3.合言葉

 実感のない記憶は経験とはならない。


 私は記憶と実感を結びつけることに成功した。要するに新たな人格を人に植えつけられるということだ。


「あの兄弟には感謝しないとな」


 学生時代に親交があった牛田という男から兄を殺してほしいと連絡があったときは驚いたがこちらにとってもリスクを鑑みても余るほどの利点があった。

 彼は兄の保険金を全額私に譲るという約束をした。そして何より、被験者が人を殺せるのかという禁忌の実験を行える、この点だけでも十分やる価値がある。


「しかし兄弟殺しとはなかなか罪深いな、むわわわわ」


 結果として実験は成功した。私の研究は表ではトラウマ治療と謳っているため、保険金は研究費として全くの不信もなく受け取れた。


 ただ、おかしな点が一つだけあった。

 牛田は事故の後から兄の幽霊を見ると言って何度も連絡をしてきた。一度日本へ向かいその際に治療を行ったものの効果はなく、それは何度治療を行っても同じだった。


 科学を信仰する私としてはこのような超自然的なことを受け入れたくはなかったが、あの目はまさに呪われているようにしか見えなかった。


 呪いといえば私にもおかしなことが起こった。

 日本に行ったついでに生物学上の娘に会ったのだが、その数日後に自殺をした。


 親族、といっても片手で足りるほどだが、親しかった者たちだけで葬式を行った。日本の文化がもともと好きだったのもあり中々良い経験ができた、ただ一つを除けば。


 葬儀の場で娘の彼氏だという青年と会話をした。

 彼はあまりにも美しく、そして普通だった。


 娘の葬式を異文化体験として楽しんだ私が言うのもおかしな話だが、彼の表情はとても場違いだった。


 一度だけ目があったのだが、あの目は何年もたった今でも忘れられない。


 そして先週、私の研究成果の発表を行ったその日に牛田は殺された、大学生だった彼の甥に、調理ナイフで。

 幸い牛田の甥はすぐに自首をした、私が彼に殺されることはないだろう。もし、私が牛田の兄の死への関与を疑われたとしても証拠は一切ない。それほど完璧なのだ、この研究は。


「家族とは、なんとも理解し難いものだ」

「ああ、そうだな。アイザックさん」


 書斎のドアが開くのとともに、声が聞こえた。


 あの目だ。


「き、君は!」

「お久しぶりです。遠いですね、ドイツって」


 飄々とした態度のままこちらへと近づいてきた。


「そういえばあの時、自己紹介してませんでしたね。牛田です。牛田ヨシタカです」

「ウシダ?」

「そう、牛田ですよ」


 頭の中で全てがつながった。

 だがしかし、もしそうならなぜ彼はここにいる。


「幽霊って信じますか?」


 こちらが思ったことを言う前に話しかけられてしまった。


「な、なにを言っているんだ君は?」

「あれ、日本語だと伝わらないのかな。ゴーストですよ、ゴースト」


 幽霊くらいわかる。この場にいるはずのない人間がそんなことを言っている意味が分からないのだ。


「悪いがそんなもの存在しないよ。ただの脳の錯覚さ」

「なるほど、錯覚ですか。僕も同じ様な意見です。バグですよ、幽霊なんて」


 そう言って彼はドアのほうへと歩いていく。


「もう帰るのかい?お茶くらい出すよ、わざわざここまで来てくれたのだし」

「いえいえ、まだまだ帰りませんよ。そうですね、なら三人分お願いします」

「何を言って…」


 彼がドアを開けたとき私は言葉を失った。


「もう入っていいよ、霧崎」


 ドアの開閉によって揺れた空気がこちらへと伝わってくる。

 部屋の外で待っていた人物が入ってくる。足がただの二本の棒になったような感覚がする。少しでも体を動かせば間違いなく倒れてしまう。


 これは匂い。


 今、目に見えているものは到底信じられるものではなかった。しかしそれ以上に部屋を満たす甘く蜜のような空気が呼吸をするたびに私の脳をドロドロに融かしていくのに抗えなかった。


「お久ぶりです。いえ、初めましてですね、お父さん」


 娘だ、間違いない。私の赤髪、妻の優しい瞳、あのときのまま、あの時のままだ。


「出発点は違っていても同じ様な終着点にたどり着くんですかね?」


 彼は何かを考えるようにつぶやいた。


「い、意味が分からない」


 何もかもが分からなくなった。部屋中の空気が脳の思考の邪魔をする。


「とある生物学者が虫を見つけたんですよ、動物の死体に巣をつくるミツバチを」

「それが何だと言うんだ」


 彼は淡々と喋る。


「女王バチを別の死体に移すと全く同じ巣ができたんです。別の巣と全く同じ巣が瞬時に」


 そこまで言って彼は一息ついて、娘の胸を指さした。


「食べたんですよ、俺は。叔父さんの体に巣食っていた蜂を」


 人間を食べたのか、君は…。

 

 あの目はやはり狂気の目だったのか。


「あんまり覚えてないんですけどね。ただただ殺したかった、それだけです」


 喋るのをやめ、こちらへと振り返る。


 そしてもう一度彼の目を見てハッとした。


 これは違う。狂気の目ではない。この目は、あの目は…。


「現実を見すぎたんだ。向き合いすぎた目だ、事実と」

「何を言ってるんですか、急に」


 自然な表情で笑う彼を見て、体の芯が凍えて縮み上がる。

 あまりにも自然で完璧な笑顔、だからこそ不気味なのだ。


「さて、もう十分かな。もう質問は受け付けない。霧崎、あとは好きにしてくれ」

「は、はい!」


 彼と目が合うと少し恥ずかしそうに眼をそらす娘。


 何が起こっているのだろう、そして何が起こるのだろうか。


「“命令”です。これからはドッグフードと水だけで犬のように生活しなさい」

「はい!」

「はい、じゃないでしょ?ワンだよ、ワン」

「ワン!」


 ワン、ワン!


「終わりました、タカ君。これかれどうしましょうか?」

「飯でも食おうか」

「いいですね、私おいしい中華屋さん見つけたんです」

「奇遇だな、俺もいい店知ってるぞ」


 ワン!


 ワワワワン!








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 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 これにて完結です。


 新作投稿いたしました。


 三話ほどの短編です。

 鯨の見た夢~聖騎士と魔女のよくある話~

 https://kakuyomu.jp/works/16817330649242010446

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