脱出

売られてきた女たちが観音通りから脱出する方法は、二つしかない。

 一つ目は落籍。二つ目は死だ。

 その一つ目の脱出手段が琴葉のもとに投げかけられたのは、彼女が観音通りに来て二月も経たない内だった。

 時々来るあの客いるだろう。お前を妾にほしいって。

 蝉が飄々とそう言ったのは、マリがいつものように琴葉の髪を梳っているその時だった。

 「え?」

 琴葉は驚いたように、見えない目を彷徨わせた。それは、いまいち客に心当たりがないらしい、微妙な目線の使い方だった。

 「時々来るお客様って……志田様でしょうか。」

 そんな琴葉に、蝉はいい加減に頷くと身をかがめて彼女の肩をぽんぽんと打った。

 「志田? そう、確かそんなやつ。結構いい金額出すって言うし、お前、少しでも早くここから出てった方がいいのは分かってるだろ。」

 マリは櫛を持つ手を止め、蝉と琴葉を見比べていた。今日も派手な縞模様の着物を引きずった蝉と、盲目ながらうつくしいような雰囲気を漂わせる琴葉。

 「……ええ、それは。」

 わかっています、と、琴葉はどこかたどたどしく言った。

 すると蝉は、再度あっさり彼女の肩を叩く。

 「そうと決まれば話は早い方がいい。宗太に話して来よう。あいつの取り分も決めないことにはな。」

 宗太さんに、と、琴葉は戸惑ったように呟いたが、蝉はおそらくその言葉を聞いてもいなかった。すぱん、と気持ちのいいような勢いで襖を開け、廊下へ出て行く。

 「もし、宗太さんが反対したら、この話はなかったことになるんですか?」

 琴葉はマリに問うたが、マリとて落籍されていく女を見るのは初めてだ。どうにも答えられない。さあ、と曖昧に言葉を濁し、櫛を鏡台に戻した。

 「反対されるって思っているの?」

 問い返せば琴葉は、細い顎で当たり前のようにくっきりと頷いた。

 「きっと反対する。蝉さんにも、なにかするかもしれない……。」

 「蝉に?」

 「ええ、もしかしたら……。」

 まさかそんなはずはないだろう、と、笑い飛ばしてしまいたかった。あの生粋の女衒が、まとまった金の入る落籍を歓迎しないはずがないと。

 しかし、琴葉は自分の女房だった、と言ったときの宗太の様子を思い出すと、どうにも笑い飛ばせない自分がいた。確かに宗太は、琴葉の落籍には取り乱すのかもしれない。マリのそれには眉一つ動かさないにしても。

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