恋は盲目

加賀宮カヲ

恋は盲目

 刑事の名前は黒田。東京近郊のとあるスナックの前で待機していた。


 ――……まさかこんな所に、悪名名高き強盗殺人犯が潜伏していたとは。


 装着している無線から、捜索本部の声が聞こえてくる。


 「犯人は岡本信子で間違いない。突入を許可する。老婆だからと言って油断するなよ。」


 黒田はスナックのドアを蹴り飛ばすと「警察だ!」と狭い店内に向かって叫んだ。しかし、店内は空。トイレのドアを開けると、窓が開いていた。信子はここから逃走してしまったらしい。黒田はすぐに後を追った。


 信子は裏道を逃走している最中だった。80歳。しかし、その体さばきは30代と言っても通用するほどだった。背後に刑事が追ってくる気配を感じる。信子は塀に手を掛けると、ヒラリと舞い上がった。


 黒田もまた、熟練の肉体派刑事だった。この程度の追いかけっこには慣れている。信子が裏道を抜け、大通りに出ようとした寸前に彼女の身柄を確保した。


 「岡本信子だな。警察だ、逮捕する。」


 もうここまでか。

 信子は諦めて振り返ると、最後に刑事の顔でも拝んで、罵倒してやるかと振り返った。


 「いやだユン様…………」

 

 「こちら黒田。容疑者を確保した。至急応援を要請する。」


 「知らないのかい?ユン様だよ、夏のソナタの。アンタ、そっくりじゃないか。」


 信子は凶悪犯だ。逃れるためなら何とでも言うだろう、本来ならば。

 

 しかし信子は、黒田の顔と鍛え上げられた肉体にしか興味がないようだった。うっとりとした表情で頬を赤らめている。


 「ほら、パチンコにもなった。あたしゃユン様が好きでねえ。あんないい男いないよ。」

 「だからどうした。」


 「良い身体、お尻もたまんないねえ。」

 「セクハラだぞ。」


 「アタシももう80歳だ。二度と刑務所からは出られないだろうさ。」

 「?」

 

 「ねえ、最後の思い出にアタシを抱いてくれないかい?」

 「冗談を言うだけの余裕があるなら、弁護士の心配でもするんだな。」


 信子は本気だった。手錠を掛けられた手で黒田の股間をまさぐっている。

 

 なんだこのババアという表情の黒田。

 口をモゴモゴさせる信子。


 その時だった、総入れ歯が彼女の口から落ちたのは。

 信子は笑いながら、とっておきの殺し文句を黒田に聞かせた。

 


 「刑事さん、歯のない口ってのは良いもんだよ……」


 

 ドン引きした黒田が手を緩めてしまうと、信子は彼のズボンを脱がそうとした。咄嗟に手で振り払った黒田は、思わず逃げ出してしまった。信子が猛烈な勢いで追いかけてくる。


 「刑事さん、一度だけでいいから!」

 「ヒィッ」


 信子は黒田のホルスターから抜き取っていた拳銃で、手錠を撃った。狙いは正確。一発で手錠が外れた。黒田は拳銃を取り返そうと振り返ったが、信子が銃を構えながら「ユン様!」と叫んでいる。


 「俺はユン様じゃねえ!」

 「後生だよ、冥土の土産だと思って!」


 チュンッ


 銃弾が耳元を掠めていく。黒田は来た道を戻り、塀に手を掛けると反対側へヒラリと舞った。


 「イヤだ、素敵!」


 信子80歳が叫びながら、同じく塀を乗り越えてくる。あばら家が連なるスナック街の勝手口を、黒田は妨害用に開けていった。しかし信子は「フン!」と言いながら一撃でぶち破ってしまう。


 勝手口から信子のご近所さんが顔を出す。

 

 「おや、信ちゃん。いい男でも追っかけてんのかい?」

 「いい男なんてもんじゃないよ、ユン様そっくり!」


 「へえ……アタイもご相伴しょうばんに預かりたいもんだ。頑張ってね、信ちゃん!」


 「ありがとよ!絶対に奪ってやる。」


 恋の力は偉大なのだ。


 なんなんだ、なんなんだこのババア。

 黒田は、最早恐怖で青ざめていた。


 最初に突入したスナックへ戻った瞬間、信子にタックルをかまされた黒田は、ついに転倒してしまった。二人の身体がもつれ合う。勝手に『夏のソナタ』テーマソングが脳内を再生していた信子は「ああん、もっと」と色っぽい声を上げていた。


 逃れようと地面を這う黒田の後頭部へ拳銃のグリップをお見舞いした信子は、伸びている彼のズボンを素早く脱がした。


 黒田の息子に手を合わせ、涙を浮かべる信子。


 「ありがたや。」


 ゴッ


 流石は熟練の肉体派刑事。直ぐに意識を取り戻すと、信子の顔面めがけて一撃を食らわせた。


 「アンタ!年寄りは大事にって習わなかったのかい!」

 「人の下半身裸にしておいて何言ってんだ、ババア!」


 信子は黒田の身体へ馬乗りになると、色っぽい目線を送りながら、歯のない口で指を咥えた。


 「もしかして、アンタ。チェリーなのかい?」

 「頼むからせめて平成の言葉で話してくれ。」

 

 「なんだよ!減るもんじゃあるまいし。」


 「いや、減る。精子の数は決まってる!」

 

 「屁理屈こきは黙ってな!」


 信子の口が黒田の下半身に迫る。身動きが取れない黒田は絶叫していた。

 

 「誰か助けて!……こわいよー!ママあ!」

 

 その時だった、スナックの前に応援部隊が到着したのは。

 


 「何やってんだ、コイツら……」

 

 応援部隊は下半身裸にされた黒田と信子の姿を見つけると、呆然とした様子で呟いた。


 

 


 

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