私なのよね

「さ、サヤ……帰ってたのか?」

「うん、ただいまぁ……みーくぅん……」

「ど、どうしたサヤ?」


 帰宅したサヤは、げっそりとやつれた表情で、まるで亡霊のように生気というものが全く感じられなかった。

 もしやもう既にオーディションの結果を知ってしまったのか。


「実はねぇ……駅前のケーキ屋さんで限定発売のチーズケーキを買ったんだけど、さっき帰る途中に転んで落としちゃったの……せっかくみーくんにも食べさせたくて一時間も並んだのに全部無駄になっちゃって、凄くショックだったんだぁ……」

「そうだったのか」


 落ち込んでいる原因はオーディションの件ではなかったか。

 しかし困ったことになった。

 サヤがこのような状態では、とても話せるタイミングではない。


「ま、まあ元気出せよ。ケーキならまた買えばいいじゃないか」

「ううん駄目。あそこのチーズケーキは昼頃にはいつも売り切れちゃうんだよ。一週間かけて。ようやく買えたのに……」

「そっか、サヤは忙しいもんな。じゃあこうしよう、今度俺が買ってきてやるよ。そしたらサヤも食べられるだろ」

「いいの?」

「ああ、なんか俺も食べてみたくなったし」

「ありがとう~、みーくぅん。やっぱりみーくんは頼りになるね……」


 俺がそう言うと、サヤは幾分か元気を取り戻したようで、力なく顔を上げて俺にしなだれかかって来た。


「ふにゃぁ……みーくんのお胸あったかーい……」


 なんか男女が逆だと完全にセクハラ扱いされそうな台詞だ。


「なんでだろうね……みーくんと抱き合っていると凄く落ち着く。昔からそうだったんだよね」

「まあ昔に比べると俺は見る影もなく落ちぶれたけどな」

「ううん、そんなことないよ。みーくんがどれだけ変わっても私の気持ちは変わらない。格好良いみーくんも、格好悪いみーくんも、私は全部好きだから……」

「そうか……」

「みーくんも同じ気持ち?」


 サヤが上目遣いで見つめてくる。


「うーんどうかな……完全に一緒っていうのは難しいんじゃないかなぁ。もちろんいくつか一致するところはあると思うけど……」

「もーう、みーくんのいじわるぅー。でもそういうとこも好きぃ……」

「ははは、ゴメンゴメン。ちょっとからかいたくなっただけだよ」


 サヤはちょっと拗ねたように俺の胸に顔を埋める。

 ここでいい加減な回答をするのはどうかとも思ったが、元気づける為には笑いを取ったほうがいいだろうと判断したのだ。そしてそれは良い方向に結果が向いた。


「あーあ、これでドラマのオーディションに受かったって知らせがあったら元気になるんだけどなあ……」

「……う」


 思わず言葉に詰まる。

 せっかく立ち直りかけていたサヤを、ここで崖下に突き落とすことをしていいのだろうか。 


「ねえ、私の留守中に矢吹さんから電話とかなかった?」

「さ、さあ……どうだったかな? 映画見てたからわかんないな」


 俺の馬鹿野郎! なんですぐバレる嘘をついてしまったんだ。

 でも俺にはそんな残酷なことは出来ない。 


「あのぉ、お取込み中のとこ悪いんだけど。私のことを忘れてない?」


 俺が胸の内で激しい葛藤と戦っていると、背後から聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、いつの間にそこにいたのか、玄関へと続くドアの前に里美さんが立っていた。


「さ、里美さん。いつからそこに?」

「最初からずっといたわよ。私も一緒にチーズケーキを食べたくてね。アナタは気づいてなかったみたいだけど」

「す、すいません。ちょっとサヤを慰めるのに必死で……」


 平身低頭で謝る。

 なんだかこの人の前だと自然と腰が低くなってしまうのはなぜだろう。

 なにか有無を言わせぬ威圧感があるのだ。

 マジセプ内でも彼女に逆らえる人は少数らしい。


「ところで、さっきから様子がおかしいけどなにかあったの?」


 サヤが着替えに自室に戻っている間、里美さんがそんなことを言い出した。


「え、なんでそんなこと言うんですか?」

「だってさっきからサヤと話していると凄く申し訳なさそうな顔してるじゃない。なにかまずいことでもしちゃったんじゃないの?」

「いや、俺がやったんじゃないんですけど……」

「『俺』が?」


 表情だけでそこまで読み取るとは。恐るべき観察眼の持ち主だ。


「でも良くわかりましたね。俺が悩みを抱えているって」

「まあよくチームの悩み事とか聞いてるからね」

「おお、流石はマジセプのお母さん!」

「お姉さんでしょ……。勝手に人を子持ちにしないでくれる?」

「すいません、間違えました」


 それにしてもこの人にオーディションの件を相談すれば、なにか良いアドバイスを貰える気がする。


「……で、なにがあったの?」

「その……実は――」


 俺は所々で口ごもりながら、矢吹さんと電話で話したことを説明した。


「あーそのことね……」


 しかしどういう訳か話を聞き終えた里美さんは、先ほどまでの余裕はどこに行ったのか、決まり悪そうにポリポリと頭をかく。


「どうかしたんですか?」

「実はそのオーディションに受かった役者ってのが……私なのよね」

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