社畜と奴隷

03.社畜と奴隷1

「よし、時間だ!全員作業を止めろ!」


 毎度お馴染みの終了の合図である。


「うーす!」


 俺は爽やかに汗を流しながら爽やかに笑顔で返事をした。時間が来たら強制的に一日の作業を止めさせられる。どんなに中途半端でもそこで終了である。とても素晴らしく、自然と笑顔になる。


「お前、なんで笑顔なんだよ……。大丈夫か?」


 失礼な奴が、くたびれた表情で話しかけてきた。


「はぁあ?」


 こいつは何を言っているんだろう。まったく理解ができないね。頭大丈夫か?

 という表情を失礼な奴に向けた。


「ここで笑顔で返事してるおかしな奴なんてお前だけだぞ? 見ろ、守衛ですらドン引きしている」


 顎でくいっと小さく守衛を指す。その先を目で追うと、ドン引きというより困惑顔の守衛さんがいた。

 うん、あの守衛も失礼である。


「働くって素晴らしいだろ? 俺、今すげー充実してると思うんだよ!」


 声高らかにそう言い、ぐっと汗をぬぐって失礼な奴に笑顔を向ける。


「思わないよ……」


 思わないのか。しんそこ疲れた表情でそうつぶやいた。


「なんで?」


「なんでってお前……」


「おい! 貴様ら! 何を無駄話をしている!」


 守衛さんからの叱責が飛んできた。「すんません!」と俺は元気に、失礼な奴は俯きながら、小さく謝罪の言葉をこぼした。

 失礼な奴はどことなく怯えた表情のまま、さっきの続きを小声で言う。


「なんでってお前、それは──」


「それは?」

 

俺は目で続きを促した。

失礼な奴は今にも消え入りそうな声で呟いた。


「……僕たちが奴隷だからだよ」


そう、死んだと思っていた。というか実際に死んだんだと思う。だけれども、何の因果か知らないし、どういうことかも実はよく分かっていないが俺は──


奴隷をやっている。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 俺がここで目を覚ましたのは、約三ヵ月前のことだ。

 尋常ではない揺れに起因する地滑りに飲み込まれた、と思う。一生、動いている場面に出くわすことがないと思っていた地滑りに、自らが巻き込まれた。仕事で砂防基礎などで地滑り関連の仕事をこなしてきたが、まさかこの身をもって体験することになるとは全く考えてなかった。

 俺は地滑りに巻き込まれたはずだった。しかし、土塊に押しつぶされるでもなく、偶然空洞ができ、そこに運よく運び込まれた訳ではない。もし地滑りに呑まれていれば間違いなく死んでいる。

 そんな間違いなく死んだ。死んでいるはずの俺は徐々に徐々に意識が覚醒していった。


「……ってえ」

 

 ん?痛くない?

 なんで痛くないん…ってくっさ!なんだこの臭い!

 がばっと立ち上がりその場を後ずさる。すると、ぐにゅっと何かを踏んだ感触が耐油安全長靴(鉄板ソール入り)越しに伝わってきた。

 この感触、この臭い、まさか…。恐る恐る足元を確認する。…するが、暗くて何も見えない事に気が付いた。何も見えないが何を踏んだかは分かった。

 誰だよ、こんなところでうんこした奴!!!

 ふと、懐かしい記憶を思い出す。あれは、初めてトンネルの現場に配属された時の事だ。配属されて間もなく、右も左も分からない俺はトンネル坑夫達の職長に非常に、世話になった。現場では若い方に数えられる俺は、それはそれは可愛がられた。その中でも最も顕著だったものが飲み会だ。ことあるごとに理由を付け、何かと酒を飲みたがる。そんな理由のない飲み会に若い現場監督が呼ばれるのは、この業界の土曜日出勤と同じくらい当たり前のことである。

 それは、とあるフィリピンパブでの出来事だ。

 一軒目でしこたま飲んで、足元もおぼつかないなか、フィリピンパブにやって来た。ちなみに、一軒目からフィリピンパブというコースもたまにあるらしいが、そのパターンの場合に俺は呼ばれたことはない。なぜかって?それはね、人間、冷静な判断ができる時には財布の紐が固くなっているのではないかと考えている。基本的に俺よりはるかに稼ぎが良い彼らは、支払いをしてくれる。酔っている時の金使いの荒さはそれはもう凄い。

 これは俺の持論だが、金使いの荒い人は飲み方も荒い。飲み方の荒い人はしゃべる内容に節操がなくなる。トンネル坑夫という人達は例外なくである。……そうじゃない人もいるけど。


「おい! おい監督さん!」


 べろんべろんに酔っぱらっている職長が女の子にセクハラしながら話しかけてきた。器用な人である。


「なんですか、鈴木さん?」


 既に飲みすぎて、訂正。飲まされすぎて気分の悪い俺は、青い顔を引きつらせ何とか笑顔で答える。正直今すぐ帰りたい。気持ち悪い。さっきから女の子が心配そうに俺を見ている。見ているだけじゃなくて介抱してほしい。この娘、ほとんど日本語喋れないから無理そうだけど。


「俺は昔な、昔は凄かったぞ! おい!」


 でたな。鈴木さんの昔話。女の子の太ももを撫でまわしながら上機嫌で話してくる。

 俺は笑顔を崩さず問いかける。


「知ってます。で、今度は何やった話なんですか?」


 毎回の事ですっかり対応がおざなりになってしまっているが、鈴木さんは気にせず続きを話す。この人、本当に楽しそうだな。


 「今はあんまりいないけどな、昔のトンネル坑夫って奴はな、ちょっとここがおかしかった」


 とんとんと、自分の頭を指でつつく。

 鈴木さんの頭も十分おかしいけどね。ていうか自分の話じゃないの?


「あれはなあ、発破が終わって皆で切羽を確認してた時なんだけどな。突然腹が痛いとか言ってその場でうんこし始めた馬鹿がいたんだよ!」


 ガハハハッと愉快そうに笑っている。隣の女の子も釣られて笑っている。きっと日本語が通じてないんだろう。……通じてないよね?


「立ちしょんなら分かる。でもうんこは俺でも初めてでな、さすがに俺も止めた。でもな、いくら止めようとしても出始めたうんこは止まらなかった!」


「えぇ……」


 俺はドン引きしていた。女の子は笑っていた。ちゃんと日本語通じている。


「なんで切羽でうんこしてんですか。ちゃんと仮設トイレ準備してますよね」


「そいついわく、どうせズリ出しで持っていかれるから大丈夫って言ってたぞ」


「全然大丈夫じゃないですからね。BHとダンプにうんこ付きますよ。オペさん達が可哀想です」


「うんこが付いても付いてなくてもちゃんと洗浄するから大丈夫だって!」


 ガハハハッと豪快に笑う。俺も釣られ、「そうですね」とてきとうに相槌を打ち小さく笑う。俺が面倒に思っているときに使うごまかし方である。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 懐かしい記憶からの邂逅を終えて現実に帰ってきた。

 とうとう俺の現場でやらかしたな!誰だ!くっそ!絶対見つけ出して片付けさせてやるからな!それから俺の長靴弁償しろ。

 一瞬感情的になったが、周りの状況を思い出して冷静になる。


 で、ここ、どこなんだ?

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