宗太はマリを抱いた。刺青だらけの腕で、血まみれのシャツで。そして、唇を塞いだ。

 マリの水色のワンピースには、乾いていない血がべっとりと染みついた。

 抱擁と口づけ。そう呼ぶには一連の動作は荒々しすぎた。野生動物が獲物を捕食する仕草に似てすらいた。それでもマリには、それは抱擁と口づけだった。身を売る仕事をしていてなお、はじめてと呼んでもいいような。

 自分がこの男を愛していると、認めないわけにはいかなかった。スラムから拾われた晩、共寝で得たあのぬくもり。それを今でも忘れられないのだと。

 「迎えに来る。」

 男は嘘を吐いた。

 「待っているわ。」

 女は嘘を見抜けないふりをした。

 迎えになんて、来るはずない。分かってる。そんなことは、分かっている。

 必要とされているのはマリが持っている服と金だけだ。   それでも、嘘を見抜けないふり以外、マリになにができただろうか。琴葉ではない自分に、この男は僅かばかりの情だって寄せていない。それを知っていて、他になにが。

 マリはふらふらと立ち上がり、押し入れの襖を開けた。自分の身体を制御できているという感覚がなかった。ただ、さっきの口づけで拭き込まれた男の呼気が、勝手にマリを動かしているみたいだった。

 温度のない呼気。ただ、マリを従わせるためだけの。

 押し入れの中には、洗濯して小さく畳んだぼろぼろの衣服が片付けられている。

 マリはそれを男の膝先に置いた。

 男はマリにもう一度口づけをした。

 マリはもう一度押入れを開け、中から小さな黒い巾着包みを取り出した。

 客からのチップを少しずつ溜めている巾着だった。今ではそこそこの金額になっているはずだ。

 男が服を脱ぎ、マリのぼろぼろのシャツを羽織った。その一瞬見えた背中の刺青は、天女だった。その顔は、琴葉に似ていた。うつくしいような美しくないような微妙な顔立ちと、長く美しい黒髪。どこからどう見ても、それは琴葉の似せ絵だった。

 マリのぼろ服は、測ったようにどれも男の身にぴたりと合った。このために自分はここに売られてきたのではないかと、マリが思ったくらいに。

 男は最後にマリを見て、汚してごめんな、と言った。

 マリは血が移ったワンピースを見おろして、いいの、と    首を振った。

 汚してごめんな。

 なにをどう汚したつもりなのか、問い詰めたいのにそれもできない。マリの感情はも つれてもつれて言葉を生んではくれない。

 男がまた窓枠を越え、部屋を出て行く。

 マリはその背中をじっと見送った後、血染めになったワンピースの胸元を抱えて泣いた。

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