第7話

 殴られる、と思った瞬間、喬一は反射的に右拳を突き出していた。


 相手の気配につられて闇雲に繰り出したストレートで、当たると思っていなかった。


 一方的に殴られるより、一発なりとも先制攻撃してやろうと夢中で腕を振り回したにすぎなかったのが、見事に命中した。


 しかも、前へ踏み出してきた相手の顔面に、正面からカウンター気味にクリーンヒットしたので、石毛もたまらず、そばの机に腰をぶつけて、そのまま後ろ向きに転倒した。


 地雷を踏んだような凄まじい音がした。


 石毛義春は倒れた刹那、机の角へ後頭部をもろに打ちつけ、あっけなくのびてしまった。


 思いがけぬ幕切れだった。


 以来、喬一は学校へ来なくなった。


 隣の教室から物音を聞きつけた若い教師が駆けつけた時、喬一はいまだ興奮冷めやらず、仁王立ちのまま倒れている石毛を睨みすえていた。


 事件の後、石毛義春は後頭部の裂傷で2日間休んだが、3日目にはもう戻ってきた。


 頭部に巻かれた白い包帯が痛々しい。


 ベテランで指導力も充分と認められていた彼が子供に殴られた事実は、当然他の職員たちにも激しい動揺を与えた。


 石毛義春が職員室に復帰すると、さっそく喬一の処分を巡って職員会議が開かれた。


 喬一は1年の頃から授業態度が悪く、たびたび無断欠席をしたので、快く思わない職員が多かった。


 中には公然と、彼は家庭環境に問題があるので、我々だけではどうにもならないと投げ出す者もあった。


 実際その通りで、喬一の両親は昔から同居と別居を繰り返し、諍いが絶えなかった。


 互いに自分の言い分ばかりに拘泥し、当然ながら、そうした態度が子供にどう影響するかなど考えもしなかった。


 喬一は家族の中にあって、いつも独りだった。


 おれは何かの間違いで生まれたんだ。


 ずっと、そう思っていた。


 ところが、会議の趨勢が喬一を退学処分にする方向でまとまりかけたその時、俄かに一人の教師が立ち上がり、強硬に反対意見を述べた。


 石毛義春だった。


「今度のことは、すべて私の責任です」と、彼は敢然と言った。「松本は、日頃の鬱憤をぶつけてきたにすぎません。その気持ちを受け止めるだけの人間的な大きさが、私にはなかった。それが彼をあんな行動へ向かわせてしまったのでしょう。教育に携わる身として、かくも恥ずべきことがありましょうか。痛恨の極みです」


「そんなことはありませんよ、石毛先生」


 進行役を務めていた初老の国語科教師が首を振った。


「あなたが人一倍教育熱心なことは、ここにいる誰もが知っています。教師といえども人間です。その力は無限ではありません。あなたを責める資格など、誰にもありませんよ」

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