第五章

 


 その日から淳は毎日オートバイを乗らず電車で通学していた。何故、志穂梨が駅の方に足を向けて行ったかを調べてくれるように利之に頼まれたからだったが、自分も志穂梨を虜にするような男の顔が見たいと思2い毎日来てその謎の男を捜していた…。

 しかし毎日空振りで有力な手掛かりさえ掴めないまま3週間が過ぎて行こうとしていたが、ある日駅のホームで何人かの駅員の話しているのが聞こえてきたので聞いていたが、その話に出てくる女の子が志穂梨ではないかと想像して思わず振り返って見た。

「最近あの女子高生見かけなくなったなァ。電車に乗らず誰かを一時間ぐらい捜してまた来た道を引き帰って行った子」と言って、

「あの子お前を見ていたのではないのか?ヨッこの色男」

と言って相手の男に笑いかけた。

 色男と呼ばれた男の方を淳も思わず振り返って見たが、三人がその男を取り囲みながら改札の所まで行ったのでチラッと見えただけで通り過ぎた淳だが、その男は何も知らずに笑っていた。

 当たり前の当たり前の事だが今、事故に巻き込まれた事すら知らず、ただ同僚とふざけ合っていた。淳は仕方ないと思い追い越す際に顔を見てやった。わりとすっきりした品のある顔は淳と同じ年頃であるが、遥かに大人びて見えた。淳はその駅員の制服の牲だろうと思い名札を見たが『名取』と書いてあった……。もしかしたらと思った淳は、

「あのォ~、ちょっとすみませんが、その女の子、この子じゃあないですか?」と聞いていつも胸ポケットに持ち歩きながら調べていた写真を見せて聞いた。駅員たちは写真を手にして見て、

「ああ、そうだよ。とてもきれいな子でして、いつも誰かと待ち合わせしている様子でね。でも結局誰も来なくて、ここ2ヶ月ぐらいは誰も見かけてないので『どうしちゃったんだろう?』と皆で言っていたところです…」

とその男の上司も口を揃えて言う……。その2ヶ月前に事故に遭って今は何一つ見る事の出来ない盲人になってしまっている彼女を何とか励まそうとしてここまで調べていた淳としては、

「そうですか……」

と言ってさらに独り言のように、

「毎日この時間に来て誰かを待つふりをして君を見ていたのですね……なるほど……」

と言って考えていた……。

 すると名取と言う男は淳の態度がちょっと気になって、

「君はあの子のお兄さんですか?」と聞いた。淳は考えながら、

「いや、違うけど……まあ、彼女に振られた男とでも申しましょうか。この際だから言いますが彼女、交通事故に遭い、今入院しています。すべて僕の責任で……だから、もしよかったら彼女に会ってやってくれますか?」

と言い、そしてすべてを話していた。その場にいた上司や同僚も聞いていたが、涙もろい上司もこの話を聴き終わると名取に、

「直ぐに行って来いと言いたいが、今日は勤務だからな。明日が休暇だから、絶対に行って来い」

と命令したので彼は即座に

「はい!」

と言って病院の名前と病室の番号を聞いた。淳はその名取と言う男に教えたが志穂梨の名字を言った時、何故か彼は信じられない顔になり直樹の顔を見たが、彼も名取の顔を見て何か田原検事と遭ったのではと思った。

というのはさっきまでの明るい表情は消えて狼狽したように、

「田原…志穂梨?………田原……」と言って驚いた様子で淳の顔を見るのだった。

 その表情に気付いた淳は後で聞こうとしたが上司は彼に、

「車椅子の客が乗るから行って来てくれ」

と言ったので勤務が再開、その後は聞けなかった。

 でもそれを聞いていたら皆を傷付かなかったかも知れないが、その時は利之にとっても淳にとっても重要な事とは思えなかった…。

 そして淳は一旦家に帰り利之にメールを送ったが彼は、その時大物政治家の賄賂が発覚して取り調べている最中だったために直ぐには出られなかった。

 それが終ったのは真夜中の一時過ぎだったが早速携帯電話にメールが入っているか調べた。今日は入っていた。待ちに待った淳からの連絡で

『やっと見つかりました。職業は駅の駅員で名前は名取、下の名前までは聞けませんでしたが、僕の目から見ても生真面目な好青年と言った印象でした……。しかし気になるのは志穂梨の名字を言った時「田原」と言ったきり暗い顔をしていましたので調べてみます…』

