4.《蠢動》スクワーミング

 群れをなす動物は自らの弱さを補う為だけでなく、効率よく獲物を狩るために仲間と行動を共にする。しかし、どんな群れにもそれを統率する存在がいる。彼ら統率者たちは群れの者たちと一体どんな違いがあるのだろう。言葉を持たない動物が何を持ってして統率者を決めるのか。


 いつも通りの学校での生活。牛田が顔を青くしてきた以外は特に変わったことはなかった。校庭で騒いでいた生徒たちの多くが二年だった所為だろう。二年の学年主任の牛田が全責任を追わされる形になったに違いない。


「霧崎さん、ここは?」 

「え、えっとここはね」


 霧崎の席に何人かの生徒が数学の問題の解き方を聞にきている。朝からこの調子で、彼女は戸惑いながらも丁寧に応えていた。


「ありがとー!ずっとわかんなくて困ってたんだぁ。ほんと助かったよぉ」

「い、いえ。あ、あの、どういたしまして」


 なれない経験に少し疲れたのか深い呼吸をする霧崎。緊張のせいか少し震えている、しかしどこか暖かさを感じる表情をしていた。


「優しいね、やっぱり」

「え?ど、どうしてですか」

「だって今までずっと酷い扱いされてたでしょ、みんなに」


 霧崎と会う前、彼女がどんな扱いをされてきたのか詳しく知らないが少なくともこの世界は彼女に優しくなかった。

 一度、電車に乗っているところを見かけたことがある。彼女の乗っている車両は誰一人乗っておらず、電車が駅に止まりドアが開くたび、他の乗客は彼女を避けるように違う車両に乗っていた。

 人が彼女を汚物を見るような目で避けていくたびに彼女は申し訳なさそうに俯いていた。


「そ、それは私が悪いんです。今はただ幸せです、こんなふうに色んな方と話せて」

「それは違う、お前は悪くない。それだけは忘れないで」


 悲しい自虐だ。


「は、はい。ありがとうございます」

「ていうか、俺は?そんなに楽しくなかった?俺と話してて」


 狡い聞き方をした。霧崎が俺のことをどう思っているのか全くわからない。今までを振り返ってみるとろくなことをしていない気がする。勝手に弁当を食べたり、抱きついたり、その他色々。


