元気出た?

「なあ見ろよ。今週のヤン○ガの表紙、紫苑紗花だぞ」


 斜め前の席で、漫画雑誌のグラビアページを眺めている男子の会話が耳に入る。

 雑誌には可愛らしいフリルのついたビキニを纏ったサヤがポーズをとっている。


「この健康的な色気が最高なんだよな」

「そうそう。秋山里美や伊吹鈴夏みたいな大人の女も良いけど、まだ成熟してない発展途上の身体って希少価値高いよな」

「すげーわかるわ」


 お前らはどこのスケベ親父だよ。

 それにしてもわかってはいたが、世の男共がサヤそういう目で見ていると考えると何だかモヤモヤする。


「なに一人で変な顔してるの水輝?」


 前の席で弁当を食べていた愛美の声が、俺を現実に引き戻した。

 席替えで彼女が近くに来てからは、博之と三人で弁当を食べる機会が多くなった。


「まあアンタが変な顔なのはいつものことだけどね」

「ひでえ言い草だな……。だったら訊くなよ」

「サヤちゃんのこと考えてたんでしょ?」

「…………」


 俺はなにも言い返せなかった。

 図星だったからだ。


「さしづめ前の男子達の話を聞いて嫉妬したといったところか」


 博之が眼鏡をクイッと上げて鋭いところを突く。

 俺ってそんなに顔に出やすいタイプなのだろうか。


「そんなんじゃねえよ」


 しかし素直に認めるのも癪なので、とりあえず否定しておく。


「アンタも幸せ者ね。現役のアイドルに好かれるなんて。絶対に悲しませるんじゃないわよ」

「ああ、わかってるよ」

「だが逆に苦労することもあるだろう。日本中の男が狙っているワケだからな」

「サヤは変な男に引っかかるような奴じゃないから大丈夫だよ」


 まあサヤにそういう視線が集中することに対して、嫉妬を感じないと言えば嘘になるが。


「でも相手が男だけとは限らないんじゃない?」

「ん、どういう意味だ?」


 愛美の言葉の趣旨が理解出来ず、俺は訊き返す。


「知ってる? ここだけの話なんだけど、例のサヤちゃんのファンクラブには女子の会員もいるんだって」

「そ、そうなのか……?」

「しかもクラブの副会長は女子水泳部の部長なんだよ。あの人ね、凄く美人なのに一度も恋人作ったことないでしょ? なんでも男性には興味がないらしいのよ」

「マジかよ」


 そう言えば女子水泳部の部長はそっち系の人で有名だという噂を耳にしたことがある。

 あれは本当だったのか。


「気をつけなきゃいけないのは男だけじゃなく、言い寄って来る全員だと思うでござるよ」

「……肝に銘じておきます」


 最近は昔より多様性が重んじられる世の中になったと言われるが、同時に新たな恋敵まで現れるようになったのかもしれない。


「だが安心しろ水輝。例えどんな奴が現れたとしても、お前達の仲は引き裂けやしないさ」


 博之がいつになく強い口調で断言する。


「それに、俺達もついている。大親友の恋路を邪魔する奴はこの俺達が絶対に許さない」

「博之お前……お前がそんな事を言うなんて怪しいな。なにを企んでいるんだ?」


 コイツは見た目と話し方こそ優等生でありながら、中身は非常にいい加減な性格なのだ。

 なんの企みも無く、こんな情に厚いことを言うはずはない。

 絶対になにか裏がある筈だ。


「……実は今日の昼飯代を持って来るのを忘れてしまってな。大親友に折り入って頼みがあるのだ」


 やっぱり。

 さっきから自分の弁当を出そうとしなかったのはそういう訳があったのか。


「……いくら欲しいんだ?」

「カツ丼定食の大盛り――学食で一番高いメニュー――だ」

「今日はラーメン――一番安いメニュー――で我慢しろ」


 冷たく突き放して、俺は机に小銭を置いた。


「ケチな友人を持って俺は幸せ者だよ」

「嫌味を言う前にまずお礼を言え、バカ野郎」


 恩知らずな友人を持った俺は不幸せ者だよ。

 博之が居なくなった後、俺と愛美は自然と二人だけで昼飯を食べる事になった。

 いつもは三人なので、今は何となく気まずい気持ちがする。


「なあ愛美」

「ん?」


 相変わらずやる気のない声。


「博之が居なくなったし、別々に食べた方が良くね? 二人だけだと変に誤解されるかもしれないだろ。俺は良いから他の女子のとこ行けば」

「アンタってそういうこと気にする奴だったっけ?」

「いや、でもお前の方はどうなんだ?」

「似た質問になるけど、私ってそういうこと気にする奴だったっけ?」

「いや……」


