26.王女様はアドベンチャラーの夢を見るかⅤ

夢を見ている。


***


『──迷宮。

古来よりこの龍世界ドランコーニアに自然発生する現象の1つ。

大地に空いた洞窟などが、闇の龍の力を受けて変質したもの。

変質する前の面積を明らかに超えた空間が形成されており、その名の通り迷路のように入り組んだ構造になっている。

迷宮の中には、龍気マナによって活性化したモンスター達が闊歩しており、迷宮に入った侵入者を容赦なく襲ってくる。

けれど、その分見返りは大きい。

龍気マナを十分に取り込んだモンスターの素材は、通常のものより格段に価値が高い。

また、モンスターだけではなく、迷宮内の特殊な環境でしか採取できない素材も多くある。

故に冒険者達は日々命を賭けて、この危険に満ちた迷宮に挑むのだ。』

────『冒険者への手引き』より抜粋。


***


「ここが……迷宮……!」


入った瞬間から、闇の龍の龍気マナをひしひしと感じていた。

本で読んだ通りだ。迷宮の中では、外とは比べ物にならないほどの濃密な龍気マナを感じる。

反対に、私が得意とする地母龍の龍気マナの気配は薄い。が、使えないというほどでもない。

闇の龍の龍気マナがそのまま使えたらいいんだけど、なぜか迷宮内の龍気マナは魔術との相性が悪く、扱えない。

その原因は今以って不明で、単に闇の龍の性格が悪いせいでは? なんて学説を唱える学者もいるらしい。


……にしても──、


「すごい……!」


理路整然と整備された通路や壁、規則正しく並んだ玄室の扉。

これらが全て龍の力で生み出されたものだと思うと感慨深い。

本の挿絵でしか見たことの無い光景が、目の前にあるんだ。


「ジェーン、急に走り回ったりするなよ? 罠で飛ばされたら大変だからな」

「む……大丈夫だって言ってるだろ。子供じゃないんだから」


それくらい分かってる。

迷宮の罠には、言われた通り転移させられてしまうものなど、危険な罠が多い。

下手したら即死級のトラップもあるとか。

まぁ、そんなものがあったところで私には問題ない。


「罠感知の魔術も持ってるから、安心しろ」

「流石。魔術ってなんでもありだよなー……。さっきのもすごかったし。あれ、記憶を消したのか?」

「あぁ。正確には消したというより混乱させて有耶無耶にした感じだな。何かの拍子に思い出すこともある」


まぁ、でも滅多なことでは思い出すこともないだろう。

完全に記憶を消せる魔術もあるとは聞くけど、そっちは古代魔術ロストマジックの類だ。

普通の魔術師がそんなものを扱うことはまず無いだろう。


「──よし。とりあえず、もう一度依頼内容と作戦を確認するぞ」

「ああ、ジェーン任せた」


なぜか私が指揮をするようになっているけど、これは合意の上だ。

竜車の中で作戦をどうするかレイルに確認したところ、『作戦……? 突っ込んで敵を倒すだけだろ?』なんてご機嫌なお馬鹿回答を貰ってしまったので、成り行き上私が指揮を執ることになったのだった。


「依頼内容は、このユレアイトの迷宮に潜むワーウルフの討伐。なぜか大繁殖してて数が増えてるらしいから対処してほしいっていうのと、出来ればその謎を解き明かしてほしいそうだ。最低10匹からで金貨1枚。以降10匹ごとに金貨1枚追加。繁殖の謎を解き明かした場合には金貨3枚。──ここまではいいか?」

