第13話
もっとも、伊集院綾香の方はそんなことはまるで意に介さない風で、祐二が助手席でシートベルトを装着したのを確かめると、ギヤを素早くローに入れ、車を発進させた。
祐二は夢をみているような気がした。
隣でハンドルを握っているのは、有名な作家先生なのだ。
容易にその現実に馴染めるはずもない。
初めて彼女を見た時感じた奇妙な違和感は、いまや抜き差しならぬものとなり、祐二の胸に大きく影を落としていた。
今の彼女はまぎれもなく魅力的な大人の女であり、ロマンチックなおとぎ話で頭の足りない子供たちから金を巻き上げる売れっ子作家などではなかった。
祐二は学校の女の子たちとまるで違う落ち着いた雰囲気に呑まれ、緊張せずにはいられなかった。
身体の節々が痛む。
「フランス料理でいい?」
「何でも」と、祐二は答えた。
「食事なんて本当はどうだっていいんだ。あんたみたいな有名人と話せるチャンスなんて、そうあるもんじゃないからね」
伊集院綾香は声を上げて笑い、それから急に真顔になって、
「学校をサボったりして、親には叱られなかった?」
「別に。何も言われなかったよ」
そのとおりだった。
いつもと同じ時間に何事もなかったように家へ帰ると、思いつめたような暗い顔の母が玄関先へ現れて、
「あんた、今日学校へ行かなかったそうね」と言った。「さっき、石毛先生から連絡があったわよ」
「うん」
「いったい、どういうことなの?」
祐二は説明するのが面倒だったので、一言、
「行きたくなかったんだ」とだけ答えた。
すると、母親はひどく辛そうな表情になって、彼の顔をじっと見つめた。
心の中では、きっと激しい葛藤が繰り広げられているのだろう。
しばらく黙り込んだ後、むしろ自分を落ち着かせようとでもするかのように、抑えた口調でこう言った。
「今度休む時は、ちゃんと母さんに言ってからにしなさいよ」
「うん、そうする」
それで終わりだった。
いつものことだ。
母はキッチンへ戻って行き、祐二は二階の自分の部屋へ上がった。
「それだけ?」
伊集院綾香は目を丸くした。
「それだけさ」祐二は呟いた。「学校を休むのなんて、たいしたことじゃないんだ」
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