2.《遊動》フローティング
数え上げて、カウントダウンする。時計の針は進み、時間は戻らない。
あと三十分ほどで霧崎が家に来る。
掃除しなければならないほど汚れているわけではないが、なんとなくじっとしていられないので、家中を右往左往しながら片付けをする。
人を待つのは苦手だ。何をしていればいいのかわからなくなる。
男の一人暮らし特有のバネに似た落とし物を完璧に殲滅し終えて一息つく。
「安い散髪屋はやめた方がよかったなぁ、切った髪が服に付きまくりだよ、まったく…」
窓の外はすでに秋で、紅葉が始まっていた。一足早く脱落するまだ青い葉が、左右に揺れながら落ちていくのが見えた。
一瞬、重力を無視して浮き上がったように見えたが、そのまま遠くまで飛んで行ってしまった。風の仕業だろう。
『ジリリリリリリ』
「計算された恋は卑しいものだ、かぁ…」
◆
「いらっしゃい」
「お、お邪魔します!」
「はいはい、入って入って」
「は、はい。失礼します」
そういえば、私服の霧崎には初めて会う。
タートルネックの黒いセーターにスキニージーンズ、ハイカットの茶色いレザーブーツ。ほとんど肌が見えないこの格好は彼女なりの気遣いなのだろう。
ピタッとした服装のおかげで胸や太もも、お尻が強調されていて、見ているだけで感謝の念が湧き出てくる。
「こっちこっち。ここはまだガレージだから」
「は、はい。あ、あの…」
階段に足をかけ二階へ上ろうとしたとき、霧崎から声をかけられた。
「ん?」
「少し、見ていってもいいですか?」
この家は三階建てのガレージハウスで、一階はすべてガレージになっていて二階と三階が居住スペースになっている。
ガレージにはバイクが二台だけ。前は車もあったが親父の事故でスクラップになった。
「あー。いいよ。好きなの?バイク」
「ば、バイクが好きというか。機械全般が好きなんです」
「あ、あーなるほどね」
人間じゃないので、なんて文が続きそうな口調だった。闇が深い。
「免許はもってるの?」
「も、持ってないです。いつか取りたいとは思ってるんですけど」
今ここにあるのは大型と中型の二つ。俺自身もまだ大型の免許は持っていないことになっているが気分転換にツーリングにしばしば出かけている。
警察官だろうと俺の“支配”は通用する。捕まることはないだろう。
「エンジンかけてみる?」
「え、いいんですか!?」
「あ、あぁ、別にいいよ」
珍しくテンションの高い霧崎に驚きながらもバイクのもとに案内する。
「そっちはキックスタートだからこっちの簡単なほうね」
「は、はい!」
「じゃあ、またがって。足は届くだろ、身長高いし」
大型のスポーツタイプのバイクに霧崎を跨がせる。彼女は女性にしては珍しく170センチを超えている。ブーツを履いている今、もしかしたら170センチ後半くらいはあるかもしれない。
バイクにまたがる彼女を後ろから眺める。
尻を突き出し前傾した姿勢の所為でセーターの丈が少し足らなくなり、腰の肌が少し見える。白い肌に背骨と広背筋で影ができて、腰の美しい曲線をつくりだす。
柔らかそうな尻肉がバイクのシートに押し付けられて歪み、腰から尻にかけてが桃のような形になっている。
危ない方向へと向かっていく思考をどうにか方向転換してバイクに近寄り、鍵を差し込む。
「よし。じゃあ、こことここを握って。いくぞ?」
「は、はい」
鍵を回す。
「きゃーーー!!うおーーー!!」
エンジン音をかき消すほどの大声で霧崎がさけぶ。M字眉毛の漫画のアイツみたいな豹変の仕方だ。
「ほら、アクセル絞ってみな」
「きゃぁーー!どぅおおーーー!!」
マフラーと霧崎の口が火を噴く。
「あはははは!なんなんだお前!」
カーボンの機体に緑色の稲妻が走る近未来的なバイク。それにまたがる赤毛の美女。ただその女性は妖艶な容姿とは真逆の無邪気な表情ではしゃいでいる。思わずそのギャップに笑ってしまった。
◆
「大丈夫か?」
「は、はいなんとか…」
よたよたと千鳥足で歩く霧崎。二階の玄関に入ってから少し様子がおかしかった。最初はバイクに乗り変なテンションになった所為だと思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
「お、おい、そっちじゃないこっちこっち」
ふらふらと3階へと続く階段の方へと向かおうとする霧崎を制しリビングへと向かう。