「謎を解き明かせっていうのは自信はないけど、とりあえずワーウルフをたくさん倒せばいいんだよな?」

「うん、それでいい。大体、繁殖の理由なんざワーウルフが迷宮内の生態系のトップに立ったくらいしか考えられないだろうし。やつらは頭良い上に、群れて行動するからな」


人獣型のモンスターは総じて知能が高い。中には人の言葉を解する個体もいる程だ。

もちろん知性の低いものも数多く存在するが、それでも他の生物に比べれば遥かに賢い。

ワーウルフはその中でも群を抜いている。

特に群れでの戦闘は脅威的で、冒険者の間では最も遭遇を避けるべき相手として挙げられている。

間違っても初心者が手を出していい相手ではない。


無論、私は何匹のワーウルフに囲まれようが勝つ自信はあるけど。


「なるべく消耗を避けるために戦闘は最小限に抑えていきたいな。奴ら、群れで行動するのが多いから、一匹見つけたとしてもすぐに──」

「あ、おい、ジェーンいたぞ。ワーウルフだ」

「──ん。本当だ……」


通路を曲がった先の開けた空間に、一体のワーウルフを発見した。

挿絵でしか見たことのなかったその姿に、現実の姿が重なる。

──人の姿をした狼。そのままだ。

鋭い牙、爪、黒い毛皮に覆われた身体。二足歩行で移動する姿は、遠目から見たら人間と変わらない。


フロアマップと合わせて見た限り、その空間の後ろは通路に続いている。

位置的に、そこを通らないと先に進むことは出来ない。

見張り、ということだろう。


「よし、じゃあやってくる」

「……は?」


その言葉の意味を理解する間もなく、レイルは放たれた矢のように飛び出した──!?


「何やってんだバカっ! 話聞いてたのかー!?」


仕方なく私も慌てて後を追って走り出す。

しかし、レイルは既に私と何倍もの距離を開けていて、既にワーウルフの認識範囲内に迫っていた。


(──速い……!)


突風の如く駆け抜けるレイル。

ワーウルフは突然の接敵に対応出来ておらず、まともに戦闘体勢も取れていない。


(いいぞ、これなら仲間を呼ばれずに──)


「ぜえええええええりゃああああああああああああっっっ!!!!!!」

「っ!?」


咆哮。

そして──、

ドゴンッ!! と、凄まじい衝撃音が迷宮内に響き渡った。


「は……」


あまりの出来事に一瞬思考が停止した。


「何……?」


目の前には、レイルに切り飛ばされて二つに分断された元ワーウルフの姿があった。

もちろん生きているはずもなく、一太刀の下に絶命していた。


「……よし」


レイルが返り血に塗れながらも、何かやり遂げた感を出していた──……。

その光景を見てようやく理解が追いつく。


「な……な……何やってんだオマエはーーーっ!?!?」

「えっ!? な、なんか俺やっちゃったか!? 倒してよかったんだよな!?」


何驚いた顔してんだ! 驚いたのはこっちだよバカ!


「オマエっ、オマエなあっ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてくれよジェーン……!」

「落ち着けるかぁっ! 何やってんだオマエはよおっ! せっかく仲間を呼ばれることもなく倒せそうだったのにっ! こっちから大声出してたら世話ないだろ!?」

「えっ。そ、そうだったのか……。でも俺、敵を倒すときはああやって声を出していかないとダメで……」

「何っっでそんなデカイ図体なのに繊細具合発揮してんだよぉっ!」


何か……もう、いろいろ言いたいことが多すぎて、何から言っていいのかわかんない……!

……とりあえず、コイツの脳筋具合はヤバすぎるってことはわかった。

それと、剣のスペアを大量に持ってきている理由も。

毎回あんな風に全力で振り下ろして床にぶつけてたら、そりゃあ剣だって壊れるわ。


『Awoooooooooon!』


迷宮の奥から聴こえてきたのは、やっぱりと言うべきか、狼の遠吠えだった。


「ほら見ろ! お仲間が大群で押し寄せてくるぞ!」

「何だ、丁度よかったじゃないか。一々探さなくて済むだろ?」

「オマエっ……それは……」


……確かに、考え方によってはそうなんだけど。

何か……何か釈然としないっ!


