翌朝、ワンピース姿のマリに、男は手ずから化粧を施した。

 きれいにしないと売れないもんな、と、マリは冷めた頭で考えていた。

 向かい合って板張りの床に座り込み、マリはどうにでもしてくれ、と、自分の顔を半ば投げ出す。

 男の長い指が器用に動き、マリの短い赤茶けた髪を目の細かい櫛で梳く。顔中にパタパタと白粉をはたき、目の周りも丁寧に墨で縁どる。口紅も、真っ赤な色を小指で慎重にのせられた。そっと唇に触れる指先はむずがゆくて、マリはどこかもどかしいような気になった。

 「きれいになった。」

 さらりと唇から指を離した男はそう笑うと、手鏡をマリに渡してきた。

 マリはちらりとだけ鏡の中の自分に目をやる。

 ずっと垢まみれの泥だらけで暮らしてきたので、自分の顔を直視するなんてずいぶん久しぶりだった。いつも跳ね散らかしている髪はさらさらと頬に揺れ、日焼けしない体質の白い肌にはしっとりと白粉が馴染んでいる。

 「……化粧が上手いのね。」

  嫌味のつもりだった。幾人の女をこうやって誘い込んでは売りに出してきたのだ、と。

 しかし男は嫌味を嫌味とは受け取らなかった。

 「見る目があるんだよ、俺は。」

 そう言って、マリの髪を指先ですくっただけで。

 「稼げる仕事を紹介するって言っただろう。行こう。」

 「……。」

 男はマリに、白いサンダルを差し出した。マリはそれを履き、眩く陽の射す観音通りへと足を踏み出す。人っ子一人いない通りは寝静まっているようだったが、男は躊躇うこともなく、一軒の長屋の戸を叩いた。

 「蝉。いるか?」

 蝉? この冬に?

 寒さに肩をすぼめたマリはいぶかしんだが、長屋の戸を開けてひょっこりと顔を出したのは、まだ若い男だった。

 30をいくつも過ぎてはいないだろう。丸い目が目立ち、なんとなく蝉に似ていなくもない。

 身なりはなんと言っていいのか、よく言えば現代歌舞伎調、悪く言ったらごった煮、だろうか。柄物のTシャツの上にこれまた柄物の着流しを羽織り、緩く帯を締めている。その帯はやわらかそうな布地でやはり派手な柄物、その上両耳はピアスだらけだ。

 「宗太。また女か。」

 「ああ。これ。きれいだろう。」

 蝉と呼ばれた男は、じっくりとマリの頭の先から足の先まで眺めたあと、着物の袂からがまぐちの財布を取り出し、男にいくらかの札を握らせた。男が札の枚数を確認することもなくジーンズのポケットにねじ込んだ。

そうやってマリは、男に売られたのである。

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