その内なんか良いことあるって!
「もしオーディションに合格したら、お祝いにみーくんキスが欲しいな」
「え……あ、いや……そ、そうだな……」
俺はちょっと言い淀んだ。
いや、遅かれ早かれこうしたことは避けて通れないだろうと覚悟はしていた。ただあまりにもタイミングが唐突だった為、なんと答えていいかわからず返答に窮してしまったのだ。
「ね、いいでしょ?」
だが、こんな上目遣いで見つめられたら断ろうにも断れない。
「あー……わ、わかった、いいよ。テレビドラマに出るなんてそれくらい凄いことだもんな」
「やったぁ! 嬉しいっ!」
感極まったサヤは、凄まじい勢いで俺の胸に飛び込んできた。
ちょっとサヤの前では言えないが、ぶっちゃけ軽く殴られたくらいの衝撃を覚えた。
「初めて会った時からずーっと大好きだよ! 私、みーくん以外の人なんて絶対に考えられないもんっ!」
サヤの華奢な体躯からは考えられないくらい強い力で締めつけられ、耐えきれずに呻く。
胸の辺りで頭をグリグリ押しつけられるのも地味に効いた。
「うぐっ……ちょっと待ってくれサヤ。そんなに強くされたら苦しいって……」
「ご、ごめん……」
しかし勢いに任せて思わずとんでもない約束してしまった。後から急に羞恥心が込み上げてくる。
だだ、むしろなにか食事を奢るとか、金銭的なことじゃなくて良かったという気持ちのほうが強い俺はドケチだろうか。
もしこれで不合格だったら、サヤをぬか喜びさせることになるが……。
マネージャーの人が来てから今日ではや一週間。
今日はサヤが朝から仕事で出かけている為、自室に引きこもってサブスクでお気に入りの映画シリーズを一気見していた。
母も買い物に出かけているので、家には俺しかいない。
サヤは昼過ぎには帰って来ると言っていたから、ちょうどこの映画を見終わる頃には家に着いているだろう。
そんな時、スマホの着信音が鳴った。
「はい、もしもし?」
「あ、どうも。先日お宅にお邪魔した矢吹という者ですが……」
「ああマネージャーの……」
「ええ、その節はどうも」
彼女は丁寧な言葉遣いで、挨拶をする。
しかし俺のスマホにかけてくるとはどういう用件だろう。
自宅やサヤのスマホにかけてこなかったということは、俺になにか用があるのだろう。
「それで、なんで俺に電話してきたんですか?」
「実は例のオーディションの件なんですが……」
オーディション。
あのサヤが受けたテレビドラマのオーディションのことだ。
もう結果が出たのか。
しかしその重々しい声からして、あまり良くない知らせであることが察せられた。
ということはつまり――
「残念ながら今回は受かりませんでした」
「そう……ですか……サヤは自信があると言ってたんですが……」
「ええ、実際スタッフからの評価は非常に高かったのですが、他に物凄いはまり役がいたらしくて、惜しくも次点だったそうです」
「そうなんですか」
上には上がいる。
人生はドラマと違って必ずしも自分が主役になれるワケではない。いや、今回の場合はライバルキャラだが。
自分のことではないとはいえ、やはりショックだった。
俺も受かるものと思っていたからだ。
ともかくこれでキスをする話もなかったことになったワケだ。
ホッとしたような残念なような……。
「それで、どうするんですか。サヤにはどう伝えるつもりなんですか?」
「あーそのことなんですが……結果はアナタの口から伝えて頂けないでしょうか?」
「え」
なんだって?
「いやいやいやちょっと待ってください。そういうのは本来マネージャーの仕事じゃないですか。なんで俺にやらせるんですか」
「ホラ、こういう悪い知らせは一番ショックが和らぐ人が伝えたほうが良いでしょう? それが誰かって言ったらアナタしかいないと思うんですよね」
「それってただ俺に嫌な役目を押しつけているだけじゃないですか」
「そんなことはありません。私は常になにが最善かを考えて行動しているんです」
なんだか政治家の詭弁を聞いているような気分だ。
「じゃあそういうことですから後はよろしくお願いしまーす」
「ちょ――」
俺は尚も反論しようとしたが、一方的に通話を切られてしまった。
なんという人だ。マネージャーとしてあるまじき行為。
後に残された難題に俺は、突然降って湧いた頭を悩ませた。
どうやってサヤに伝えよう。
躊躇している暇はない。
出来るだけ今日中にオーディションに落ちたことをサヤに伝えなければ。報告が遅れれば遅れるほど、ショックは大きくなる。
とはいえ、どう切り出せばサヤを傷つけずに済むのか、それがわからない。
いや、内容が内容だけにそれは回避不可能か。
ここは逆に思い切り明るい感じで言ったほうが、ショックは軽減されるんじゃないか。
「やあサヤ、突然だけどオーディション落ちたんだってさ。はっはっは、まあクヨクヨするなよ、その内なんか良いことあるって!」
……どう考えてもこれは最低の悪手である。
もっと当たり障りのない言い方が出来れば良いのだが。
「あー落ち着いて聞いてくれサヤ。実はオーディションに落ちたらしいんだ。でも落ち込むことはないぞ。サヤの演技は凄く良かったって言ってた」
まあ大体こんな感じか。
あるいはもう少し重苦しい言い方にしたほうが良いか。
「サヤ……悪い知らせだ。オーディション駄目だったよ。残念だ、サヤならきっと受かると思ってたのに……」
「なにが受かると思ってたの?」
「――わっ!?」
突然、背後から声がして振り返ると、そこにはサヤが佇んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます