男が扇で膝を打つと、いつの間にか四人のすぐそばに女の童がおり、高坏や椀をいくつも並べていく。そのどれもが貴重な山海の珍味ばかりだった。季武らは見たこともないような白い米が山と盛られた椀を前に目を丸くした。


「遠慮はいらぬ。久しく訪ねる者もなく退屈していたところじゃ」


 男の言葉に、四人は顔を見合わせる。まさか童の肉など食うわけにもいかぬ。ちらりと文殊丸を窺うと、肉や魚を旨そうに食っている。それを見て四人もそれぞれ箸をとり、椀に手を伸ばした。


 男は都の様子を聞きたがり、季武が鬼に怯える人々について話してやると、満足げに頷いた。


 上機嫌の男の盃を文殊丸が次から次へと満たしてやると、ついには甕の酒を全て飲み干し、男はごうごうと鼾をかいて床に伸びた。晴明の持たせた酒は鬼を眠らせる効果があったが、さすがにその名を馳せた鬼とあって、甕一杯をすべて飲ませることになった。


「やれやれ、何といううわばみじゃ」


 文殊丸は、よほど窮屈であったのか、大きく伸びをすると、綱に命じた。


「源次よ、この鬼を討て」


 綱は立ち上がり、腰の太刀に手をかける。床に横たわった美しい男を見下ろして、これが童を食らう鬼なのかとほんのわずか迷った。その様子を見て文殊丸が言う。


「源次よ、妖とは美しい見目をしているものじゃ。お主も惑うたか」


 文殊丸の言葉に綱は気を取り直し、男の胸をその足で踏みつけ、すらりと抜いた太刀を心臓に突き立てる。すると男の額からは松の枯れ枝のような角が伸び、その肌は赤黒く色を変えていく。


 鬼は目を見開き、身の毛もよだつような咆哮を響かせた。屋敷を震わせるほどのその叫び声に、五人の男たちは思わず耳を塞ぐ。


 鬼の胸から立ち昇る血煙のようなもやが部屋中をのたうち回り、見るとずらり並んでいた童たちは、まるで泥人形のように崩れ落ち、そのあとには変わり果てた姿のむくろが転がった。武勇を誇る男どもも、その酷い有様に顔をしかめる。


「源次、首だ、首を切り落とせ」


 季武の声に綱は鬼の胸から太刀を引き抜き、その首へと振りかぶった。

 見事に一太刀で両断された鬼の首は床を転がり、恨めしげに綱を睨みつける。


 文殊丸が固く握りしめられた鬼の拳をあらためると、古びて千切れた衣の切れ端がある。布に手をかけたその時、切り落とされて隅に転がっていた鬼の首が吠えて、文殊丸めがけて飛びかかる。


 金時が間一髪その首に飛び付いて取り押さえると、首は恨めしげに金時の腕に噛み付き、狼のような黄色い牙を突き立てた。綱と季武が駆け寄って鬼の口をこじ開けようと唸るが、びくともしない。それどころかますます深く牙が食い込み、金時は額に汗を浮かべる。


 文殊丸は懐から一枚の札を取り出し鬼の額に貼り付ける。するとみるみるうちに鬼の赤黒い肌がただれ、痘瘡もがさのあとのように醜く溶け落ちた。


 驚くことにその腐った鬼の肉の中から現れたのはまだ年端も行かぬ童の首であった。それでもまだ金時の腕に食らいつくその首に、文殊丸は衣の端切れを見せて言い聞かせる。


「そなたの母御は必ずこの文殊丸が成仏させてやろう。心安く待つがよい」


 それを聞いて童の首はようやくむき出しの牙を隠し目を閉じた。季武が金時の腕を自由にしてやりながら、己の手の中の童の首を見る。


「これは一体」


 その小さな首に季武も驚きを隠せない。


「これが鬼の正体じゃ。その名を酒呑童子という」


 そう言って文殊丸は童の首を箱に収め、その前に胡座をかく。四人の武士たちも次々に腰を下ろして文殊丸の言葉を待った。


「この鬼はもともと里の童じゃ。母親と二人きりで暮らしていたという」


 綱は足元の、崩れた鬼の亡骸の下の小さな手を見やる。小柄な文殊丸よりもさらに幼く小さな白い手だ。


「だがあるときその母親が病に罹った。恐ろしい病で、母親の顔は焼け爛れ、それはひどい有様だったそうじゃ。すると里の者らは母子に石を投げ、棒で打ち付け、酷い仕打ちで里から追い出したという」


 綱は静かに目を閉じた。里の者らの恐れも頷ける、だが幼い子を思えば胸が痛い。文殊丸は淡々と呟くように続ける。


「この大江山に追いやられ、やがて母親は死んでしもうた。残された童子は猿の乳を飲み、山犬に育てられどうにか生き延びた。やがて童子は人恋しさに里に降りたが、里の者らは自らの仕打ちに後ろめたくもあったのだろう、童子を鬼と呼んでいっそう激しく苛んだ」


