02.プロローグ2



 早朝、月明かりを頼りに事務所の階段を駆け上がる。タンタンタンと、階段を上る音が冬の澄んだ空気に響き渡る。



 めちゃめちゃ寒い。事務所の入口に取付られている温度計は氷点下を示していた。



 ほうっと吐いた息を無意識に目で追うと、霧散していき、夜空に溶け込んだ。そのまま空を見上げると、眩いばかりの星の輝きに目を奪われた。時期も相まって星がよく見える。



「………」 



 とりあえず中に入ろうと、セキュリティを解除しカギを開けた。急いで暖房を付け準備に取り掛かる。


 


 ここは田舎も田舎の山奥だ。最寄りのアパートまで車で30分以上の好条件の立地である。せめてもの救いは、通勤路にコンビニが一軒あることぐらいだ。コンビニで朝食を買うのは最早、日課を通り越し、仕事の一部となっていると言っても過言ではないかもしれない。


 ちなみに、道中に信号はほぼない。信号で車が止まる回数より、鹿や謎のでかい鳥に止められる回数の方が間違いなく多いと断言できる。


 あいつら中々どかないんだよなあ……。ライトで照らそうが、クラクションを鳴らそうが、ふてぶてしい顔でこちらを睨んでくるだけだ。ただただ通り過ぎるのを待つだけの天然の信号機として機能している。……してないか。



 そして、時期は若干早いものの、もう既に路面凍結の怖さに身を震わせてもいる。車は勿論四駆だし、スタッドレスタイヤの装備に余念はない。


 まあ、現場で借りているリースなんだが。こんな所に自分の車で通勤するなんて正気の沙汰ではない。俺の車は四駆じゃない。



 ほんと、現場に行くだけで命掛けだ。



 時期は11月下旬、冬の寒さが厳しくなった頃だ。ここの寒さはより一層厳しい。


 去年は凄かった……。いや、もうほんとに。辺り一面の雪景色に言葉が出なかったとこは今なお記憶に新しい。



 そんなこんなでもうすぐ年末だが、この山奥にはその慌ただしさとは無縁だ。



 そう、弊社以外の現場は。



 ここの現場はとにかく広い。メインはダムの工事となっているが、そのために幾つもの現場が動いている。


 所謂スーパーゼネコンと言われる大手から、弊社のような中小企業まで、数多の業者が出入りしている。その人数は1000人近くにも及び、付近には仮設の宿舎が立ち並んでいる。それはもう壮大だ。


 それだけの人数が集まれ小さな村みたいなものだが、何が凄いってそのほとんどが男ということだ。


 考えて見れば当たり前だが、実際に目の当たりにするとほろりと涙が出そうな状況だ。そんな逆アマゾネスは絶対に拒否したかったため、わざわざ遠くに宿舎を構えたのはここだけの秘密だ。



 とにかく、それだけの人数になると管理も大変になるため様々な工夫がなされている。 



 その一つとして、現場に出入りするためには役所発行のICカードが必須となる。持ってないとゲートが開かない徹底ぶりである。


 そんな厳しい現場なのにこんな時間に入れるのかって?


 ご安心ください。ダムを作ってるのは天下のスーパーゼネコンだ。し・か・も、スーパーゼネコンによるJVだ。


 彼らに休みはない。3交代で24時間365日、毎日毎日、飽きることなく現場は動いている。


 なんでも、工期短縮の技術提案らしい。無茶すぎる。



 つまり、現場には24時間入ることができるのだ。


 


 粗方準備が終わり、手が止まった。


 こんなもんだろうか?自分が準備した荷物に軽く目を通し確認する。



 そんな益体のないことを考えながらも準備は完璧だ。社畜歴の長い俺には容易いことだな。


 そう、勝手に体が動くんだよ。全然嬉しくないけど……。



 外は寒いしさっさと車に運んでしまおう。階段を何度か上り下りし、大量の荷物を車に詰め込んだ。さっさとエンジンを掛け、現場に向かう。向かおうとするが、フロントガラス凍ってる……。


 マニュアルをガチャガチャと動かし、暖房を全開にし、そのままアクセルを踏み込んだ。まあ、そのうち溶けるだろ。


 フロントガラスの溶け切らないうちに、ゲートを通過し現場を目指す。


 弊社の事務所のみゲートの外にある。だからかだろうか、ICカードの存在を知らない業者さんが、ゲートから引き返して尋ねに来るとこがしばしばある。どこの下請けか知らないどちゃんと教育しけよな。



 どこかの業者に八つ当たりしていると、ふと、悲しい考えが浮かんだ。


 ……なぜ俺は一人で準備してるんだ? 今更である。


 


 ……いや、自分のせいだよな。今日、この日に中間検査を終わらせるために工期を詰めまくったのは何を隠そうこの俺だ。今日の午前中に検査を終わらせ、午後からどうしても有給を取りたくて無理をした。


 明日は土曜で、普段なら現場は動いているのだが、この無茶なスケジュールに合わせて動いてくれた下請けの皆に、せめてもの償いとして休みにしてある。もちろん、というのは建前で、俺の連休確保のためのということは言うまでもない。



 先日入学式だった娘に会いに行く予定がある。


 ……まだ伝えてないけど。ていうか伝える勇気がでなかった。


 だって!気まずいんだもの!