というものであった。

 利之はメールを読み終わると携帯を閉じて暫く考えていたが、彼には『名取』と言う名前に心当たりがない理由ではなかった…。

 というのは20年前ある殺人事件の被害者で名取啓二と言う男を思い浮かんだが、まさか彼の息子が今、志穂梨の片思いの相手になっているとは夢にも思わなかった。

 確か母親に『聖ちゃん』と呼ばれていたと思うが確かめてみなければならない…。

 そして次のメールも開いて見たが、たいしたメールではなかったのと今日一日の疲れが出て来たので、そのまま切って布団の中に入った……。

 あくる朝はとてもいい天気だったが連日の汚職事件に増して娘の相手の事もあって疲れが出ているのか、10時過ぎまで寝ていた…。妻の満希子は相変わらず娘の看病で帰って居らず、また一人で朝食の支度をしていた。もう3ケ月もこんな私生活に我慢していたが利之にも我慢の限界は来ていた。

 だがわが愛娘の志穂梨の置かれた状況を考えたら離婚は言い出せない。何もかも園田弁護士の一人息子の良太郎のオートバイが歩道と車道の間に花瓶があるのも知らずに車道と歩道の際を時速40kの速度制限を100K近い速さで走り去った時ビンに触れて割れ、飛び切り、その大きいガラスの破片が間の悪い事に志穂梨の目の前に飛んだかと思った途端突き刺さったと淳も他の下校途中の生徒も証言していた。

当然、この騒ぎに気にも留めずに走り去ったバイク……。それらを思うと速度オーバーをしていたオートバイを運転していた良太郎の責任が大きい。

そう思い起訴に踏み切って逮捕状を掲出したが取り調べているうちに、志穂梨は家に帰ったのではなく全く反対方向にある駅の方に向かっていたと皆が証言しているのを聞くと週刊誌に載るのは確率で、これ以上彼女の心の傷が深くなったら…と思うと公訴を取り下げるより仕方なかった…。

 そんな事より今日は淳が見つけたという志穂梨が恋していた相手、名取という男に会うのだ…。早く仕度しなれば名取と連れ違いになってしまう…。

 そう思った利之は手際よく普段着慣れているスーツに着替えて行ったが、病室には志穂梨の友達も来ているみたいで賑やかだったが、淳が連れて来るはずの名取は来ていない。淳も来ていなかったが、それにしても女の子5人揃えば賑やかというより利之には喧しく聞こえた。

 普段女の声の高さに慣れてないだけに困ったが、話しについて行けないのも困った。

 ところが秘密の話になると声のトーンが落ち、ことに最近の女の子は男の話になると、ふざけていない限りひそひそ話になる。 

 利之はそこが聞きたいだけに必死に耳を傾けた。そしてついに志穂梨の彼氏になると、  

「ねえ、ねえ、駅の彼氏どうするの?裕介とは唯の友達だけど、彼との出会いはちょっと考えられない出会いだったわね。あの時痴漢に遭わなかったら、まずあんなカッコいい人と出会う事はなかったんじゃない?だから毎日駅のほうに通っていたんじゃない。本当にどうするつもり?」

と志穂梨に聞いていた。志穂梨は今の自分の置かれている姿は友達以外見られたくないのが本音だろうが、もう直ぐその彼氏、名取聖樹も来るはずだった。それを知らなかった志穂梨達は話に夢中になり、前の友達の質問には、

「彼氏と言うところでもないのよね。それが……でもあの日会っていても彼があたしに気づくはずないと思うの…。だっていつも柱の陰に隠れて見ていたんだもの。もう終りかなァ…。」 

と諦めて言った。

 その時初めて彼の事が出て来たので『やはりそうか……』と思ったが、学校の友達がいる間は父親として黙って聴いてない振りをしていた。でも友達が帰った後、志穂梨の方から話し出した。

「お父さん、さっきの話し聞いていたでしょう?驚かすつもりはなかったの。でも驚かしてしまったみたいね。もう彼とは会えなくなっちゃったんだもの…誰が目の不自由になったあたしと付き合ってくれると思う?淳ぐらいでしょう…。あたしと今でも付き合いたいと言ってくれているのは……でもこうなったら一生独身で通すかもしれない……」

