第二章

気が付くと、そこは病院のベッドの中で目の辺りには包帯が巻かれていて何も見えない。

しかし志穂梨の両親が、

「志穂梨!志穂梨!」と何度となく呼んでいた。

それに気付いた看護婦は側に寄って来て、「田原さん、解りますか?田原さん」と聞いた……。

志穂梨は誰なのか、その顔は包帯で見えなかった。

でもおそらく自分を診て治療してくれていた女医か看護婦だろうと思い一応頷いた。そして、そこで自分の名前を呼んでいた人達に

「あたしどうしてこんな暗い所にいるの?あたしの目はどうなったの?」

と事故の事を思い出し真っ先に聞いていた。看護婦はあまり患者に心配を掛けないように、

「先生を呼んだので目の傷の事は先生に聞いてください」と言って両親には、

「直ぐに先生を呼びましたから」と小さな声で事務的に言って出て行った。

両親は彼女の枕元に来て、母親の満希子は彼女の手を取って握り締めた。そして安心させるように、

「何も怖くないのよ。私達が付いているから……」

というように、かつ、自分に言い聞かせるように言った。

 やがてドアのノックする音がして、

「目の辺りは痛くないですか?」

と言って若い青年医師らしい人が明るい表情で入って来たが、志穂梨はその声にギクッとしたみたいだった……。そして思い出したように、

「淳…?松本淳でしょう…?どうしてあなたがここにいるの…?あなた、お医者さんじゃあないでしょう?」

と理由の判らない事を口走ってしまった…。皆は一瞬戸惑いながら医者の名札を見たが、確かに松本だったので驚いた格好になった……。だが、その医者も突然十代の女の子からそんな事を言われる覚えがなかったのと救急車で運ばれて来た時、何故か弟の淳も乗っていたのを思い出して、

「淳が何かしたの?君をこの病院に運んで来たのは彼だったけれど……僕でよかったら後で伝えとくよ。だけど、それだけ元気なら事故によるショックは余りなかったみたいだね。ふー、それが一番心配だったんだ。ちなみに淳は僕の弟で、僕の名はひろしだよ。太平洋の洋、一文字を書くんだ」

と自分の名前も字も教えてくれた……。その言葉と品のある話し方と落ち着いた態度を聞くと志穂梨も人違いだと気付き、診察が終った後で、

「さっきの事はごめんなさい。気を悪くしたのなら許して下さい。でもあいつはあたしに付きまとって『デートしないか』としつこく言い寄ってさ。そのたびに断ってきたけれど、あいつ懲りずになおも誘って来るんだもの…。その挙句の果てがこの始末よ。もしも顔に傷跡が残ったら殺してやるわ」

とジョークとも本気とも言い兼ねない言い方をした。その時、目に見えなかったが皆は黙りこくってしまい雰囲気もさっきと違い暗くなっていた…。その異常な雰囲気を志穂梨も感じ取っていたが、すすり泣く母親に対して志穂梨は、

「なぜ泣いているの?お母さん……」 

と聞いた。

父親の利之は、

『どうせ包帯が取れたら直ぐに解ってしまう……。その時の悲しみよりも今、告知したほうが本人のためにいいのでは……』

と思い始め若いが医師である洋に、

「先生、もう隠して置ける状態ではありません。それよりか先生の口から告知してくださいませんか」

と願い入るような眼差しで言った。その両親の眼差しで洋も仕方無しに、その場で告知したが志穂梨はガラスの破片が思ったよりも深く突き刺さっていた事、そして目の視神経が皆やられてしまった事などを説明し、角膜移植をしても失明は避けられない事を言った……。

絶望のドン底に付き落とされた形になった彼女だが、それにしても許せないのはストーカーをした奴ではなく、花瓶を跳ね飛ばして何食わぬ顔をして今もなお、そのオートバイを走らせている奴だ。

そう思った父親の田原利之は、その時の志穂梨の状況、歩道には信号機があったかなかったか、そして何故信号機のない所を渡ろうとして身を車道に乗り出していたのか、いくつか目撃をしていた松本淳という男をストーカー行為では逮捕できるが、志穂梨を助けてもらったので、今回だけはストーカー行為の件は他に被害者がなければ見逃して事故の真相のみを検事として聞こうとしていた。