 確かに俺達は今まで周囲の目というものをあまり気にせず一緒に行動していた。

 去年の一時期なんかは、二人が付き合っているという噂すら流れた事もあったが、お互い気にもとめなかった。

 普通の人間が、重力が存在する事について深く考えないように、十年近く一緒に居るのに、特に相手の事を何とも思っていない。

 実際、友達と言っていいのか疑問なくらい冷めた関係である。

 腐れ縁と言うヤツなのだ。 

 今になって気にするようになったのは、恐らくサヤの存在が大きいと思う。


「まあむしろ誤解されたほうがいいかもしれないけどね」

「なんで?」

「だってそのほうがアンタに変な虫がつかないでしょう? 私、サヤちゃんと約束したんだ。学校にいる間は私がアンタを見張っててあげるって」

「おいおい俺が浮気するとでも思ってるのかよ」


 自分で言っててなんだが、付き合っているわけでもないのに浮気というのもおかしな話だ。


「そういや、前々から気になってたんだが、愛美はなんででそこまで俺とサヤの世話を焼くんだ? わざわざ赤の他人にそこまでする必要はないと思うんだが」

「……ん、もしかしてアンタ覚えてないの? 昔サヤちゃんとアンタに約束した事」

「約束?」


 心当たりがなさ過ぎて、俺は首を傾げる。

 昔というからには、小学一年生の頃の話だろうが、全く思い出せない。


「遠足に行った時、弁当を忘れた私にアンタとサヤちゃんが自分達のおかずわけてくれたじゃない」

「ああ、言われてみればそんなこともあったなぁ」

「んで、その時になにか恩返しがしたいって言ったらサヤちゃんが『じゃあみーくんと私が結婚出来るよう手伝って』って言ったから」

「え、じゃあまさかお前、今でもその時の約束を守ってるって言うのか?」

「我は約束したことは必ずや成し遂げる主義なのでござる」


 淡々とした口調で語る愛美だが、彼女は昔から妙に義理堅い側面がある。

 もはや義理堅いを通り越して重いくらいだ。


 それは子供の頃の他愛ない約束。

 大人になればそんな約束をしたことさえ、忘れてしまう人が大多数だろう。

 だが中には例外もいるようだった。


 ちょうどにも一人――


「ガキの頃の約束なんだし別にそんな必死にならなくてもいいんじゃないか。サヤもそこまでして欲しくて言ったんじゃないと思うんだが」

「獅子はウサギを狩るにも全力を尽くすという」

「俺はウサギ扱いかい……」


 行き過ぎた気遣いは単なるお節介でしかない。

 愛美の場合はその境界線を行ったり来たりしている気がする。


「冗談はさておいて、サヤちゃんが嫌だと言えば素直にやめるわよ。でもアンタだって何だかんだで私に助けられた事はあるでしょう?」


 それはあながち否定出来ない。

 だが同じくらい余計なお世話だった事例があるのも事実である。


「まあ何にせよ程々にしてくれよな。行き過ぎは良くないぞ」

「わかっているわよ」


 愛美は本当に昔からサヤにだけは甘い。

 本人曰く、サヤは一番の親友だからだとか。

 俺達は、二人だけで黙々と弁当を食べ続けた。




「おっかえりぃーみーくん! 待ってたよー!」


 帰宅して、サヤが開口一番そんな言葉で迎えてくれた。

 突然、飛び込んできた光景に、目を白黒させる俺。

 白黒させた原因は、目の前に居るサヤが、フリルのついたビキニを着ているせいだ。


「な、何て格好してんだサヤ……」

「あのねぇ、愛美ちゃんが電話でみーくんが学校で元気無さそうだったから励ましてあげてって言ってたのっ」


 アイツ、余計な事を教えやがって……。

 恐らく例の男子達の会話を盗み聞きしていた俺をからかう為に愛美が差し向けたのだろう。


「その格好も愛美の差し金か?」

「そだよー。ねえねえ、みーくん。似合ってるかなこの水着?」

「お、おお。そうだな……」


 水着姿のサヤがぐいぐいと近づいてきて、反射的に顔を逸らす。

 一般的なビキニと比較して、露出度はそれ程でもないが、目のやり場に困る。


「でもその格好のままじゃ一緒に遊べないだろう。早く服を着て来いよ」

「元気出た?」

「ああもうバリバリ元気だよ。いつまでもそんな格好してると風邪ひくぞ」

「はぁーい」


 危うく全く別の意味で元気になるところだった。

 愛美の奴、明日学校で会ったら覚えていろよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る