「おー、いっぱいやってきたなぁ」


通路の奥からわらわらワーウルフ達が姿を現してきていた。

数はざっと見て2桁はいる。


「……オマエは下がってろ。オレがやる」

「お、いいのか」

「オマエの戦い方じゃ効率が悪すぎるわ。オレの後ろを警戒してろ」

「了解」


『Grooooowl!!』


迫る迫る、黒い獣の群れ。

距離が縮まる前に、一歩踏み出て杖を構えた。


──思えば、初陣か。もう音を気にする理由もないし、ここは盛大にぶっ放すとしよう。


構築し慣れた魔術式を頭の中で組み上げて、杖の先に魔力と共に展開する。

イメージするのは燃え盛る炎。私の得意属性だ。

なるべく丁寧に。迅速に。組み上がった魔術式を呼出コールする。


火、ファイア・発して、フラッシュ・燃え盛り、グロウ・──炸裂せよバースト!」


***


そして──辺り一面に残ったのは、黒焦げのワーウルフの山。


「すっげぇ……」


背後のレイルが感嘆の声を上げていた。

……ちょっと、嬉しい。……いや、かなり嬉しい反応だ。


「……まぁ、ざっとこんなもんだ」

「すっごいなジェーン! 一瞬で全部ぶっ飛ばしちまうなんて思わなかったぞ!」


……えへ。えへへへへ……。褒められた……。

……ダメだ、ニヤけちゃう。


「この程度普通だよ……そんなに褒めるものじゃない」

「いや、本当にすごいぞジェーン! 俺あんなの初めて見たよ!」

「そ、そうか? なら、うん……その、なんだ……よかった、かな」


なんだか照れくさくて、思わず顔を反らしてしまう。……顔は見えてないんだけどさ。


「──よし、とりあえずもう依頼達成に必要な最低数は倒せたよな。一応数えとくか」

「おう、分かった!」


パッと見で10匹以上は真っ黒こげになってるな。

よく確認しようと、ワーウルフ達の死骸に近づいていく。


「うっ……」


臭いが凄まじい。

生物が焼ける異臭というのは、こういう臭いのことなのだろう。

命を奪う覚悟だのなんだのはとっくに済ませてるつもりだったけど、これは……考えてなかったな。

嗅ぐと気分が悪くなってくる……。

グロテスクに焼け爛れた死骸も、最初は何ともないと思っていたけど、段々と気持ち悪く思えてきた……。

……けど、自分で奪った命だ。目を反らしちゃいけない。


「こっちは8体いたぞ。ジェーンそっちは──ジェーン!!」

「え?」


死骸の数を数えるのに躍起になっていたせいで、私は、周りへの警戒が疎かになっていた。

レイルの叫び声に反応して振り向くと──そこには、こちらに迫りくるワーウルフの姿。

──なんで? どうして?

なんて言葉が浮かぶばかりで、対応なんてできるはずもなく。


『Grrrrrowl!!』


「あ──かはっ!」


ドウッ! と、体当たりをまともに食らって、床に押し倒されてしまう。

衝撃で肺から押し出された空気が、悲鳴となって口から漏れ出た。

痛みを感じる暇もなく、ワーウルフが倒れた私に向かって追撃を──、


(──まずいっ)


