7
その晩、日高が夜も随分更けた頃に借りきりでマリを買いに来た。珍しいことに、どこかで酒を飲んできた帰りであるらしい。いつもは青ざめているほど白い顔が、今日はほんのりと赤くなっている。
それでも日高は、いつものようにマリの読書に付き合ってくれた。鉛筆で素早く書き込まれる読み仮名は、いつもより少し歪んでいた。
読書を切りのいいところまで終わらせ、日高と床に入ろうとしたマリは、ふとあることを思い出した。
そういえば、宗太が売りもせずに女を部屋に住まわせているとの噂をマリに運んできたのは、確か日高だ。
「日高さん。」
「なに?」
日高の声はすでにもう随分と眠たげだった。話を続けるかマリは一瞬躊躇ったけれど、そのまま言を接いだ。
「宗太の秘蔵っ子が売られてきたんですよ。」
「聞いているよ。琴葉ちゃんだってね。」
「宗太は俺の女房だったって言うんです。」
「へぇ?」
「琴葉は兄妹だって言うんです。」
「ほう。」
「日高さんならなにか知ってるんじゃないかと思って。」
「そうかぁ。妬けるなぁ。」
「え?」
日高のひょろりと長い腕が、マリの腰を抱いて引き寄せた。布団に膝をついていたマリは、そのまま無防備に日高の膝に突っ伏した。
「マリちゃんは、宗太くんのことがそんなに気になるんだね。」
「え?……そういうわけじゃ……。」
「知っているよ。耳が早いのが私の特技だから。」
「それは、どんな?」
問えば、日高は躊躇うさまも見せずにするすると言葉を紡ぐ。
「宗太くんと琴葉ちゃんは、幼馴染だよ。焼け跡時代に同じ場所に捨てられて、そこから二人で暮らしていたみたい。琴葉ちゃんの目は栄養失調で見えなくなって、宗太くんはそのことに責任を感じているとか。」
「じゃあ、女房っていうのも、兄妹って言うのも、」
嘘だったんですね、と、マリが言おうとすると、その前にふわりと日高が言葉を重ねた。
「両方とも、本当って言えば本当なんだろうね。」
そこまでで日高は口をつぐみ、マリの肩を抱いて布団へ押し倒した。その動作は普段よりずっと性急で、マリは驚いて一瞬抵抗しかけた。慌てて頭の中で、客だ、この人は、と自分に言い聞かせてなんとか両腕の緊張を解く。
「マリちゃん、ここから出て、私の家においでよ。」
他の客からでも、いくらでも聞いて来た睦言だった。その度にマリは溶けそうな笑顔をこしらえ、嬉しいわ、と、男の胸に顔を埋めると決めていた。
けれど今日の日高の言葉はただの睦言には到底聞こえず、マリは咄嗟にその言葉が聞こえないふりをした。
それは、聞いてはいけない言葉だという気がしたのだ
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