その時丁度ノックの音がして淳が明るい表情で入って来たが、まさか志穂梨に目が覚めて直ぐに告知してないだろうと思っていたので、何の予知もせずに、

「今起きたの?気が付いてよかった」

と言って中に入ってきた。その時は誰もが淳の顔を見て黙ってしまったが志穂梨は激怒するしかなかったので

「帰って!あんたの性であたしこうなったのよ。淳がストーカーみたいに付き纏わなかったらあたし、ああいう事故に遭う必要もなかったわ!もっと早く大好きな人に会いに行っていたわ!」

と言って誰も知らなかった事を言って泣き崩れた……。そんなことは今はどうでもいい事なので、あまり重要視していなかったので誰も聞かなかった。

淳は本当のことを言われたのと、完全な失恋によるショックとで今は何を言っても無駄だと思って、そこにいた皆に深く頭を下げて何も言わないで病室を出て行った。

だが志穂梨の父、田原利之はいつの間にか入り口の近くにいたので誰にも気付かれず、そっと出て行って淳を追い駆けようとしたが追わなくても彼は入り口の横にあるソファに座ってため息を付いていた。そして、検事のバッチを見ても別に驚きはしなかった彼に色々と事故の状況を聞こうとして横に座ろうとしたが、彼は利之が座る前にため息を吐きながら、

「本当はストーカー行為で僕を逮捕したいんでしょ?…でもストーカーは今回が初めてで、あんな事故に遭うんだったらしなければよかったと反省しています。全く彼女の言う通りです」

と反省の色は深く隠し切れず殴られるのを覚悟して告発した…。

しかし殴りはしなかったが、検事としては、そんな事より一刻も早く遺物損害罪と傷害罪とスピード違反と道路交通法違反で逮捕しないと、また同じ事故が続質するのではと思ったのだろう…。

その逃げたオートバイの特徴を教えて欲しかった…。

だから今回だけは彼の罪を見逃したが、彼ももうストーカーは懲り懲りで、それが母親や大学側に知れたらちょっとやばいので何事も隠さずに本当の事を言ったみたいだった……。                                                                                                                                                                                       

だからそう思ったから淳は事故の真相を語り始めたが、そのオートバイのメーカーは大体判っていたのに肝心のナンバープレートのナンバーまでは憶えてなかった。だが自分達もよくやっているのだが、検問から逃げ切るためにプレートナンバーの細工をしていたのかもしれない。そう思った淳は

「憶えていません」

と口数少なく言ったが利之は、

「覚えていませんではなく、見てなかったというべきじゃあないのかな?それとも見えなかったか…」

と鋭い目をして聞いた。

図星だったので頭を掻いていたが、しかし淳にはあのオートバイに見覚えがあった…。

一瞬見ただけではなんとも言えないが仲間の誰かのオートバイだった気もする。

だから知らない顔して黙っていたが、良心的に言えば『知っている』と言うべきだったと後から思った。

しかしそれ以上何も聞かなかった検察官は何かを考えていたが、淳がまだ隣で頭を垂れて反省していたように座っていたので、

「君、もう帰ってもいいよ。君には後で色々と交通課の刑事が話しを聞きに来る事になるが、その時は君の良心を信じている」

と言い残して病室に入った。

一人取り残された淳はここに居ても仕方ないので検事のいう通り病院の隣にある自宅に帰って行ったが、病院のロビーで、美奈子と良太郎兄妹に出逢ってしまい美奈子の方が先に、

「志穂梨はまだ眠ったままなの?事故の後直ぐに手術して2日間も麻酔のために寝たきりになって……学校ではあんたと志穂梨の事をある事ない事を噂してるし、もう無茶苦茶よ」