 男たちは腕を組み、苦い顔でただ押し黙って文殊丸の話に耳を傾ける。


「そうしてどこへも行き場のない童子は山の奥でまむしや蜘蛛や鼠たち、人に忌み嫌われる者たちを友として孤独に暮らしておった。だがある時、里の童が山の住処に迷い込んだ。童子は喜んでその里の童と友になろうともてなしたが里の童は怯えるばかりで童子を罵った。面白くない童子はその里の童を殺めてしもうた。初めこそそれを嘆き悲しんだが、人の子の生き血は童子に力を与え、やがて里から童を拐うようになったのじゃ。そうして童子はまことの鬼と成り果てた」


「哀れなことよ。だがみごと討ち果たすことができてなによりじゃ」


 そう言う貞光に、綱はどこか腑に落ちぬ顔で何かを言いかけるが、言葉が出てこない。


「この童子はな、拐ってきた童に毎度かならず、友になろうと呼びかけるのじゃ。だが誰ひとりそれに答えるものはなく、みなこうして食われてしもうた。わしも童子にぜひ友にと言われてな。おうと答えてやった時のあやつはなんとも嬉しそうに笑っておったぞ」


 それを聞いた綱は、この童子をなお哀れに思い、童子が握っていた端切れを眺めた。そんな綱に文殊丸が言う。


「源次よ、これでようやく童子も母に会えよう。鬼のままでは無間の地獄で苦しむばかり。そなたが童子を救ったのじゃ。気に病むでない」


 文殊丸の一行は山を降りると寺に立ち寄り、童子の首とその母の衣の切れ端を三夜にわたり弔った。寺の和尚にこの大江山の哀れな童たちの供養をよくよく頼み、ようやく五人は都への帰路についた。

 

 

 

 都は文殊丸らの手柄に沸き、父満仲とともに帝の御前に昇殿する栄誉を賜った。満仲の屋敷でも四人を労う宴が催された。白拍子たちの舞を眺めて鬼退治の話に花が咲く。


 綱らはそれぞれ満仲からの褒美を与えられ、惜しみなく酒や魚が振る舞われた。四人は次々に酌を受けてはそれを飲み干す。


「源次よ、鬼の首を討った一太刀、まことにあっぱれな腕前であった。そなたの太刀には童子切の号を授けよう」


「まこと、そなたら剛の者を得て我が一族もますます帝の覚えめでたいぞ」


 文殊丸が綱の愛刀に号を授け、一同はさらに沸き立つ。やがて踊りだすもの下女の膝で鼾をかくもの、各々が遊嬉宴楽、夜は更けていった。


 金時は白拍子を膝に抱き上げ、腕の歯形を見せては鬼退治を大げさな身振りで話して聞かせる。季武と貞光は満仲らと酒を酌み交わし、なにやら話し込む。


 綱は一人、賑やかで酒の匂い立ちこめる部屋を出て、開け放った廂に胡座をかき夜の庭を眺めていた。


「源次よ、都には魑魅魍魎が蔓延っておる。鬼もまたじきに現れよう。——そなた、迷うか」


 不意に気配もなく後ろから声をかけられ綱は振り返る。そこには括袴くくりばかま水干すいかん姿の文殊丸がいた。


「迷わぬ。あれは間違いなく鬼だった。ならば斬る」


「それでよい。かつて人だったものが鬼となる。そなたはふたたび人の子に帰してやっただけのこと。そなたに斬られねば、あれは永劫鬼のまま」


 文殊丸は綱の隣に腰を下ろし、盃を勧める。自らも酒を注いで盃を口元へ運び、思い出したようにぽつりと呟いた。


「おれの元服の日取りが決まった」


 綱は口を付けた盃を止め、脇へ置くと文殊丸に向き直り、両の拳を床について頭を下げる。


「それはめでたく存じ奉り候」


「うむ。おれはいずれ源の棟梁じゃ。そして源は武士の棟梁となる。どういう意味かわかるか源次よ」


 綱は都の勢力争いに興味がなかったが、主である満仲親子がそれほど権力に近しいわけでないことは知っている。


 年若いながらも飄々として掴みどころのない文殊丸は時折こうして謎掛けのようなことを呟く。だが綱は文殊丸がその問いの答えを他人に求めていないであろうと思った。


「なあ源次、じきに夜が明ける」


 文殊丸の言葉に、綱は垣の向こうの空に目をやるがまだ闇深く、満ちた月は高い空にある。綱が文殊丸の方を見ると、微かに笑って続ける。


「忙しくなるぞ。源次、山城の国で竹の中から赤子が生まれたそうじゃ。此度はいかな物怪であろうな」


 そう言って文殊丸は盃を煽って一息に飲み干した。綱も盃を傾けつつ、己の主の正体こそ知らぬが仏よと思案した。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼と呼ぶ 夜行性 @gixxer99

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