と言ってさびしくピリオドを打つように笑った……。

 でも父は検事としてではなく人間として、

「そんな事をしたらお前の…そのォ~色々な世話、誰がするんだ」

と何でなく聞いた。

 すると志穂梨は、

「そんなこと言ったら、お父さんが今抱えている事件、弁護士の見方になっちゃうんじゃない…。検察官としてはあの事件、有罪でしょう?」

と聞いた。すると利之は悲しい顔をして、

「検察官だって人間だよ…。それにあの事件は奥さんが一人で主人の両親と自分の両親の介護をしていて自分の時間が持てず、精神的にも肉体的にも参っていたところに夫の浮気が発覚して、それで奥さんは日頃のストレスが一気に爆発して夫と愛人を包丁で刺し殺してしまったんだ。でも私はあの奥さんに同情はするが『なにも愛人まで殺さなくてもよかったのではないのかなァ』と思って今裁判で審理をしているんだがお前はどう思う?」

と聞いた。

 志穂梨はその話を聞きながら空想していたが、

「16歳のあたしだってその奥さんには同情したくなるわ。だって奥さん一人で主人の両親の介護も押し付けられていたんでしょ。その間に夫は愛人を作って楽しんでいたんだから殺されて当然よ。その夫と愛人……」

と言って妻の側、つまり16歳の娘でさえ弁護をした。それを聞いた利之は、

「被害者側のつまり愛人の両親は彼女が年に数百万円ぐらい仕送りしていたそうだが、その金で生活していたというほどだから彼女が死んでしまった以上仕送りは途絶えてしまって途方にくれて、今は苦しい生活を強いられているらしい。しいて言うならお金のためにホステスになってその男の愛人にもなっていたんだが、それでも愛人の方も許せない?」

と聞いた。

 すると志穂梨は不思議に首を傾けて見えない目で父の方を向いていたが彼女は困ったように、

「お父さんの職ってただ犯人を取り調べるだけじゃあなかったんだ。ちゃんと加害者や被害者の生活環境の事や精神状態や心理状態も診て取り調べていたんだ…」

と言って口笛を鳴らした。

 その時ドアが少し開いて中の様子を窺いながらノックする音。利之にはそのノックを誰がしているのか判っていたが志穂梨もきっと淳がしているノックだろうと直感的に解った。利之は、

「はい」

と言おうとしたが、志穂梨はその言葉を言う前に、

「淳なら追い帰して……あんなのと話したくない」

と嫌悪し罵り布団の中に潜り込んだ。

 利之は外で名取や淳が聞いていたらどんな恋でも冷めてしまう言葉だと解っていたが、志穂梨が今置かれている状態では可哀相で怒れなかった。

 しかしそれを外で聞いていた名取聖司は何も言わずただ黙って聞いている淳の顔を見ながら、

「何か悪い事をあの子に対して君もしたの?」

と聞いたが、その答えを言う事が出来なかった哀れな淳……。

 俯いたまま自分の足元を見ていたが、やはり今は事由が言えず、その間にドアが開き淳は『さっ』と死角になるようにドアの後ろに隠れた。やがて利之が顔を出したが見覚えがある若い男が一人で立っていた。彼も最初は戸惑って、何も言い出せなかった。利之は戸惑いながら

「どなたですか?」

と分かっていながら聞いていたが、相手は、

「名取です」

と言うとお辞儀をした。

 利之は『ナトリ』とオウム返しのように聞き返して驚いている様子を見せたが、志穂梨の今言った言葉を聞こえていたのかと思うと『もうだめだ』と父親は思った。

しかし志穂梨は気が付かないらしく、相手も盲人になったことを知らない人が見ると窓の外の景色を眺めているように見えた。しかし直樹から志穂梨の目の事を聞いている名取はちょっと戸惑っていたが、それに気がついた利之は、

「久しぶりだね……、聖司君だったかなァ。こんな所でなんだから、さあどうぞ」

と言った。そして淳の事が心配で名取に目で聞いたが、彼は入る前に目で合図を送っていた。そっとドアの後ろを覗いて淳がいる事を確かめて、

「淳君じゃあないよ。お父さんが昔世話になった刑事さんの息子の聖司君だよ。その後お母さんはお元気ですか?」と聞いた。すると名取は何も知らなかった利之の顔を哀しげな顔で、

「母は父の後を追うように癌で他界しました。でも幸いにも父方の親戚に子供がいない人がいてその人達が親代わりをしてくれましたので、何不自由なく育ててくれて、こうして義父と同じ職に付かせてくれました。つまり鉄道マンです」

と言って両親がいない事を感じさせない明るい表情を見せて利之を安心させた。志穂梨もその声に聞き覚えがあるので、ついに布団の中から目元まで出して見ようとしたが何も見えず声だけが頼りに、