と最初はいかにも心配して言う美奈子に対して淳は、

『加害者はどっちだ。俺はもう少しで殺されるところだったんだからなァ』と口では吐き捨てなかったが、

「もう目覚めて助けてやった恩も忘れて俺の顔を目掛けて目覚まし時計を投げてきて大変だったんだ。でもストーカー行為をした俺も悪かったと思っているが、あのオートバイを運転していた奴、探し出して警察に付き渡して刑務所に入れてやる!」

と勢い良く言ってそのオートバイを捜しに行こうとしてジャンバーを着て自分のオートバイに跨ってエンジンをかけた。良太郎はそれを聞いて顔を曇らせたが、美奈子は兄の様子など気にしていない。

「じゃあ、もう麻酔が解けて、松本君のストーカーの件で怒っているんだ…。『訴えてやる‼』と言ってなかった?」と症状の事を知らされていない美奈子は手軽に言って彼の顔を見て笑った。それを聞いた淳は、

「志穂梨の目はもう一生見る事が出来なくなるんだ。傷が思ったより深くて眼科医の兄貴もガラスの破片を取り除く事しか出来ず、またそれをしていなかったら命に関ってくるってあの子の両親に説明して、それを承知の上で手術したって言っていた。でも切れた視神経の方だけはどうする事も出来なかったらしい…」

とオペが終わった後、今後の障害の説明を洋が言っていた通りの事を深刻に受け止めて言った。美奈子と良太郎は驚いていたが、良太郎の方が特に蒼ざめていた様子だった。それに感づいた美奈子は淳と別れてから兄と歩きながら、

「淳君に志穂梨を取られそうね。でもあの二人の場合、彼の方がお熱を出しているみたいだったけど、志穂梨はあいつの事をいつも小ばかにしていたって感じ。だけどあたしの目から見たらお熱を出していた淳も、あいつを小ばかにしていた志穂梨も面白いと思っていたんだけれど」

と事故が起きる直前までの志穂梨の様子を見ていた美奈子が良太郎に語った。

でも良太郎はそんなくだらない話より、幼なじみで妹より可愛がっていた志穂梨の目の事が気になり、さっさと先頭に立って歩いて行ったが彼女の病室の所でドアを開けるのをためらった…。

でも妹の美奈子は良太郎が何故ノックするのをためらったのか判らない。その様子を見ていた美奈子がイラつき兄に代わってノックをしたが、美奈子も兄の様子と淳の言葉が気になり出していた。

それでもノックして暫くすると中から、

「どうぞ」という志穂梨の母親の声がしてドアを開けてくれたが、その時、眼科の松本洋医師も悲しみのドン底に付き落とされた志穂梨に、

「じゃあ、死のうと思ったって、ここは病院だから直ぐ助け出すよ。この事だけは言って置くが、これ以上身体が不自由になって生きるのは君だって辛いだろう。君をそう言う目に遇わせたのは淳じゃないって事ぐらいは解っているんだよね。ただ当り散らしたかっただけだ。そうだろう?」

と言って彼女の言葉を待っていた。志穂梨は何も言わずに洋の言う事に頷いたが、その時さっきから様子がおかしかった良太郎はついに頭を下げて、

「済まない。君を……志穂梨を失明させたのは俺かもしれない!」と言った。

誰もが、この発言に驚いていたが、その間に良太郎は言葉を選ばず、 

「2日前の夕方だよね…。そう…あの時学校から出て来た志穂梨が淳と言い合っていた。その時一台のオートバイがそのまん前の場所に供えてあったガラスか土器の花瓶みたいな物を跳ね飛ばして、そのまま走り過ぎて行ってしまったんだろう?制限速度は遥にオーバーしたオートバイが……」

と、そこまで言った。

志穂梨は信じられず、声も出せなかったが、耳を塞いで

『やめて……』

と言っているようにも見えた。

でも良太郎は真実がわかった今、詫びる気持ちのつもりで、

「ああ、やっぱり俺だ…。まさかあの花瓶が割れてあの場所にいた.志穂梨の目に当たるとは思わずに走り去ってしまったが、失明させてしまうぐらいの物だとは思わなかったんだ…」

