第21話
一ヶ月が過ぎても、祐二はまだ一度も渡された原稿を見ていなかった。
矢萩玲子の死が持つ意味は、日を経るにつれ転がる雪玉のように急速に膨れ上がり、比例するように恐怖感がつのった。
祐二は封も切らぬまま押入れの奥にしまい込んで、その存在を忘れようと努めた。
そんなある夕方、祐二が学校から帰ると、机の上に一枚の絵葉書が置いてあった。
サーキットを駆け抜けるレーシングライダーの絵葉書で、松本喬一からだというのはすぐわかった。
よう元気か。おれは元気だ。連絡先を知らせておくから、気が向いたら電話してくれ。
それから文末に住所と電話番号が書いてあるだけの、いかにも彼らしい簡単な葉書だった。
思わず苦笑が漏れ、もう長いこと笑いを忘れていた自分に気づいた。
夕食に呼ばれて下へ降り、仕事でいつも帰りが遅い父親を除いた母と妹の三人でダイニングのテーブルを囲んでいると、食事の合間に母親が言った。
「祐二、絵葉書が来てたでしょう」
「うん」
「松本喬一くんだっけ」
「ああ」
「言いたくないけど、友だちも選んでつきあわなきゃダメよ。ただでさえ、あんたは他人に影響されやすいんだから」
「別にいいじゃない」と、妹が言った。「アニキが自分で決めてつきあってるんだから。そんなことまでいちいち指図されたんじゃ息がつまっちゃうよ」
「でも、あの松本くんはやめた方がいいわ。ああいう子とつきあっても、何も得られないもの」
「友だちって損得で選ぶのかな」と、祐二はムッとしてつぶやいた。
「あんたたちにはまだわからないだろうけどね。子供なのよ」
「かもね」
「保護者の間でもずいぶん噂になってたわ。半年近く登校拒否したあげく、先生まで殴り倒したそうじゃない」
「すごーい。やるなあ、その人」と、妹がころころ笑った。
「笑いごとじゃないわよ」
祐二の母は真剣な顔で言った。
「校舎の中をオートバイで走り回ったり、勝手に家出したり、祐二にはそんな風になってもらっちゃ困るんだから」
「カッコいいなあ。アニキ、あたしもその人に会ってみたいな」
「バカッ!」と、母が強い口調でたしなめた。
妹は目を丸くして肩をすくめ、味噌汁の椀を取った。
「わかってるわね、祐二」
母親は心配そうに続けた。
「父さんも母さんも、あんたがちゃんと勉強して、少しでも早く一人前になるのを願ってるの。悪い友だちとつきあって道を踏み外すようなことだけはしないでよ」
「わかってるよ」
「何言ってんのよ、母さん。アニキだってバカじゃないわ。自分の子供を信じられないの?」
「もうやめよう」と、祐二は妹に言い、それから厳かに宣誓した。「これからは、あいつとはつきあわないようにするよ」
「アニキ!」
びっくりしたように息を呑む妹を尻目に、祐二は黙々と箸を運んだ。
こんなことで親と言い争うのはバカげている。
それで、喬一と絶交する気など少しもなかったが、手間を省くためにそう言ったのだった。
心にもないことを表面だけ装うのはたやすいことだった。
妹が軽蔑するような視線を向けてきたが、母はそれで満足し、また箸を動かし始めた。
いつもはおしゃべりな妹が機嫌を損ねて黙ってしまったので、その日の夕食はひどく静かなものになった。
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