今いる二階には客人用の部屋、そしてLDKがある。3階には部屋が3つ、俺の部屋、もう使われていない両親の寝室、そして親父の書斎がある。
「そこ、座って寛いでて、今お茶出すから」
「あ、ありがとうございます」
ダイニングの長机に案内し、椅子に座らせる。
先ほどから、少し浅い呼吸が聞こえる。おそらく、この家には俺の匂いが染み付いていて、霧崎にしてみれば落ち着かないのだろう。
「霧崎って甘いもの食べれる?」
ダイニングから少し離れたキッチンから話しかける。
いつもお弁当をつまみ食いさせてもらっているお礼に何か料理を作れたらよかったのだが、あいにくそんなスキルはない。だからこうして、2時というランチタイムにしては少し遅い中途半端な時間に家に呼んだのだ。
「は、はい。大好きです」
「そりゃ良かった」
せめてもの気持ちで用意したものが無駄にならなくてよかった。
「はいよ、チョコレートブラウニー。ココナッツのペーストが乗ってて美味いんだよこれ」
昔、親父がドイツに出かける度にお土産で買ってきてくれたお菓子で、近所で似たものを見かけて懐かしくなり、つい買ってしまった。
「あ、これ…」
「え、知ってるの?」
「あ、いや、あのお母さんがたまに送ってくれるものに似ていて」
「ふーん、めずらしいこともあるもんだな」
「ど、どうしてですか?」
「俺も似たようなもんだよ。まあいいや、食べよ。あ、もしかしてコーヒーの方がよかった?」
「い、いえ。おかまいなく」
「そ。じゃあ、いただきます」
「あ、いただきます」
特に喋ることもなく黙々と食べる。時折、目が合うがすぐにそらされてしまった。
「ご、ご馳走様でした」
「はいよ、まぁ買ってきただけだけどな」
立ち上がり食器をシンクへ持って行く。
「あ、私洗います」
「いやいいよ、後でやるから。ゆっくりしてて」
食器を片付けて冷蔵庫から缶コーヒーを出す。
「やっぱり、コーヒーの方があってたな。飲みたかったら言って、缶コーヒーしかないけど」
「い、いえ、大丈夫です」
「そ」
何か話題を探そうと思って霧崎の方を向く。彼女はリビングにあるテレビ台の方をじっと見つめていた。
「ん、あの本、気になる?」
「ど、どこかで見たことある気がして」
「読む?俺はもう読み終わったし」
「い、いえ、大丈夫です。気になっただけなので」
「ふーん。あ!」
「え、え?」
「そうだった、本貸すって話してたんだった」
霧崎を家に呼ぶ時に使った口実を忘れていた。渋る彼女をどうにかこの家に呼ぶために、読みたい本があれば好きなだけ貸すと約束していた。
大学生や社会人の男がよく使う、家に猫もしくは犬がいると言って女性を家に誘い込むアレに近い。
◆
「ついてきて」
リビングを出て階段を登る。廊下の奥の部屋が書斎だ。
「お、おい、そっちじゃない」
書斎に向かう廊下、階段を登ってすぐに俺の部屋があり、霧崎はなぜかそこへ入ろうとしていた。
「ばか、お前、あぁ、もう」
気づいた時にはもう既に遅く、霧崎はドアを開けていた。
幸い、部屋は片付いていて、入られて困ることはないが彼女の場合、何をしでかすかわからない。
「おい、待て、ったく…」
ちょうど書斎のドアを開けようとしていたので、少し離れた俺の部屋の前にたどり着く頃には霧崎はもうすでに侵入を完了していた。
「あぁ、もう。何してんだよ」
「ん、ぅんー、幸せです…。んぁあー、もぅ天に召される気分です」
部屋の中では霧崎がベットの中で枕に顔を埋めモゾモゾと芋虫のような動きをしながら悶えていた。
「ご、ごめんなさい。も、もう、我慢できないです」
「お、おい、ちょっと待て、お前。人としての尊厳をそんな簡単に投げ捨てようとするな!」
霧崎は部屋の入り口にいる俺を認識しながらも、手を膝で挟み怪しい動きを始める。
「ああもう、死なばもろともだ!」
来ていたシャツを脱ぎ捨て、霧崎に覆いかぶさる。そのまま彼女を仰向けにさせ、セーターを脱がす。
鎖骨と胸の谷間によってできたイチョウの葉の形の影が目の前に現れる。下着によって寄せられ、仰向けになっても深いままの胸の谷間に顔を押し込み深く呼吸する。
肺に空気が入り込む。脳にも酸素とは違う何かが送り込まれていくのを感じる。限界まで膨らんだ肺を無理やり拡張するように吸い続ける。
ニトログリセリンをため込み続け限界を迎えた肺と脳がはじけ飛んだ――
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