と言って床に跪いた…。

志穂梨はその話を聞き終わらない内から体が『ワナワナ……』と震えてしまい、そこに居た誰もが言葉も出てこなかった。

ただ美奈子と母親の満希子のすすり泣く声。美奈子はその場に居た堪れなくなって先に出て行ったが、きっとドアの所で靠れて泣いているのかも知れない。

志穂梨もまた真実を言った良太郎に小さな声で、

「帰って……、もう二度とあたしの前に現れないで……」

と言って体を奮わせて泣いた。

その言葉に良太郎は頭を深く下げて出て行ったが、医師の松本洋もいくらか良太郎の事は淳から聞いているので彼に事故の原因について色々と話を聞きたかったので続けて出て行った。

でも何も見えない世界で耳だけが頼りに生きていかなければならなくなった志穂梨は放心状態になっていたのは確かだ。

志穂梨は小さい時から兄のように慕っていた良太郎が……そして子供の頃からおませでよく

『大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる』

と言っていた志穂梨が

『もう二度とあたしの前に現れないで……』

と言って追い出してしまった彼は、その後、警察に自首をした。

そして志穂梨は一人泣き崩れていたが彼女は枕の色が変わってしまうぐらい泣いた。

後で母親は父親にその時の様子を話したが、検察官である利之も「逮捕状を提出して逮捕する」と言って現場検証をして確認していた。

 そして4~5日経った頃から志穂梨は誰にも心を閉ざしてしまい、食事も喉に通らず医師の洋も心配して淳や洋の父親でこの病院の院長をしている松本隆典に相談したが、隆典は大体の話は看護婦達の噂話で聞いているので、一度会うつもりだった。

その噂を聞いて淳を勘当してやろうとも思ったぐらい情けなかった…。

しかし会わなければ何も解決が出来ない…。

そう思って明くる朝の回診の時に会うつもりでドアの前まで来てノックした…。

しばらくして出て来たのは母親の満希子だったが、その時志穂梨はベッドに寝そべって、ただ生かされている状態で夢も希望もなくしてしまって生きた化石のように動かない志穂梨に母親の満希子は、

「これ、起きなさい。今日の先生は松本先生とは違う先生ですよ」

と慌てて引き返して彼女を起していた。

隆典はそう言う患者を25年間も診てきたベテランの医師で志穂梨みたいなのはもう慣れていて非常に優しく紳士的に、

「ああいいですよ。検診に来たのじゃあないのですから。ところであなたが田原志穂梨さんですか?洋や淳から聞いた時に直ぐに来たかったのですが、大学で教授もしているので時間がなく今日になってしまった次第で、今さら何を言っても始まらないのだが、馬鹿息子の牲で本当に悪かったと思っている。親の私に免じて許してくれとは言わないが、淳も今度と言う今度は何とか罪を償いたいと言って将来の事まで考えているほどだ……。つまり君さえよかったら結婚しても構わないと言っている次第だ」

と自分の息子の非を認めていた。だが志穂梨は『結婚』と言う言葉を聞いて、

「誰があんなやつと結婚なんて……あんなやつと結婚するぐらいなら死んだほうがよっぽどマシだわ。あたしが言っているのはそんな事じゃない‼『目を元のように見えるようにして下さい』と言っているだけです」

と訴えるように言ってまた涙を流して泣いた…。

母親の満希子も彼女の言う事に同感して頷いたが、確かに両思いか志穂梨のほうが一方的に愛してしまったのなら、何とか満希子も恋が実る事を願って結ばせてやりたかった。

でも現実はそうではなく淳の方が一方的に彼女の事が好きで志穂梨はむしろ、その為に目にハンディーキャップを負わされて恨みを抱いているのである。それは誰の話を聞いても明らかで、それを今まで知らなかったのは淳の両親ぐらいだろう。

