第12話

 彼女はそんな気持ちを見透かしたかのようにまた微笑み、優しい口調で言った。


「キミは宮本武蔵やベートーヴェンみたいに生きたいの?」


「それが男ってもんだろ」


 肯いて、伊集院綾香はゆっくり立ち上がった。


「面白い子ね。声をかけた甲斐があったわ」


「帰るの?」


「ホントはもっと話したいんだけど、これから編集の人と会う約束だから」


「ふうん」


「ねえ」と、彼女は腰をかがめ、「よかったら、今夜いっしょに食事でもどう?」


「いいよ」


「6時半に図書館の前にいて。車で迎えにくるから」


「6時半だね」


「じゃあ、またその時に」


「さよなら」と、祐二は言った。




 約束した時間より少し早めに図書館へ着き、そこらをぶらぶらしながら待っていると、滑らかな排気音を響かせながら走ってきた赤いNSXが、すぐそばに停まった。


 ちょうど6時半になったところだった。


「待った?」


「いや」祐二は首を振った。「来たところだよ」


「よかった。じゃあ乗って」


 やけに低い位置にあるドアを開け、身体を小さくして助手席へ乗り込むと、本皮製のバケットシートがピタリとフィットし、背中から腰にかけてしっかりホールドする。


 外から見た時は気づかなかったが、彼女は昼間会った時とまるで違い、すっかりドレスアップしていた。


 シルクのブラウスに、黒いタイトスカート。


 高価な皮のジャケットを着て、スカートの中からは黒いストッキングをはいた形のいい脚がスラリと伸びていた。


 NSXのような車を運転するのに、踵の高いパンプスはいただけないが、他は本当に恋人とデートに出かける時のようで、祐二は奇妙にドキドキした。


 もしかしてトキメいてんのか、おれは?


 自分を笑ってみる。


 しかし、嬉しさはすぐにしぼんだ。


 自分の服装が、彼女のそれとあまりにも釣り合わない気がしたからだ。


 祐二はグレーの無地のコットンシャツに色褪せたデニムの上下を着、白いバスケットシューズを履いていた。


 普段からデニムが好きで、自分にはそれが一番似合うと信じていたが、今度ばかりはそんな考えが恨めしかった。


 急いで家へ戻り、親父殿のスーツでも拝借してきたい気分だ。

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