2.這会《HAIKAI》

 


 『パルファム器官』、これはこの世界の全ての人間に備わっている。心臓の横にある臓器のようなもので、そこで特殊なフェロモンを作り出し全身の汗腺から分泌する。人間はこのフェロモンを鼻から受け取りそれが脳へと作用する。




 フェロモンは大きく分けて2つに分類され、一つは『沈静』、もう一つは『興奮』。




 『沈静』のフェロモンを嗅げば文字通り、気分が落ち着き、『興奮』を嗅げば興奮する。これをフェロモン特性といい1人ひとつの特性を持つ。


 男性のほとんどは『沈静』を、逆に女性のほとんどは『興奮』の特性をもつ。この器官が強いほどこの世界で生物的に優秀とされる、要するにモテる。




 しかし、ごく稀にこの二大特性以外を持つ人間がいる。それが俺であり、『霧崎キリエ』のような人間だ。


 ただこれらの特異体質は数が少なく、ネットで調べても都市伝説として噂される程度の認知度だった。スマホで調べるにしても限界があるので後で図書館に行って調べてみることにした。




 そんなことを考えているうちに職員室のドアに辿り着いた。この世界での俺は前の世界での俺と変わりなく高校2年の一学期目は休んでいることになっていた。




 親父が高校1年の終わりに事故死した影響で家で若干引きこもり気味になり学校を休んでいた。そんな中でもこの年の担任は面倒見が良く、毎週家まで様子を見に来たり、中間テストも自宅から受ける事を許可してくれた。


 そしてこの世界でも彼は俺の担任になっていた。




「失礼します、牛田先生いらっしゃいますか?」


「はいはーい」




 愛想のいい返事が聞こえる。




「おお、よく来たな木村!もう気が済んだのか?」


「おかげさまでだいぶ良くなりました。あと、木村じゃないです」




 いくつも重なった本や書類の山の上から顔を出して前の世界と変わらない子供っぽい笑顔でこちらを見る牛田。




 彼はもともと生物学の研究者だったがどうしても動物嫌いが治らず、別の大学の英文科を学び直し、今この学校で英語教師をやっている。




「今日から普通に登校していこうと思って挨拶に来ました。あと自分の席の確認に。」


「おお、それは良かった。えーと木下の席は…あったここだ、霧崎の隣。廊下側最後尾、右から二番目だ。う〜ん、しかしまぁ霧崎の隣かぁ」




 偶然にも『霧崎』の隣らしい。彼女はこの世界に迷い込んだきっかけであり、あの店との唯一の接点だ。彼女と話す機会が簡単に作れそうでありがたいが何故か牛田の顔が曇っている。




「何か問題でもあるんですか?あと、木下じゃないです」


「いやまぁたいした事じゃないんだがな。どうやら特異体質らしくてな、その所為か誰も近寄れないんだよ。ん、そういえばお前も特異体質だったな?」


「はい。ただ自分でもよく分からないんです。調べてみてもなかなか情報がなくて」


「んー、かなり珍しいからな。おぉそうだ、ちょうどこの前手に入れた本を貸してやろう。私の大学時代の知り合いが翻訳した本でな、特異体質について詳しく書いてあるから気になるなら読むといい」




 赤い表紙に金色で『蟲の思考』と書かれた手帳ほどの大きさの本を牛田から受け取る。著者は異国語で描かれていて読めないが訳者は『馬村梅子』と書かれていた。




「ありがとうございます。図書館で色々調べようとしてたんです」


「そうか、その本は卒業までに返してくれればいい。勝手に売るなよ、もう絶版で手に入らないんだから」


「はい、気をつけます。それではまた後ほど教室で。失礼します」


「はいよ、後でな木島」




 ◆




 職員室を出て教室へと向かう。ただ、牛田から借りた本が気になる。




 どうせ授業開始まで20分ある、どこか人気のないところで読もう。俺の記憶が正しければ演劇部の部室は廃部になった影響で誰もいないはずだ。




「この世は舞台、人はみな役者。なんてな」




 部室のドアを開ける。やはりこの世界でも演劇部は廃部になっていた。少し埃っぽいが、机二つに椅子が四つの四畳半ほどのちょうど良い狭さの部屋をありがたく使わせてもらうことにした。