──……時間がやけにスローに感じる。

私の顔目掛けてゆっくりと進んでくる、口をがぱりと開けたワーウルフのアギト

恐ろしく鋭そうな牙が生えそろったそれは、私の頭など簡単に噛み砕いてしまえるに違いない。

ここまで近づかれてしまっては、私程度の魔術師では何もできない。せいぜい肉体言語による抵抗くらいだ。

けど、その余裕すらも、もうない。

私が身体を動かすよりも、牙が突き刺さる方が速い。


──これは、あれか。死ぬ前に人生を振り返る時間が与えられる的なアレか。

本で読んだことあるな。

……じゃあ、私は、ここで終わりなのか。

こんなところで終わってしまうのか。

憧れの冒険者になったばかりなのに。まだ、何も成してないのに。

……悔しいなぁ。もっと生きたい。死にたくない。

でも、自分の力では、もうどうにもならない。


──顎が。牙が。迫って──……


***


『冒険者は常に油断と戦わなければいけない。

油断は冒険者を死へ至らしめる毒だ。

例え剣の達人であろうと、油断から低級モンスターに命を奪われた例もある。

冒険に出るということは、危険を冒すということだ。

安全な街から一歩踏み出た瞬間に、危険な世界に足を踏み入れたのだと理解しておかなくてはならない。』

────『冒険者への手引き』より抜粋。


***


「……ッ!」


やがて訪れる死に、目を固く瞑って備えていたけど……いつまで経っても、その時は訪れなかった。

不思議に思いながら薄らと瞼を開くと、目の前には──……、


「え……?」


『Grrrrr!?』


ワーウルフと目が合った。

鋭い牙を生えた顎が、何かを挟み、噛み締めている。

血を滴らせているそれは──、


「レイ、ル……?」


──レイルの左腕が、ワーウルフの口の間に挟まっていた。


「おおおおおおおりゃああああっ!!!」


咆哮。

レイルは噛みつかれた腕を、なんとワーウルフごと持ち上げてそのまま──、

ドゴンッ!! ──地面に叩きつけた。


激しく土埃が舞い、後に残ったのは──顎から真っ二つに裂け、絶命したワーウルフの姿。

それと、左腕から激しく流血しているレイルが、いた……。


「レ、レイルッ……!」

「ジェーン! 大丈夫か!?」


駆け寄ろうとしたけど、叩きつけられたダメージで、起き上がるのが精いっぱいだった。

そんな私を見て、レイルが駆け寄ってきて、心配そうに声を掛けた。


「バ、バカッ! オマエの方がよっぽど重症だろうがッ! う、腕がっ!?」


左腕の出血が酷い。今すぐ治療しないと致命傷になるかもしれない……!


「いや、俺は大丈夫だよ。ジェーンはどこか痛めてないか?」

「大丈夫って、そんなわけっ!?」

「本当なんだ。俺、丈夫なのだけが取り柄でさ」


そう言って、牙にズタズタにされた左腕を動かして何ともない事をアピールしてくる……けど、私からは痛みでバカになっているようにしか見えなかった。


「腕を貸せっ! ──光、束ね、ハィ・癒しとなれヒールっ!!」

「おぉっ!?」


回復魔術で腕の怪我を治療する。光属性は私にとって相性の悪い属性だ。失敗することも多い。

けど、今は──今だけは、失敗するわけにいかない……!


魔術式を丁寧に迅速に構築して、魔力をこれでもかと注ぎ込む。

淡い光がレイルの腕に集まり、そして──。


「おぉ、もう治った。すごいなジェーン! 回復魔術も使えるんだな!」


光が散った後には、傷なんて最初から無かったかのように修復されていた。


「…………はぁ、よかった……!」


無事に治った安堵から、身体から力が抜けて、へたり込んでしまった。


「ジェーン!? 大丈夫か!? やっぱりどっかケガしてるんじゃ……!」

「……いいんだよ、オレのは……。こんなの……身体を打っただけだ……」


ただ、痛むだけの負傷。

レイルの傷に比べたら、大したことなんてない。

腕が使い物にならなくなるかもしれなかった負傷に比べたら、こんな痛みなんてどうということはない。


「……なんで、庇ったんだ?」

「え? なんでって、ああしないとジェーンが危なかったし」

「オマエ、あのまま腕を食い千切られてたかもしれなかったんだぞ? ……知り合ったばかりの赤の他人に、そこまでする義理はないだろっ!?」


他人の命に危機が迫っていたとして、自身の身を呈してまで助けようとするヤツは、普通、いない。

いたとしても、それは親類なんかの、自身の命よりも大切な存在の危機の場合だ。

間違っても、赤の他人の為にするような行為ではない。

そんなことをするのは、物語に出てくる英雄や聖者の類のものだ。


……助けてくれたのに、感謝の一つも言えずに責めるようなことばかり言っている。自分の性格の悪さに嫌気が差す。

けど、言わずにはいられなかった。

こいつは、どこか歪な生き方をしてる。異常に人が良いのもきっとそのせいだ。

そんなヤツが、このままだと、いつか取り返しのつかないことになるんじゃないかって、不安で仕方がなかった。


「──ジェーンは優しいな」

「……は?」

「だって、俺の心配をしてくれてるってことだろ? ありがとな」

「……いや……そういうことじゃなくて……」

「心配してくれてありがたいけど、俺、本当に丈夫なんだよ。大抵の傷はすぐに治るし。──ちょっと見ててくれ」

「……?」


レイルはそういうと剣を鞘から取り出して刃の部分を、掌に当てて──……!?


