琴葉
スラム街出身、諦めはお手の物のマリが仕事に慣れるには、一週間とかからなかった。 客を迎え、布団に転がり、後は天井の木目を眺めていればいい。適当な嬌声の上げ方も、隣の部屋の先輩娼婦たちの声を聞いている内に、なんとなくは身についた。
はじめのうちは間違ったところで間違ったの高さの声を上げていたらしく、客に妙な目で見られることもあったが、一週間でそんなへまもしなくなった。
色々な客がいた。
痩せたの、太ったの、大きいの、小さいの、臭うの、香るの、若いの、老いたの。
そのどれもすることは変わらない。変わったことのしたい客は、20分幾らのこの街には来ない。マリの身体の上を通り過ぎて行った男たちのどれも、だからマリは記憶していない。
覚えているのはただ一人、時々やって来てはマリに漢字の読み方を教えてくれる日高だけだ。
「雷の音は少し遠くなったが、雨はまるで礫を打つように一層激しく降りそそいで来た。」
「そう。随分すらすら読めるようになったじゃない。」
鉛筆の墨で手を汚した日高が、腹這いの格好でマリを見上げて笑う。
その顎先についた炭をそっと拭ってやりながら、マリは削げた頬を微かに緩めた。
「日高さんがいるときだけ。」
「前は、『遠い』も『雨』も読めなかったじゃない。マリちゃんは覚えが早いよ。」
「……続き。」
「はい。」
「軒先に掛けた日蔽の下に居ても跳上がる飛沫の激しさに、わたくしはとやかく言う暇もなく内へ這入った。」
日高に抱かれるのにだけは、マリはまだ慣れなかった。他の客のときと同じように、なにも考えずに天井を見上げていようとするのだが、上手くいかない。日高は別にマリに話しかけたり、愛おしげな仕草をするわけではない。ただ、ここに来たらこうするのが決まりだから、とでも言いたげな雰囲気で、ありきたりな抱き方でマリを抱くだけだ。
それでも、もうマリの中で日高は客ではなく日高だ。一つの人格として像を結んでしまっている。その相手を、他の客と同じように処理するのは難しかった。
ただ、もしも日高がマリを抱かず、一日買いきりにした上に、本だけ読んで終わりにしたとしたら、マリは日高を憎んだだろう。スラムの屑ひろい時代に、車から手を伸ばして金を恵んできた男たち女たちを憎んだのと同じ心持で。
「きみは賢いよ。」
性交の後の睦言にしてはあっけらかんとした口調で、日高はいつもそう言った。
「……賢くなんか、ないよ。」
マリも、乾いた口調でそう答えた。いつも、いつも
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