「そ、それは別です!心の底から信じてます。だって、神様ですから」

「そ」


 その後も何人かの生徒が霧崎の元にきた。その度に優しく応える彼女。ただの世間話をするだけの生徒もちらほらいた。

 俺はこの学校の生徒と職員に一つの“命令”をした。彼女の服装について疑問を持たないこと、ただそれだけだ。


「霧崎、飯いこ」

「は、はい」


 教室を出て、いつもの部屋へ向かう。


 少し後ろを歩く霧崎の方へ振り返り、大事に抱える弁当を上からさらうように奪う。空いた手を握る、彼女の少し冷たい体温が右手に伝わってくる。


「やっぱり人間だよ、俺も」

「ふふふ、そうですね」


 優しく、それでも抜け落ちないようにしっかりと握り返される。笑って細くなった瞳の奥には見るもの全てを肯定する慈愛に満ちていた。


 ◆


「唐揚げちょうだい」

「はい、どうぞ」


 最近、あまり自分の手で昼飯を食べていない気がする。ふと、霧崎からからげを食べさせてもらいながら思った。


「うっま、サクじゅわ」

「ふふ、よかったです」

「あ、お茶忘れた。ちょっと買ってくる」

「あ、あの」

「ん?」

「よかったらこれどうぞ」

「それ霧崎のでしょ、いいの?」

「は、はい」


 どこに隠していたのかわからないが水筒を取り出した霧崎。


「うっま、何これ!」

「あ、レモンハーブティーです」


 レモンの酸味と鼻から抜けるミントのスッとした風味が唐揚げの油を溶かしてどこかへ消していく。紅茶の甘さが少しだけ口に残り、しょっぱいものが欲しくなる。

 食欲が止まらなりそうだ。悪魔はどこにでもいる、誘惑は常に身直に、食べ物にすら。


「まさか、手作りとか言わないよねこれ」

「て、手作りです」

「暇なの?」

「ち、違いますよ!趣味なんです、紅茶を作るのが」

「ははは!冗談冗談。美味しいねこれも」

「あ、ありがとうございます」

「今日はもういいかな。お腹いっぱい」

「も、もういいんですか?」


 少し大きめのお弁当を半分以上食べた。箸を持っていないので霧崎が自分で食べるタイミングもほとんどなかった。


「うん、かなり食べちゃったし。ほら、箸貸して。どれ食べたい?俺が作ったわけじゃないけど」

「え、えっとじゃあ––」


 親鳥が子供に餌付けする気分を味わった。人と違う愛の形、それでも動物同士通じ合う部分がある気がする。


「ご馳走様、いつもありがと」

「い、いえ」

「あ、そうだ、ジャケット。効果がなくなってきたら教えて。新しいのあげるから」


 これは推測だが、何年も着ていたジャケットに俺の匂いが染み付いて霧崎の匂いを打ち消しているのだと思う。何ヶ月持つかわからないがまだ大丈夫だろう。


「あ、いえ、その…」

「ん?」

「な、なんだかズルをしているみたいで」


 少し浮かない表情の霧崎。


「それは高望みだよ、悪いけど」

「そ、そうですか」

「普通に生活する、そのための単なる一つの手段だよ」

「で、でも。わ、私は今までのままでもいいんです」

「良いわけないだろ!」


 たった一つ、体質が人と違うだけで誰とも関われず、蔑まれながら生きる。それでも、どんなに酷いことをされても、人に優しくできる人間がそんな扱いをされるのは間違っている。


「別に、仲良く会話なんてしなくてもいい。人として、友人として、今までの君の生活を俺は許せない」

「良いんですよ私は、別に。私に対してどんな接し方でも、その人にとって大切な方がいるはずです。その人にさえ優しくしてくれれば」


 自分を犠牲にする、いや犠牲にすらならない。ゴミ以下だそんな考え方。


「みんなとお話ししたり、あんな風な学校生活をずっと夢見てきました。でももう十分なんです。幸せがいっぱいです。それだけで何年でも生きていけます」

「ダメだろそんなの。じゃあ、誰がお前に優しくするんだよ。知ってるだろ、見てきただろ、家族や友達同士の楽しそうな会話を。お前にだってできるんだ、そんな当たり前の生活が。それにいままでよりももっと辛くなるだろ。これから、全てが元に戻ったら」

「大丈夫ですよ。それに私、将来お薬を作るっていう夢があるんです。私みたいな体質の子が辛い思いをしなくてすむように。実は、昔お母さんに聞いたんです。私のお父さん薬学と医学の偉い人らしくて、もしかしたら私にも才能があるかもしれないんですよ」


 会ったことすらないはずの父親、いるかどうかもわからない自分と同じ境遇の子供、全てが虚構に思える。それでも彼女はそれらを頼りに、自分に与えられたもの全てを使って生きることを選んだのだろう。俺と会うよりももっと前に。


「もういい、もういい!わかった、いつまで一緒にいられるかわからないけど、俺だけはお前のために生きてやる。世界を変えることはできないかもしれない、でも今とは違う景色を見せてやる」

「はい、信じてます。できることならずっと一緒にいて欲しいです、私の神様。あなただけが私の心を暖めてくれるんです」

「うるせぇ」

「ふふふ」


 霧崎の顔を見ることができなかった。


 おそらくあの表情をしているだろう。太陽のように周り全てを照らし温かい光で包み込む。どんなことがあっても彼女がいれば大丈夫、そんな気持ちにさせる笑顔を。


 ◆


 朝の学校では、朝練をする生徒やわざわざ早めに来て友達同士で遊んでいる生徒をよく見かけた。ただ今日はいつもと様子が違っていた。


 少し太った男子生徒たちが校庭に並べられていた。そして彼らと対面するように立っている生徒が2人。この二人はおそらく生徒会関係の生徒だろう。


 この前と似たような雰囲気だ。


「よぉし!お前ら、肩を横に振れ!さあ、イッチ、ニッ、イッチ、ニッ」


 手を後ろで組んだ肥満体型の男子生徒達が号令に合わせて肩を横に振る。胸が横に揺れる。


「ちがーう!もっとだ!もっともっとだ!」


 生徒会生徒が喝を入れる。


「そーれいくぞぉー!」


 校庭の生徒たちが一斉に叫びだす、何かに取り憑かれたように。


「ゆーれーをあーいせ!!ゆーれーをあーいせ!!」


 一心不乱に揺らすせいで八の字をえがいて胸が暴れる。


 この運動を汗だくになりながら何度も繰り返す。他の生徒たちも教室の窓から興味深げに校庭を見つめている。


 途中で真っ青な顔をした牛田が止めに入ったことでこの奇怪な集会はお開きになった。


「あ、おはよう、霧崎」


 珍しくポニーテールで登校してきた霧崎。今日はもういつもの制服姿だった。


「おはようございます」


 柔らかい表情で返事を返す霧崎、わかりにくいが微笑んでいるように見える。


「巨乳っていいよね」

「え、え?」

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