「その声は○☓駅で働いている駅員さん?…」

と聞いた……。突然そう言われて名取は首を縦に一回頷いたが何も見えない事に気が付き、

「ああ、そうだよ…」

と優しい声で言った。

 その間に利之は椅子を2つ用意して1つを名取に勧めて座らせながら、「よく、ここがわかったね。誰かに志穂梨の目の事を噂で聞いて来たのかい?」

と聞きながら自分も椅子に座った……。すると名取は、

「ええ……まあ、そう言うところです。それで情け深い僕の上司が『非番の時に行って来い』と言っていましたので、今日来ました」

と言って淳の事はあえて言わなかった。

しかし利之には淳や名取の心遣いや気遣いが嬉しかったが、でもやはり淳が探し出して連れてきてくれなければ志穂梨が聖司とまだ会えないまま、彼女が一生涯、淳や良太郎を憎み続けているだろうと思っていた。           

 しばらくして彼女の母、満希子が美容院から帰ってきたが、今日も来ないだろうと思っていた夫が来ていたので驚いて、

「あなた来ていたの……?」

と言い、そして見知らぬ男も志穂梨と一緒に笑っていたので、これまた驚いていた。 でも何も知らされていない満希子はさっき志穂梨の部屋の前の廊下で淳を見かけたので、

「淳君がこの病室の前の廊下をウロウロしているのを今しがた見たけれど、私の姿を見たら慌しく逃げて行ったわ。何かあったの?」

と言ってキツイ目でもう一人の男を見やった。

 すると利之は満希子の疑わしい目が気に入らないらしくて、

「お前、覚えてないかなァ。私がまだ新人の検事になったばかりの頃、私の下でよく働いてくれた名取警部補の息子さんで聖司君を……。お前と結婚するときに仲人をお願いしに行ったが、あっさりと断られてしまって……、でも式には出てくれて面白いエピソードを夫婦で聞かせてお前大笑いしていたではないか……」

と遠まわしに言いながらニヤッと笑い出した。その夫の笑い顔を見て夫人は思い出そうとしたが思い出せず更に思い出させるように、

「あの時3歳ぐらいの子供がブーケをお前に渡してくれたのを憶えているだろう。その時の男の子が名取警部補の息子の聖司君だったんだよ」

と具体的に言った。

でも妻は名取警部補と聞いても思い出せず困ってしまいブーケを手渡してくれた男の子と聞いて、やっと、

「ああ、あの時の………」

と言ってようやく分かった様子だった。

 志穂梨も聖司も2人とも初耳だったので呆気に取られて夫婦二人の会話を聞いていたが、彼の方も当時3歳だったので思い出す事は出来ず苦笑していた。

 でも聖司も本当の両親の事や特に父親が暴力団の抗争事件で流れ弾に当たって殉職、そのショックで母親もガンが悪化して他界したぐらいしか話に聞いておらず、また今の両親も話してくれないので、いつも、

『何故話してくれないんだろう?』と疑問に思っていたが、中学に入った時に義母から母方の両親が父との結婚に反対されていたと聞いているだけで、それ以外聞いてなかった。

 そんな事より満希子は淳の事が気になり、もう一度ドアの外を見に行ったが、誰も居なかったので首を傾げながら思い出したように、

「コーヒーでも入れましょうか?まだ入れてないみたいだから…」と言って入れたがポットにお湯があまりなかったのに気が付いて給湯室にお湯を急いでもらいに行った。その時、志穂梨の担当医の松本洋と会ってしまった満希子は会釈をしながら早く病室に行かなければ思ったが志穂梨の今後の治療の事で洋に呼び止められてしまい、

「ここで話をするのはなんだから……」と言って空いている部屋を探して、そこで話した……。

 母親は娘の目が少しでも元のようになって欲しいと祈り続けていたのだが……。しかし現実はアイバンクに登録して角膜を入れる手術をしても光の射す方向が判る程度で、それ以上は望めないと言われて愕然とした母親だが、「それでもいいです。夫や志穂梨に話してみます」と言った。でも洋は首を横に振り、

「僕から志穂梨さんに話した方がいいかもしれない。志穂梨さんの一生の問題ですから……、それに僕の方が医者で志穂梨さんの心理状態、そしてこれからの事すべて話せると思うのです……。