 机の埃を払い、本を開く。『蟲の思考』、不思議と心を惹かれるタイトルだ。




 最初のページにはこう書かれていた。




 “われわれ人間も特定のシステムの元、決まった反応をするようにプログラムされている”




 ページをめくり、目次から『支配』の章を探す。


 どうやら最後の章に書かれているようだ。そのページへとめくっていく。




 “—群れにおける統率者の様な存在で他の特性の影響を一切受けない。また、この特性保持者からの‘命令’に逆らうことは不可能とされている。この特性は遺伝ではなく突然変異に近く特異体質の中でも特に異質でありそもそもの構造から他とは異なっている。一般に知られているこの特性保持者は『クレオパトラ』、『楊貴妃』、『卑弥呼』が挙げられる—”




 この世界に来て一番驚いた。




「なんか、女王蜂みたいだな」




 この本に書かれていることが事実なら俺は世界を支配できる、まったく興味がないが。




 “命令”の仕方はよくわからない。ただ、『パルファム器官』は心臓の隣にある。カラクリがあるとしたらそこだろう。時間がないので詳しく読む前に『拒絶』についての項目も読んでみることにした。




 “—薬の容量を間違えると毒になるのと同じように優秀すぎる『パルファム器官』は他者にとって毒となりうる。多くの場合、この特性保持者に近づくことすらできない。また、強い器官を持つことにより他の特性の影響を受けづらい。この特異体質は両親が優秀な器官を持っていた場合に生まれやすい傾向にある—”




「なるほどなぁ。しかしなんでこんな面白い本が絶版になったんだ?」




 他にも各特異体質についてだいたい5ページずつ詳しく説明がある。てきとうにページをめくっていき最後のページを開いた。




 “全ての被験体にはあらかじめ説明をしており、人権を尊重した上解剖を行った—”




「解剖しちゃダメだろ」




 出版されたことのほうがおかしい。おそらく、この本は出荷される前に販売停止された禁書の類なのだろう。




 ◆




 時間を確認するとすでに授業開始から10分が経っていた。本をカバンにしまい教室へ向かう。




 教室に到着しドアをあける。牛田が教壇に立ち授業をしていた。




「おう、遅刻だぞー。席座れー」


「おはようございます先生」




 丁度いい、牛田で『特性』を試そう。牛田の目を見ながらなんとなく心臓に意識を集中させる。




 髪が風で揺れる。




「今日の授業は自習にしてください」


「あぁ、そうだな、今日は自習だな」




 少し焦点の合わない目でそう答える牛田。牛田の場合冗談で同じような反応をする気もするが、俺の中ではっきりと『命令』ができた感覚があった。便利な体だ。




 牛田が教室内の生徒に自習の旨を伝えているのを聞き流しながら自分の席へ向かう。




 廊下側最後尾、後ろのドアのすぐ近く。教室に入る前、廊下を歩いている時からすでに漂ってきていた魅惑的な匂いの主がそこにいた。




 学生証の写真で見たよりも大人っぽく見える。


 優しくふわふわと伸びた赤毛。それと対照的に青く見えるほど透き通った白い肌。猛禽類を彷彿させる鋭い瞳。完璧な曲線を描く鼻にふっくらと薄ピンクの柔らかそうな唇。




 歩き方を忘れた。重力を感じない。それほど彼女に見惚れてしまった。




 そして何より、今までと比にならないほどの強い香りがする。果実が腐る寸前、最も芳醇な香りを放つ瞬間。それを凝縮した様な匂いが波のように、空気の壁を感じるほど打ち寄せてくる。




 言い知れない幸福感を感じながら決心した。




 —捨てられているのなら、俺が拾おう———。




「俺は巨乳がすきなんだ」

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