第5話
「おれは前からあいつに言っときたいことがあったんだ」
喬一は席に着くなり、斜め前の祐二に言った。
「ちょうどいい機会だ。今日こそ言ってやる」
「わかるよ」と、祐二は肯いた。
しかし、彼が何を言おうとしているのか、本当にはわかっていなかった。
そんなことより、妙な騒ぎは起こさず、おとなしく着替えてしまえばいいのにと思った。
「おまえの気持ちはよくわかる」
祐二は言った。
「でも、やっぱ着替えた方がいいよ。言いたいことがあるなら、それから言えばいい。あんな奴に怒鳴られるのはつまんねえぞ」
「いや、おれは着替えない」と、喬一は首を振った。
祐二は口を噤んだ。
こいつは本気だ。
喬一は本気で石毛に喧嘩を売る気なのだ。
祐二は瞠目した。
そして、おれは何て勇敢な奴を友達にしたんだろうと、かえって暗い気持ちになった。
やがて、教室の前のドアが開き、石毛義春が入ってきた。
いつものグレーのジャージをはき、上半身は丸首の白いコットンシャツ一枚で、袖口を肘の上までたくし上げている。
ホイッスルは下げていなかったが、足元のサンダルは歩くたびにペタペタ音をたてた。
背筋をしゃんと伸ばし、ゆっくりした足取りで教壇に上った。
持っていた出席簿とホーム・ルーム用の学級ノートを教卓に置き、教室全体をぐるっと見渡した。
窓際の席にジャージ姿で座ってにやけた顔で彼を見ている喬一の姿は、すぐ石毛の目にとまった。
彼は始業の号令をかけようとした級長に向かって、
「ちょっと待て」と、声をかけた。
険しい顔つきだった。
彼は教壇を下り、大股に、ゆっくりと喬一の方へ歩いて行った。
サンダルがまた、ペタペタ鳴った。
祐二は石毛がわきを通り過ぎた瞬間、とっさに首をすくめそうになり、あわてて我慢した。
石毛義春が喬一の机の傍らに立った。
「おい、松本。その格好は何だ」
「暑いんですよ」と、喬一は答えた。
「だからって、自分だけそんな格好が許されると思ってるのか」
石毛の口調が、いよいよきつくなった。
「みんなを見ろ。暑いのは誰も同じなんだ。でも、彼らはちゃんと規則を守っている。一人だけそんな涼しそうな格好をして、申し訳ないとは思わんのか」
「昼休みにバスケをしたんです。汗をかいたから、着替えなきゃ風邪をひきますよ」
「言い訳をするな。短い休みに汗をかくようなことをするからそうなるんだ。休み時間は授業の合間の息抜きの時間だ。教室で静かにしていればいいんだ」
突然、喬一の口調が一変した。
彼は机を叩いて立ち上がった。
「いちいちうぜえんだよ、てめえは!」
「何だと?」
石毛義春は目を剥いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます