04.社畜と奴隷2

 で、ここ、どこなんだ?

 一旦、うんこのことは頭の片隅に追いやり周囲の状況の確認をしようと頭を切り借る。一切の明かりのない、暗闇の中、現在確認できたことは俺がうんこを踏んだという事実だけ。それだけの情報ではあまりに心もとない。

 俺はいつものように、慣れた手つきでヘルメット前方に装備されているヘッドライトに手を伸ばす。

 

 「……えぇ」


 ……これは。

 ああ、どうやらただ地滑りに巻き込まれた訳じゃなさそうだった。というか地滑りに巻き込まれた訳ではないようだ。

 夢だと言ってくれ……。

 

 説明しよう。

 皆さん工期というものをご存じでしょうか?

 俺の現場は、全体工期が約2年と少しとなっている。そして、本日の中間検査(2回目)は1年と半年程の時期にやっている。少し具体的に言えば、トンネルの覆工・インバート(コンクリート舗装)が6割程完成しており、明かりの吞口工、吐口工共に順調に、それどころか工期に大幅な余裕をもたせ進行している。つまり何が言いたいかというと、トンネルは貫通してるということである。

 なのに……。

 ヘッドライトを付けたその先には切羽がそびえ立っていた。どこかで見たことがあるようなボロボロの岩肌、高速道路や一般道路よりも小口径となる、河川切替用の水路トンネル程の広さ、ところどころに見える余彫りと思われる雑な掘削跡、掘削途中のトンネルの姿が俺の目には映っている。


 今の状況を認識した途端、全身から、ぶわっと冷汗がにじみ出てきた。

 ……え?

 中間検査の方が夢だった……?

 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!

 そんなこと断じて認められない。認められない!

 今までの苦労が夢とか絶対に認めない!

 いや、百歩譲って今までの苦労が夢なのは諦めよう。だがしかし!もう一度あの苦労を繰返すと考えると眩暈がしそうだ。


 俺はあまりの疲労で現場で倒れていたのだろうか?

 もしそうなら、俺はなんて間抜けなんだろう。安全第一を謳いながら現場で倒れる。立派な労災案件だ。

 くそう。皆になんて謝ろう……。


 はっ!!

 ふとした疑問と嫌な予感が頭をよぎる。

 そもそも、いつからいつまで倒れてたんだろうか。

 トンネルの掘削は、今の現場では2交代制で行っており24時間動き続けている。にも関わらず、トンネル内には俺以外の気配が感じられない。普段はけたたましく音を反響させている重機の姿もなく、光が差し込まれていないことから防音扉も閉じられているのだろう。

 俺が倒れていることに気が付かないまま、ブレーカーを落とし扉を閉めるなんてことをするなんてまずあり得ない。

 つまり、この状況は完全にわざと。そうなると……。

 俺は足の裏のうんこを長靴越しに凝視する。


 1.俺が倒れてる。

 2.坑夫の誰かが俺に気が付く。

 3.面白そうだからうんこした。

 4.更に面白そうだから真暗にして起きてくるのを待つ。


 恐らくそういうことだろう。しかし、俺は立派な大人である。こんなことでいちいち腹を立てる訳がない。あいつらの悪ふざけは今に始まったことではない。


 


 俺は一心不乱に外へ向かって駆け出した。


 

 

 あいつら!!

 全員出禁にしてやる!! 

 工期なんか知るか!!

 メンバー総入替えしてやるからな!!


 俺の腰回りに重装備が施されている中、整備されていないガタガタな足場を気にすることなく軽快に走り抜ける。しっかりと身に着けている腰道具から工具や手袋などが落ちていく。ふだんなら落ちないように気を付けながら走るのだが、幸いトンネル内には俺しかいない。後で拾えばいいと、俺の走った後には、ぽつぽつと様々なものが落ちている。

 それでも足元だけはしっかりとヘッドライトで照らしながら走る。100m程走ったところで足元を照らしていた明かりが、暗闇に飲み込まれるように途切れた。充電切れだろう。構うことなくそのまま駆け抜ける。今の俺はあいつらに制裁を加えることで頭が一杯なため、細かいことは気にしない。


 もし、もしものことではあるが。ここで俺が冷静になれていたらきっと未来は違っていただろう。

 感情的になった理由を考えられる余裕がない。そんなことがいつ以来か。そしてその衝動を抑えようとしない。

 この時には全く、疑問にすら思わなかった。

 そもそも、素掘りのトンネル・・・・・・・・なんてあり得ない。そんな現場は経験したことがない・・・・・・・・・

 そしてなによりも、この時の俺に全力で走る体力なんてなかったはずなのに。

 そんなことに、一つも気が付いていない。

 でも、ここで、この踏み出した一歩で、俺の運命を大きく動かすこととなる。


 ───ファァァーーーン!!!


 聞きなれない音と、蜘蛛の巣に顔から突っ込んだ時のような不快感が全身を包む。

 なんだ!?

 びくっと体がこわばり、思わず足を止め、全身の確認をした。

 あ、ヘッドライトの充電が切れてない。明かりに照らされた綺麗な軍手付きの両手がよく見える。しかし、この明るさはヘッドライトによるものだけではない。

 不快感は既にない。

 淡い光が世界に広がっている。

 恐る恐る頭上を見上げた。

 

 ああ……。

 夢ならどれほどよかっただろう。

 もう中間検査などと言っている場合じゃないな。


 普段見慣れた月の隣には、薄く青みがかったバカでかい月らしきものが鎮座していた。きっとあの普通に見える月も俺の知っているものではないのだろう。


 なんとなく、嫌な予感がしたので後ろを振り返ってみると、先ほどまでいたトンネルの入り口は存在せず、むき出しの斜面のみがあり。俺はそれを呆然と見ることしかできなかった。もう、冷汗どころではない、今や全身から汗が噴き出している。

 きょろきょろと外の状況を把握しようとしていると、複数の、人の声らしきものと足音が聞こえてきた。

 聞きなれない言葉に俺は頭を抱えそうになる。

 頼むからせめて人の形をした生き物であってくれと天を仰ぐ。


 どうやら俺は悪夢の中にいるらしい。

 あれだけ腹を立てていた坑夫の連中の顔が見たくてたまらなくなる。だが、それが叶うことはないだろう。今なら泣きながら全員に酒をふるまえる自信がある。


 畜生め!!

 世界はどこまでも俺に厳しいらしい。

 これなら土砂の中に生き埋めの方がいい。きっと助けが来てくれる。

 さて、ここに誰か助けに来てくれるのだろうか。

 きっと地球ですらないここに。


 あ、俺って死んでないけど生命保険はおりたのだろうか。こんな前例はどこにも存在しないから保険会社もさぞ頭を抱えているに違いない。

 

 どうしようもない状況に、俺の頭は益体もないことを考えることで現実逃避をしていた。

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