第18話

 松本喬一がオートバイで授業中の校舎へ突入したのは、それから10日ほど後のことだった。


 穏やかな陽気の木曜日で、2時限目の数学の時間だった。


 教室は静まり返り、板書する教師のチョークの音以外何の物音もなかった。


 学校というのは、実に不思議なところだった。


 同じ服を着て、同じような髪型をした表情のないロボットみたいな子供たちが、成績


 表という唯一の絶対的な価値に支配されて棲息している。


 まるで、そうしてさえいれば、ささやかな幸福のもとへ自ずと流れ着くとでも信じているかのように。


 けれども、祐二には彼らの信じているらしいそのささやかな幸福というのがどういうものなのか見当もつかなかった。


 自分が幸せなのか不幸せなのか、それすらわからなかった。


 おそらく、どちらでもないのだろう。


 彼は勉強に集中することも、他のことをして気を紛らわせることも、何もしないでいることもできず、ただ黒板に書かれた内容をノートに書き写しながら途方に暮れていた。


 喬一のマシンが校庭に入ってきたのはその時だった。


 真っ赤なXR250は、いきなり甲高い排気音を響かせながら、陸上部が使うトラックを周回し始めた。


 数人の教師たちが、慌てて校舎から飛び出して行く。


 喬一は向かってくる彼らの姿を認めると、急にオートバイの向きを変えて襲いかかった。


 肝を潰した教師たちが慌てて離散し、彼はその中央をゆうゆうと走り抜けた。


 オートバイはまっすぐ職員室前の昇降口まで走り、そこから薄暗い校舎の中へ入った。


 振り返ると、さっき蹴散らしたばかりの教師たちが、また追いすがってくる。


 マフラーから吐き出される排気音が、モンスターの雄叫びのように陰気な校舎内に響き渡った。


 喬一はマシンを自在に操り、狭い校舎の中を縦横無尽に走り回った。


 2日前にワックスをかけたばかりの廊下は、歩くだけでも転んでしまいそうなほどつるつるだったが、彼はまるで平気だった。


 オートバイは階段を上り、廊下を突っ走り、また階段を上った。


 教室の前を通り過ぎるたびに、見物人と化した生徒たちが窓から鈴なりに顔を出した。


 祐二は喬一の顔を覗いてみたいと思ったが、ヘルメットとゴーグルで隠れてしまっていた。


 あるいは笑っているのかもしれない。


 あいつがやってやると言ったのは、このことだったんだ。


 祐二はそう思うのがやっとだった。

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