初夏色ブルーノート
前編
世に彼氏にしてはいけない職業の男「3B」というものがある。美容師、バーテンダー、バンドマン。
不特定多数の女性との出会いが多い職場であり、見た目も大事とあって彼らは総じてオシャレでかっこよく大変にモテる。浮気しないわけがない。おまけに収入が安定しない職業であるから金銭的なトラブルも起こりがち。
そんなオトコに入れ込んで痛い目に合う女性は数知れず。そう、私もだよ! ちきしょうめ!
「明子さん? 変な味でもしましたか?」
「え、なんで」
「怖い顔してたから」
行きつけのカフェのイケメン店員ダイキくんが心配そうな顔をしている。やー申し訳ない、ほんと申し訳ない。
「いや、まったく。お料理には何の問題もありません。いつもどおり美味しいです!」
「疲れてるんですね。今日も忙しそうですもんね」
そう言ってダイキくんは私のグラスにミント水を注ぎ足してくれた。はー、愛嬌のあるイケメンな上にこの気遣い。癒されるわぁ。
午前中、小さな打ち合わせが続いて立て込んで、午後の外回りの準備にも手間取って、ランチの時間が遅くなってしまった。
それでもいつも通っているこの店に駆け込んでよかったと思う。まだ大丈夫ですよって融通利かせてもらえたし。
しかし、癒しじゃなかったのは店内に流れるこの曲だ。
「今日はバリバリジャズなんだね、いつもイージーリスニングなのに」
「あ、すみません。今朝店長と有線のチャンネルいじってそのままでした。戻しますね」
「いやいや、いいよこのままで。ジャズは好きだし」
そう、ジャズの曲なんてそこかしこに流れているし、この曲だってポピュラー過ぎて耳に入らないようにする方が難しい。このカフェにもこの曲にも罪はない。私の修業が足りないだけだ。
夏には暮らしが楽になる、父さんは金持ち、お母さんは美人、だからぼうや泣かないで。
クララはそう歌うけれど実際の生活は過酷で悲劇を増していく。子守歌に託された願望と、翼を広げて飛び立つという未来への希望と、そうはならない現実への悲哀が切ない。
現実はままならない。人の心もままならない。何度も夏がめぐって、日常ではすっかりなかったことにできている思い出も、こうやってふと噴き出して心を蝕む。
ちきしょう智昭、あの男。今度会ったら、ぶち殺す!
学生時代、私はインディーズバンドにハマっていた。追っかけとまではいかないけれど、推しのバンドを見つけては、ライブハウスを巡回したりストリートにもついていったし、同じようなファンの子たちと情報交換したり交流ができたりするのも楽しかった。
お気に入りのバンドが消えてしまうのはよくあることで、グループではなく個人を追いかけている子もいたけれど、楽曲から好きになることが多い私は、グループを応援したいタイプだった。
そんな私が夢中になったのが、ジャズロックバンド〈ベリル〉だった。ケイコさんというボーカルのおねえさんがめっちゃオシャレでカッコよくて、ジャズなんておっさんくさいと思っていた小娘の私は、見事に宗旨替えしてそのジャズサウンドの虜になった。
そこまでカリスマチックなケイコさんだから、ファンは多くて、差し入れしたいな、お手紙渡したいな、と楽屋へ行っても、新参者の私はなかなか近寄れなかった。
粘り強く何回も楽屋に足を向けていると、ある夜、年が近そうな男の子に話しかけられた。
「いつも来てるけど、ケイコさんに?」
「あ、ハイ!」
元気よく返事して、誰だろうとそいつを観察する。メンバーではないし、スタッフさんかなって思った。
「呼んできてあげようか?」
「そそ、そんな! めっそうもない! あの、できれば手紙を渡してもらえれば。あと、お菓子はみなさんでどうぞです!」
ずいっと紙袋を押し付ける。一緒に入ってる手紙にはちゃんと宛名を書いておいたから大丈夫だよな。
お願いしますとべこっとお辞儀をして顔をあげると、そいつは苦笑いを浮かべて私を見下ろしてた。
そいつが〈ベリル〉でタイコを叩いていた智昭だったわけだけど。
大変申し訳ないけれど、ドラマーさんというのはステージで前面に出てくることがないので、なかなか顔を認識されない。バンドになくてはならない存在であるにも関わらず。大変に申し訳ない。
言葉を交わしたこともあり、私はすぐにタイコの人かっ、と智昭の正体に気がついた。てっきりスタッフさんかと思いました、とは言わず、しれーっとその後も少しずつ会話するようになった。
ケイコさんのための差し入れを、私はいつしか智昭のために持っていくようになった。いまさら改まって、ファンレターを書くことはしなかったけれど。
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