毎日ほとんど無言で、マリは琴葉の髪を梳る。椿油をほんの薄く髪に馴染ませ、木製の目の細かい櫛を丁寧に使う。

 だからマリが、ねえ琴葉、と話しかけたとき、琴葉は驚いたようで少し肩を揺らした。

 「……あんた、宗太と結婚してたの?」

 直球の問いだった。もともと性格上の問題で、マリに変化球は投げられない。

 あっけにとられたような沈黙の後、いいえ、と、琴葉は答えた。

 「それ、宗太さんが言ったんですか?」

 「……うん。」

 そう、と、琴葉が呟く。そしてまた沈黙が落ちる。マリは機械的に手を動かし、琴葉の長い髪を丹念に梳き下ろしていた。そうでもしていないと、きっと見ていられないくらいそわそわしてしまう。

 「……そんなはず、ないですよ。」

 琴葉の声音は、僅かばかりの苦笑さえ含んでいた。

 「宗太さんと私、兄妹ですから。」

 「……え?」

 間抜けに問い返すマリに、琴葉は全く同じ言葉を辛抱強く繰りかえした。

 「だからね、結婚なんてありえないんです。」

 さすがにマリは櫛を持つ手の動きを止めた、頭が混乱しすぎて動けなくなったのだ。

 「……兄妹?」

 「ええ。」

 「じゃあなんで、宗太はあんたを売るのよ。」

 「それがあの人のせめてもの誠意なんでしょう。」

 くすり、と、赤く染めた琴葉の唇が笑った。

 誠意。宗太にはあまりにも似合わない言葉だ。

 「結婚なんて、あの人も馬鹿なことを言ったものですね。」

 琴葉の口から出た『あの人』という単語には、いっそ憐れむような響きすらあった。できの悪い生徒をそれでもじっと見守る根気強い女教師みたいな、薄い嫌悪と愛着。

 兄妹、と、マリは唖然としたまま口の中で呟いた。兄が妹を売る。それがせめてもの誠意。そんなバカげた話があるのだろうか。

 「マリさん?」

 琴葉が見えない目をぎこちなく動かし、マリの方を振り返った。視線はやはり外れていて、マリの右側三十センチほどを見ている。

 「そろそろ表に出ないといけないんじゃ……。」

 ええ、そうね、と、やはりぎこちなくマリは頷くと、琴葉に手を貸して部屋を出た。表は真っ赤な夕焼けだった。こんなに赤い空を見たのは初めてだ、と、マリは思った。

 「眩しいのね。」

 と、夕日の色は見えない琴葉も独り言のように頷くと、手探りでいつもの席に座った。

 するとすぐに琴葉の肩を叩く客がいる。最近よく見る顔だな、とは思ったものの、マリの頭の中を支配しているのは、兄妹、誠意、の二つの単語ばかりだった。

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