そう思うと満希子も腹立だしく、ついに隆典に、

「今日のところは帰ってください。お願いします」

と強い姿勢で言った。

そして彼女はドアの所に行き、ノブに手を回して開けた。

その姿勢を見た隆典は仕方なく病室を出て行ったが、その時母親にも詫びるように頭を下げて行った。

その姿は志穂梨には見えなかったが、母親は内心、何も言わずに出て行ったかと思うと『ほっ』としていた。言いたい事を言えたからである…。

だが何故あの時、淳が居ようがお喋りして来ようが放っといて帰れなかったのか?やはり美奈子のいう通り、志穂梨も少し彼の事が気になっていたに違いない。

その点は彼女も認めているのだが悔しい気持ちの方が勝ってしまって今は憎しみの中に沈み切っていた。

だが本当の犯人が名乗り出ても悔しい思いの方が淳に向けてしまって自分では、どう押さえたらいいのか心の準備も出来ていない状態である。

しかし美奈子も良太郎の事故の事であれから現れず、その事も気になって毎日病院に来てくれている友達に聞いたが、そのクラスメートの話によると良太郎は志穂梨の目を傷つけたのは、やはり自分が道路交通法違反ばかりしてきたツケがこういう結果を招いてしまったのだと思って悩んだ末、弁護士の両親である園田浩介、香代夫妻に拘置所で話したと美奈子から聞いたと言う。

その話を聞いた志穂梨は口をぽっかり開けて何も言えなくなったが、園田香代の方は今テレビの法律相談をしてお茶の間を人気№1にさせている有名弁護士で、浩介も例外ではない。

その長男が不祥事ばかりして飛んでもない悪だと言うレッセルを張られていたのだが有名弁護士の母親の口で何とか闇に葬られていた。

だが今度という今度は相手が検事田原利之の愛娘で、香代の娘とは小さい時から一緒に遊んだり、香代が弁護士をしているので帰りが遅くなったりすると、必ず志穂梨の家で勉強をしていたりして仲の良い親友で本当言うと親が安心して満希子に預けられる存在として感謝していた。

その手助けがあったからこそ今日まで弁護士としてテレビにも出演して有名になったのだが、その裏では息子が足を引っ張っていた。

しかし今度と言う今度は本当に縁を切り勘当をしなければ裁判になり兼ねないと思い、不良息子に育った今までの行いが一気にスキャンダルになると思い表面際に立たされた…。

もう弁護士としての活動が出来なくなるのではないかと考えていたが、とにかく会わなければどんな具合か判らない。だから病院に足を運んで来たのだが会う前に担当医の松本洋医師に会い、どの程度見えなくなるのか具体的に極めて詳しく聞きたかった。

しかし洋もレントゲンを見せながら説明したが答えは一緒で冷酷だが同じ回答しか返って来ない。何度聞いても一緒らしい。医療は発達しても怪我の場所によっては未だに治せないところもある。

怪我をさせた良太郎は運が悪いとしか言いようがない。

その事を知った園田香代は一時愕然となっていたが、若い眼科医師の洋もまだ高校生の志穂梨の目をあのまま一生見えなくなる事は耐えられないと思っていた。

しかし現実は水晶体の奥にある眼圧、そして視神経にまでガラスが両眼ともに突き刺さった状態で当病院に運ばれて来た時、救急車に乗り込んで来た淳に、

「何故両眼ともにああいう突き刺さり方をしたんだ」

と手術が終った時に聞きたかったのは山々だったが聞けなかったのが悔しい。

今もそうだが、どういう風にガラスの破片が飛んできたのか、また風が強かったのかどうか、そしてこれはバイクを運転していた良太郎にも何十㌔で走っていたのか聞く必要があった。

若い医師にとっては法医学じゃないから判らないが、それを他の医師に聞くのは勇気がいる。

事によっては障害過失、あるいは傷害罪になる可能性があるだけにここは法医学でも慎重にならなければいけない事だ。

だが志穂梨の父親は県庁の検察官でもうこの件について調べは済んでいるはずだ。

だから今度は弁護士である良太郎の母親がお見舞いと兼ねて志穂梨の担当医である松本洋に今後の症状はどの程度回復するのかも聞きたかったが

『両眼ともに失明になるのが確率だ』

と言われるのが怖かったのだろう……。だから、

「もう結構です……これ以上聞いても田原さんのお嬢様の目がよくなるわけではありませんので…ところでその方の病室の番号を教えていただけませんか?」

と聞いた。

医者の洋は仕方なく病室の番号を教えたが、相手が弁護士だけに教えないわけには行かなかった。

もう一週間前から傷口も塞がり一般病棟の個室に入っていた志穂梨の事が心配でこの頃では食事も喉に通らず吐いてばかりで最近では点滴の栄養剤を投与していたのが気になって行って診る事にした。

