6
毎日ほとんど無言で、マリは琴葉の髪を梳る。椿油をほんの薄く髪に馴染ませ、木製の目の細かい櫛を丁寧に使う。
だからマリが、ねえ琴葉、と話しかけたとき、琴葉は驚いたようで少し肩を揺らした。
「……あんた、宗太と結婚してたの?」
直球の問いだった。もともと性格上の問題で、マリに変化球は投げられない。
あっけにとられたような沈黙の後、いいえ、と、琴葉は答えた。
「それ、宗太さんが言ったんですか?」
「……うん。」
そう、と、琴葉が呟く。そしてまた沈黙が落ちる。マリは機械的に手を動かし、琴葉の長い髪を丹念に梳き下ろしていた。そうでもしていないと、きっと見ていられないくらいそわそわしてしまう。
「……そんなはず、ないですよ。」
琴葉の声音は、僅かばかりの苦笑さえ含んでいた。
「宗太さんと私、兄妹ですから。」
「……え?」
間抜けに問い返すマリに、琴葉は全く同じ言葉を辛抱強く繰りかえした。
「だからね、結婚なんてありえないんです。」
さすがにマリは櫛を持つ手の動きを止めた、頭が混乱しすぎて動けなくなったのだ。
「……兄妹?」
「ええ。」
「じゃあなんで、宗太はあんたを売るのよ。」
「それがあの人のせめてもの誠意なんでしょう。」
くすり、と、赤く染めた琴葉の唇が笑った。
誠意。宗太にはあまりにも似合わない言葉だ。
「結婚なんて、あの人も馬鹿なことを言ったものですね。」
琴葉の口から出た『あの人』という単語には、いっそ憐れむような響きすらあった。できの悪い生徒をそれでもじっと見守る根気強い女教師みたいな、薄い嫌悪と愛着。
兄妹、と、マリは唖然としたまま口の中で呟いた。兄が妹を売る。それがせめてもの誠意。そんなバカげた話があるのだろうか。
「マリさん?」
琴葉が見えない目をぎこちなく動かし、マリの方を振り返った。視線はやはり外れていて、マリの右側三十センチほどを見ている。
「そろそろ表に出ないといけないんじゃ……。」
ええ、そうね、と、やはりぎこちなくマリは頷くと、琴葉に手を貸して部屋を出た。表は真っ赤な夕焼けだった。こんなに赤い空を見たのは初めてだ、と、マリは思った。
「眩しいのね。」
と、夕日の色は見えない琴葉も独り言のように頷くと、手探りでいつもの席に座った。
するとすぐに琴葉の肩を叩く客がいる。最近よく見る顔だな、とは思ったものの、マリの頭の中を支配しているのは、兄妹、誠意、の二つの単語ばかりだった。
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