「盲学校への転校も含めてです……ただ本人が今の学校に通い続けたいというのなら止むを得ないのですが、僕としては点字を憶える方が先だと思うからです」

と中途障害者として生きて将来の事を考えるように進めた……。

 一方、そんな話をしていたとは知らなかった志穂梨は名取聖樹と話が弾んでいたが、利之は携帯のメールで呼び出されて外で読んでいたが、直ぐに病室に戻って来て、

「すまんが、お父さんは出掛けなければならない。事件が発生してね……。じゃあ行って来るよ」

と言って志穂梨と名取を二人にして行ってしまった。妻も時期戻って来るだろうと思い、出掛けて行ったが、途中で涙を拭きながらこっちにやって来る妻に会い、

「どうしたんだ?」

と泣いている妻に声を掛けた。

田原満希子の顔は涙で濡れ夫にこれまで見せた事のない悲しい顔で、

「志穂梨の目は……あの子の目は……」

と言いかけたが、後から追いついた洋と鉢合わせた利之は志穂梨の目の事で何かあったんだと直感的に察した。洋は頭を下げて、

「真に言い辛いのですが……」

と言葉を捜している様子は明らかだが、ここは一気に言った方がいいと思い、

「最初に告知していたように、たとえアイバンクをしても光の射す方向が判るぐらいで視力まで回復する見込みがありません」

と言った。満希子はそれを聞いて思わず涙が滝の如きに溢れてきたが、どこで聞いていたのか知らないが突然、洋の後ろで、

「アイバンクをしても視力を回復する見込みがないだって……?それじゃあ最初から視神経自体がやられていたって事だ」

と淳の声がした。

 誰もが振り返って吃驚していたが、洋が最も驚いたのは医学的な要因も淳が知っていた事だった。

 でもよく考えたら淳も医者の息子でそのぐらいの知識があって当然だが医学部には入れなかっただけに、何かとこの松本の経営者で前事理長の娘で洋と淳の母親、松本和美とお見合いが悪く、どんなに成績優秀でも医者にだけはなりたくない淳に対して高校で『法律関係の仕事に就きたい』と言ってから母親にいつも洋と差を付けられて事あるごとに、

「お前は私の息子じゃない。私の息子なら洋みたいに医者を志している」

と言って司法関係を志している次男坊の淳を小馬鹿にしていた。

 母親にとって2人の息子を医師にする事だけが生き甲斐だったのに次男の淳は最初から、その気がなくどんなに反対されても司法関係に進む事を望んでいたのだった。  

 そしてT大の法学部に受かったとき、

「やはりあなたはお母さんのいう事も聞かずにT大の法学部に行くなんて絶対に許さない‼この家から男の子で医者以外の者になるのは淳、あなた以外に聞いた事がないわ…。だからこの家から出て行きなさい」

と言って勘当したが、隆典や洋がそれを止めてかばってくれた。

 だから家から追い出されずに済んだが、その時以来家の中は暗くなり帰るのが嫌でついに良太郎達の仲間に入りオートバイを乗り回し世間でいうワルになって行った……。

 最近では隆典さえ夜勤勤務をして妻の和美を避けていた…。

その母親への一憤を晴らすためにわざと不良の格好をしてオートバイに乗り回し女をひいきに遊んでばかりしていたが、大学では顔がいいから女子大生も寄ってくるしプレイボーイで通っていた。

 それで居て成績が下がらず大学の教授からは『司法試験を受けてみれば』と言われて受けたが、一回で受かるとは思わなかった。

 でも、そういう時に志穂梨とあの海で出会って彼女にひと目で好きになり不良みたいな事をしていたのでは彼女に嫌われると思って仲間から抜けたが司法試験が合格していた事もあったのでタイミングよく抜ける事が出来た……。

 しかし司法試験に合格通書が届いた明くる日に志穂梨が事故に遭い、家族や友人に言いそびれてしまったが隆典だけは息子の態度とかで解っていた。

 だが、その場で「おめでとう」は言わなかったが、志穂梨の事故から2ヶ月過ぎた頃に一言、

「がんばったなァ」とだけ言った。そして、

「後は母さんをどう説得するかだね…。ここはこの病院の顧問弁護士の北沢か、それとも志穂梨さんのお父さんの田原検事さんに頼むしかないよ……。私が言っても聞くような母さんではないからなァ…」と言って笑ったが、養子の身だから仕方ない事だ……。

 それにしても気性の激しい妻を持つと養子じゃなくても時々は嫌になる事もあるだろうと思ったが、あれで結構昔は可愛い所もあったと、苦笑しながら隆典は淳や洋にこういう時によく言っていたのを思い出した。

 そして暫く何かを考えて決心した様子だったが、なんで妻は医者以外の者になる事に強く反対するのか未だに解らなかった。でもここは勇気を振り絞って妻本人にその夜、何気なしに聞いて見たが、もう随分昔の事なのであっさりと話してくれた……。


                 


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