でもこの頃ではその点滴の針も度々外れて血が床にひたたり落ちる始末で看護婦長は主治医である若い医師洋に、

「田原さんをなんとかして下さい。あの子は自殺行為をしているのです。最初は私達の落ち度だと思いまたが、どうも違うのです。それにあの子は針が外れていても、ナースを呼ばないし、黙りこくっているので皆、困っています。それでもあの子の絶望する気持ちも解らないでもないのですが……」

と言葉を濁していたのを思い出し洋自身も機会があれば昼間でも夜間でも見に行こうと思っていた矢先だった。毎朝の回診には行っていたが、そんな事をする様子は全くなかったからだ…。

いつも洋が行くと明るく装っていたからだが一人で病室にいる時間の方が長いので気が滅入ってしまったと考えた。

でも心の中は見えないベールがあり、洋も淳も踏み込めなかった。

だが婦長に『何とかしろ』と言うのも無理ない事で、志穂梨に一度話をして見るつもりだった彼はオペを他の医者に任してもいいと考えていたほどだった。

そう思う気持の方が高ぶってきた矢先、向こうの弁護士に会う事が出来て志穂梨の障害の事も言えて、会う機会になると思って電話をした。

他の医師も知っていたのか、快くすぐ承知した。

これで安心して弁護士と話が出来て志穂梨に合わせられる。

弁護士の園田香代は黙って暫く待っていた。

話が付いたのか電話を切り、振り返った洋はそこにいた看護婦に何かを言い渡して案内役のつもりで、

「僕に着いて来て下さい」

と、言いながら診察室を後にエレベーターに乗り込んだが、エレベーターから降りた途端サッサと志穂梨の病室目指して洋は走って行った…。

香代はその後を小走りになって付いて行った……。

志穂梨の個室まで来ると先に着いた洋がドアをノックしていた。でも返答がなかったのでまたノックした洋……。    

 そして、

「志穂梨ちゃん、お客さんが来ているよ…入るよ……」

と言いながら中の様子を窺いベッドの方まで目を走らせた……。

と、その時看護師達は、

「最上階に女の子が自殺を図ろうとしている‼」

と言って何人かが上って行ったが、それが洋には志穂梨だと直ぐ解った。何故だか解らないがそう言う直感が働いたのだ。どんどんと階段を登って行く洋……。それを見失わないように追い駆ける香代……。途中で息が切れてダウンしてしまい座り込んだ香代……。

一方、洋の方は最後まで一気に登り切ったが、その前に淳が飛び降り自殺をしようとしている志穂梨を説得している最中で周りには医者や看護師達は彼女が自殺をさせないように取り囲んでいた。

母親の満希子は屋上の入り口の所まで上がったものの動けずブルブルと震えていたし患者達は、

『どうなるんだろう』

と見守っていたし後から来た香代も満希子の側でこれ以上動けなかった。

だが洋は患者や野次馬や救命士達を掻き分けて淳達に近づいたが淳と志穂梨の間は3メートルと離れていない。洋と淳の間は⒈メートルなのに淳は洋が来たのも知らずに大きな声で言っていた。

「すべて俺の責任だ。だから君の目になりたいと思って……今まで付き合ってきた女達数人にも『さよなら』って言って別れた。でも志穂梨だけは……君だけは手放したくなくて……君のあの最高にかわいい笑顔がもう一度見たいと思って…それに僕は決して偽りに君に対して『愛している』と言っていない……本心から言っているんだ……」

