3.《流動》フロウィング

 ひんやりとした川を流れていく。太陽が熱く照りつける川辺で一生懸命遊んでかいた汗を、透き通った水流に混ぜて洗い流しながら。自分自身も川と一体になって、海と山と大地の生命の循環を手助けしている。自分は全ての生命で、全ての生命は自分からできている。


 ふと頭を撫でらていることに気がつく、髪を梳かすように優しく。すぐ近くできこえる心臓の鼓動、サラサラとした肌の暖かさを頬に感じる。


「ん、ぁあ…。霧崎…」

「あ、起きた」


 ベッドの上で横になって抱き合う上半身裸の男と上半身下着姿の女。最後の記憶とほとんど同じ格好のままで安心した。だが今は、安心するというより、放心している状態に近い。


 時間が流れる感覚がどこまでも引き伸ばされる。頭の中の時計の振り子が3次元に揺れている。


「今何時だ?」

「わかんない。でもほら、真っ暗だよ」


 いつもと違って落ち着きのある受け答えをする霧崎。


「なぁ、ちょっと離してくれ」

「だめ。じっとしてて」


 俺の頭を抱きしめて離さない霧崎。


 どうにか甘いとりもちの罠から抜け出す。

 ベッドから這い出て、すぐ近くの椅子に腰掛け机の電気をつけて部屋を明るくする。


 特異体質になる要因として、『パルファム器官』が『興奮』と『沈静』の両方を持って生まれてしまうことが挙げられていた。


 普段、霧崎と俺は強すぎる『パルファム器官』のせいで『興奮』の部分までだけしか感じられていなかったのだろう。今この極限まで頭が冴えきった千里眼並みの思考は『沈静』の効果に違いない。

 バイオリズムの波が、ある点で折り返し『興奮』から『沈静』へとシフトチェンジされたのだと思う。


「もう6時だ、なんか食うか?」

「だめ、こっちきて」


 霧崎を一旦無視し、部屋を出て向かいにある洗面所に向かう。


「うっわぁ、これはやばいな。もしかしたら色々やっちゃったかもしれんな」


 首から胸、脇から腰ほぼ全身に虫に刺されたような赤い跡がたくさんできていた。おそらく背中側も同じようになっているはずだ。

 今は怖くて確認できないが、太もも近くにも同じような跡があったら絶対にアウトだ。


 顔を冷たい水で洗い流し、頭のスイッチを切り替える。戸棚から、新品のタオルを取り出し濡れタオルをつくる。


「ほら、ちょっと頭冷やせ」


 部屋に戻り、霧崎にタオルを投げる。


「もう!投げなくてもいいのにぃ」

「うっせ」


 子供をあやすように慈愛に満ちた表情の霧崎。見覚えのあるこの表情に、やるせなさを感じてイライラする。


「お前、自分の親父にあったことあるか?」

「何その質問。いきなりすぎるよ」

「いや、ちょっとな。なんとなく気になって」

「そ、気がついてるかもしれないけどお父さんは外国の人なんだ。でも、私が生まれてすぐに離婚しちゃったからあったことは無いよ」

「そうか、じゃあお前とはなんの関係もないな」

「何それ、ひどい言い方。でもそうだね、全然知らない人」


 少し寂しく笑う霧崎。


「お前は何も悪くない。お前にはなんの責任もない。あと、早く服を着てくれ」


 ◆


 結局、出前をとった。

 食べているうちに霧崎はいつもの調子に戻っていった。


「これ新品のヘルメットだから、お前が使え」

「え、いや、あの、ありがとうございます」

「はいこれ、ジャケット」

「あ、ありがとうございます」

「それは俺の使い古しだけどやわらかくなってるからお前でも着れるはず」


 もうすっかり夜になってしまったので霧崎をバイクで家まで送ることにした。


「あ、先にヘルメットして」

「わ、わかりました」


 スキニージーンズにライダースジャケット、意図せずして完璧な格好になった霧崎。少し大きいはずのジャケットが、内側から霧崎の大きな胸で押し上げられ丁度良いタイトな着こなしになる。


「うん、やっぱり似合ってる」

「あ、あの」

「ん?」

「ほ、本当にもらってもいいんですか?」

「うん、サイズもピッタシだし」


 腕の丈の確認をするために霧崎に近づいた時ふとあることに気がついた。


「ちょっと息を止めて、ヘルメット取ってみてくれ」

「…」

「ん、もういい。なるほど、文字通りスキンスーツってことか」

「あ、あのどうかしたんですか?」

「明日からはそれ着て学校来て」

「え、え?」

「うっし、オッケー。はい跨って」

「は、はい」

「腰に掴まって。思いっきり抱きついてもいいから」

「う、うん」


 夜の街を走り抜ける、人の姿をはっきりと認識できないスピードで。街灯や店のライトに照らされ人々のカラフルな服が光を反射する。虫は月明かりを目指す、人間はこんな夜に何を目指すのだろう。


 霧崎の胸が背中に押しつけられる。街明かりが多い都心に向かうほどきつく抱きしめられる。彼女の目には人の群れが何に見えているのだろう。


 バイクは滑らかに道路を流れていく、車の群れの中の一粒として。


 ◆


 朝の学校では、朝練をする生徒やわざわざ早めに来て友達同士で遊んでいる生徒をよく見かけた。ただ今日はいつもと様子が違っていた。


 髪の長い男子生徒たちが校庭に並べられていた。そして彼らと対面するように立っている生徒が2人。この二人はおそらく生徒会関係の生徒だろう。


「よぉし!お前ら、首を横に振れ!さあ、イッチ、ニッ、イッチ、ニッ」


 長い髪を後ろで結いた男子生徒達が号令に合わせて首を横に振る。髪が動物の尻尾のように揺れる。ポニーテール、まさに言い得て妙だ。


「ちがーう!もっとだ!もっともっとだ!」


 生徒会生徒が喝を入れる。


「そーれいくぞぉー!」


 校庭の生徒たちが一斉に叫びだす、何かに取り憑かれたように。


「ゆーれーをあーいせ!!ゆーれーをあーいせ!!」


 髪を揺らしながら一心不乱に。


 途中で焦った様子の牛田が止めに入ったことでこの奇怪な集会はお開きになった。


「あ、おはよう霧崎」


 Yシャツの上にライダースジャケットを羽織って霧崎が登校をしてきた。


「お、おはようございます」


 ヘルメット無しでもライダースを着ても大丈夫なくらいには俺の匂いになれたようだ、顔は真っ赤だが。ただ、顔が赤いのは他の生徒と違う格好で登校しているせいでもあるだろう。


「ポニーテールっていいよね」

「え、えぇ?」

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