宗太の秘蔵っ子がついに売られてくる。

 そんな噂が長屋を駆け巡ったのは、マリが売られて早ひと月がたった頃だった。

 昼ごろ目をさまし、顔を洗おうと洗面台の方に行きかけると、蝉の部屋の前に、ちょっとした人だかりができていた。

 マリもこっそりとその野次馬に混ざる。

 「秘蔵っ子って本当なのね。いつもは玄関先で金だけ受けとって帰るのにさ。」

 誰に言うともなく、うつくしい娼婦が囁いた。パーマネントをかけた長い髪をカチューシャで留めた彼女も多分、宗太に売られてきたのだろう。ざわざわと、薄い肯定が人波を横切る。

 人波のすきまから、マリはなんとか部屋の中を覗いた。

 中にいるのは蝉と宗太と若い女。

 女の歳はマリとそう変わらないだろう。別段、うつくしい女ではなかった。長い黒髪と蒼白の肌で美しいような感じに見えているけれど、よくよく顔だちを見てみれば平凡。そんな女だった。

 女は宗太の隣に正座をしていたが、心ここに在らずといった様子で視線をぼんやりと流していた。

 宗太は片目で女の様子を窺いながら、蝉から受け取った金を懐に収めた後、畳に手をついて深々と頭を下げた。

 また、やじ馬の間に驚きが広がった。

 頭を上げた宗太はゆっくりと立ち上がり、女の方を一度振り向くと、思い直したように前に向き直り、蝉の部屋を出て行った。

 蝉はひょいと立ち上がると、女の肘を引いて立ち上がらせた。

 「あんたの部屋に連れて行くよ。」

 蝉は、女の肘を取ったまま、やじ馬だらけの襖を開けた。しかし女は全く視線を動かさず、真っ直ぐに前だけを見ていた。色素の薄い、大きな目。

 そこでマリは、彼女がほとんど盲目であることに気が付いた。すい、と午後の日差しが眩しい窓の方に目をやった仕草からすると、明るいところと暗いところの別くらいは分かるのかもしれない。

 「ここがあんたの部屋だよ。」

 蝉が女の腕を取って入って行った部屋は、マリの隣の部屋だった。

 「今日から外で客を引いてもらうから、そのつもりで。」

 処女じゃないのね、と、やじ馬の誰かが呟いた。また漫然とした肯定が野次馬の周りを回る。

 「琴葉だ。目があまり見えない。面倒見てやって。」

 琴葉を置いて引きかえしてきた蝉は、野次馬の前を平然と通り抜けながら、マリを見てそう言いつけた。

 はい、と、マリは辛うじて頷いた。



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