と言った。しかし志穂梨は治らない目を取り返してまた元の自分にならなければ『このまま死ぬ』と言って聞かない。淳はこう言われるとため息をして、何も言えなくなった。洋はこのやり取りを聞きながら大凡の原因を解った上と志穂梨の性格を知っていたので彼女のいる粋まで淳を追い越して更に手を差し伸べて近づきながら、

「君が自殺を図りたいと思う気持ちは解るが、ここは病院で優秀な医者も多いから、そこから落ちても直ぐ手当したら助かるよ。それにここから落ちても即死じゃなくて下半身か、右か左のどちらかに麻痺が残って今よりもっと不自由になるだけだよ。下手すれば頭にも障害が残るよ……」

と言って志穂梨に少しずつ近づいた。そして彼女に気付かないうちに優しく肩に両腕を回しながら、

「もう大丈夫……淳が突然結婚の話を持ち出すから『好きでもない男と結婚するものか』と思ってしまうんだよなァ…。何せ君は十代だからなァ。でも淳は結婚したいほど君を好きになってしまったか……あ~ああ」

と言いながらしっかりと洋の胸に顔を埋もれて泣いていた志穂梨…。

暫くそのままの姿勢でいた洋は、周りの景色に映る物を見ながら、

「さぁ、こんな危ない所から降りよう…。そして今日は淳の悪口でもたっぷり聞いてやるよ」

と更に優しく言った……。

そして志穂梨を連れて安全な方へ行きながら淳とすれ違った時、何故か彼の態度は悔しさが目に滲み出ていた…。

洋はそれには気付いていたが患者を助ける義務の方が優先で志穂梨の心が変わらないうちに一旦、自分の診察室に連れて行った…。

満希子と香代の二人はじっと志穂梨と淳と洋の3人を何も出来ないまま見守っていたが、洋が志穂梨を助け出したのを見て『ほっ』として胸を投げ下ろしていた。

だが志穂梨は淳とすれ違った時も別人みたいに洋の肩に顔を寄せて隠していたが母親達の前でも同じだった。

満希子は娘と洋の関係がちょっと気になっていたが志穂梨を助けられた事には変わりはなく、それだけでも感謝していた。

後の事は神のみが知るで神様の思し召しに任せようと彼女は考えていた。 

ところでこの自殺未遂騒ぎの最中に誰かが警察をも呼びパトカーが数台病院の玄関の前に来たが、事無しに終らせたので病院側としては安心していた。

しかしこれから暫くはマスコミの対応をしなければならないので大変だったが、看護士達は皆もう慣れていてマスコミ達が来ても決まって『ノーコメント』と言って先を急いだ。

中には一言言って病院に出入りしていたが、それは挨拶ぐらいである。

所がどこから仕入れてきたのか知らないがテレビのワイドショーを聞いていたらある事ない事を言っていたのである。それを聞いていた利之はある日の土曜日の午後に娘の為に見舞いに来て志穂梨や母親の満希子に、

「この病院で最近自殺騒ぎがあったと聞いているが、誰も本当の事は言ってくれない。いったいどうして言ってくれないんだろう。マスコミの連中には聞けないし私の職業柄としては教えて欲しいと思っているのだが、お前達何か知っているのなら教えてくれないか?」

と誰となしに聞いた。母親の満希子はそう聞かれて『ギクッ』としたが娘の志穂梨は平気な顔して、

「ええ、それはあたしのことよ……。あたしこの頃、少し頭がおかしくなるの…。とにかく自分の意志に反して自殺したくなってしまうの……」

と言ったが、それを聞いた利之は驚きながら妻の顔と娘の顔を交互に見た。でも母親の満希子も志穂梨の言葉に驚き、いったいどんな顔して言っているのかが解らなかった…。しかし極めて普通の顔で真面目に志穂梨は言っていた……。冗談ではないが心の病は静かに進行している…。早く診てもらわないと本当に手遅れになり自殺し兼ねない。一刻も早く診てもらわないと、ちょっと目を放した不意に自殺を図り切れない…。そういう事になる前にあの自殺を救ってくれた若い松本洋眼科医師と相談したいと思っていた満希子は家路に向かう自動車の中で夫の利之に言った……。

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