 ただでさえここ数年、家族との関係が険悪なうえ、入学式に行けてない始末だ。どう伝えればいいか分からない。


 必死で工程管理をしたが、どんなに詰めてもこれ以上の工期を縮めることができなかった……。


 そんな恨み言を心で呟いていると、ちょうど信号に差し掛かった。現場内には片道交互通行でしか通れない道がいくつかあり、そこには仮設信号機が設置されてある。



 ぼーっと信号の待ち時間の進行を眺めていると、微弱な振動を感じた。地震かな?



 軽い揺れを感じ俺は窓から身を乗り出した。


 


「………」



 なぜかガードマンがいない。ここには24時間必ずいつもいるはずなのに、交代の時間だろうか、話し相手がいなくて悲しい気持ちになった。


 


「おぉっ」



 今度のは結構揺れたな。だがしかし、この程度の地震では検査は中止にならない。か何が何でも今日終わらせる。そして家族に会いに行く。


 ……行くんだ。うん。行くからな。あー、ちゃんと行けるか心配になってきた。


 段々不安になってきた。夕方までには連絡しよう。ちゃんと電話しないとなあ。


 


 ここの現場から家までは、どんなに早くても車で7時間はかかる。午前中に仕事を終わらせても夜まで帰り着けない。なんとかその間に電話しよう。


 家に入れてくれるかな?入れてくれると信じてるが不安だ。



 いつの間にか信号が変わっていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 おおよそ15分の道のりを経て、現場に到着した。


 心配はないだろうが、地震の影響がないか確認しないといけない。とりあえず、詰所に荷物を放り込んでトンネルに向かう。トンネルといっても水路トンネルだから断面はそれ程大きくはない。河川切替用の仮設トンネルだ。地図にも残らない。


 


 トンネル内の電気を付け、防護扉の横からトンネルに入る。ヘッドライトの電源を入れ、異常がないか軽くチェックしていく。うん、大丈夫そうだ。


 そのまま順調に進み、セントル前に到着した。雑にかけられたブルーシートをめくり中の温度を確認する。ジェットヒーターの電源が点滅している。ガソリン切れだな。何台かのジェットヒーターの電源を切り、更に奥に進む。


 ここからは覆工コンクリートが完成しているため、更に入念に異常の確認をする。ひびでも入っていたら今日の検査はもうダメだ。一抹の不安を抱えつつ、俺はインバートコンクリートに足をかけ、チェックを始める。ここはライトがついてないためヘッドライトだけが頼りだ。



 ざっざっざっと歩く音だけがトンネル内で反響した。


トンネルの延長が約600mで、勾配が3%程度となっている。現在は360mまで完成しており、逆勾配のトンネルを進んでいく。


大丈夫そうだ。破損はもとよりひび割れもない。



 変状はないが、早朝にこんなことをしているせいだろうか、それに妙に気持が沈み、寂しくなった俺はそそくさと踵を返した。


 さあ、詰所に戻り検査の準備をするか。



 トンネルから出たところで、胸ポケット入れていたスマホが振動した。こんな朝早くに電話してくる奴は所長だな。ちょうどトンネルに入ってたから圏外だったんだろう。履歴が一杯だ。


 まったく、こんな時間に電話してくるとか常識がなってないんだよ。家族に深夜に電話を掛けた自分を棚に上げ、所長に文句の一つでも言ってやろうとスマホを手にとった──


 


 どおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉん!!!!



 物凄い音と共に、尋常ではない揺れに襲われた。


 立っていることもできず、その場にしゃがみ込む。



 やばい、やばい、やばい、やばい、やばい!!!


 この揺れはやばい!


 


 これじゃあ今日の検査どうなんだ!


 帰れなくなったらどうすんだ!



 パニックになっているせいか、満足に考えることができない。


 考えることは今日の検査が無事行われるかだけだ。こんな時でも社畜の俺は自分のことより仕事のことしか浮かんでこない。いや、これは自分のことか!何が何だか分からない。


 俺は完全に混乱していた。



 そこに不吉な予感がする音が聞こえた気がする──



 パラパラと、小石が崖から落ちてくるような音が聞こえてきた。今度は間違いない。



「!?」



 これはほんとにまずい!


 本格的に危ない状況にいることに気が付き、頭が回り始めた。



 しかし──



 揺れが収まることはない。



 そして、先ほどより大きな、低く響き渡る音が周囲を支配した。



あまりの事態にスマホが手から滑り落ちる。スマホを拾おうと手を伸ばす。そして、スマホを掴もうとしたその時──



地滑りの土砂に呑まれ、意識が遠くなる。



 後悔に見舞われるも、そっと意識を手放した。



 大丈夫、俺は自分にそこそこの額の生命保険を掛けている。



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