「何やってんだ!?」

「まぁまぁ、ちょっと見ててくれ」


慌てる私をよそに、そのままグッと力を込めて押し込んだ。

剣の刃が皮膚を突き破って肉を裂き、血が流れ出る。


「おいバカっ!?」

「──ほら、もう治った」

「……は?」


剣を掌から離すと、そこには傷など跡形もなく消え去っていた。


「な? この通り、すぐ治っちゃうんだ。だから、さっきの傷も大したことなかったんだよ」

「……」


何らかのスキルによる治癒能力……だろう。

スキル──龍気マナや魔力などの外的要因に頼らず、身体一つで超常的な力を発揮することができる特殊技能のことだ。

レイルのこれも、そのスキルのうちの一つに違いない。


「……事情は、分かった」

「ごめんな。先に言っとけばよかったよな、うん。まぁ、そういうことだから、さっきのもあんまり気に──」

「気にする」

「──え?」

「気にするに決まってるだろ」


納得はできたけど、それとこれとは、話が違う。


「いや、だからさ、俺は──」

「身体が丈夫だからって、傷がすぐに治るからって──痛いものは、痛いだろ!」

「……!」

「お前は、死ぬかもしれなかった痛みを……オレの、代わりに引き受けたんだ! そんなもの、気にするに決まってるだろ!」


思わず声が大きくなって、自分でも驚いてしまう。

自分の気持ちに整理がつかず、感情だけが大きくなって、口から溢れ出していく。


「……スキルや魔術で傷は癒せても、受けた苦痛なんて、時間が巻き戻りでもしない限り、なかったことにはならない」

「……」

「……お前は、多分、すぐに治るからって、痛みや苦しみばかり背負って生きてきたんだろうな……。……短い付き合いだけど、絶対そうだって、分かる」


こいつの歪な生き方の根本は、恐らくそこにある。

他人に強要されたのか、自分から進んでそうなったのかは分からないけど、きっとそうだ。

……それは、どうしようもないほどに悲しいことだ。


「──……助けてくれて、ありがとう。それと、ゴメン。オレのせいで、痛い目に合わせてしまった。……一生の借りだ。必ず返す」

「……え。あ、いや、別に、そこまで気負わなくてもいいんだけど……」


レイルが困り顔で頬を掻いた。

こいつとしてはなんてことない行動だったのかもしれない。

けれど私にとってはそうじゃない。その身を呈して助けてくれた、命の恩人だ。

それなのに、当の本人は全然気にも留めていない。それが、少し悔しかった。


(……お前は、この国の王女を助けたんだぞって言ってやろうか)


そうしたら、少しは驚いた顔をしてみせるだろうか。

……今更、王女としてのすてた身分を使うわけにもいかないけれど。


「……あ、そうだ、ジェーン。こういう言葉を知ってるか?」

「……何だ?」

「『冒険での借りは冒険で返せ』だ。冒険での貸し借りなんてよくあることだからな。また冒険の中でいくらでも返せるのさ」

「……冒険者らしい考えだな」

「だからさ、今度はジェーンが俺を冒険の中で助けてくれればいい。俺なんてしょっちゅう困ってることだらけだからさ」

「確かに困ることだらけっぽいなオマエは……」

「だろ?」


クスリ、とつい笑ってしまう。

さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように弛緩してしまった。

……なんだか、不思議な気分だ。

胸の内が温かくなる感じがする。

まるで、陽だまりで日向ぼっこをしているような心地よさ。


──こいつの傍にいるだけで、心が落ち着く気がした。


***


「……見ろ。こいつも焼け焦げた痕がある。多分、さっきの攻撃の時は仲間に隠れて致命傷を避けたんだろ。で、隙を伺って攻撃してきた。ようするに死んだフリしてたってわけだな」


さっき襲撃してきたワーウルフの死骸を検分する。

こいつがどこから湧いてきたのか不思議だったけど、これで謎が解けた。


「へぇ、流石に人獣型は頭いいなぁ。俺も一人だったらやられてたかもだ」

「……一撃で殺せてたら、問題なかった。オレの火力不足だな……」

「いや、火力不足て」

「もっと高威力の魔術で消し飛ばすべきだったんだ……。じゃなきゃあんなことには……!」


完全に油断していた。甘く見積もりすぎていたんだ。

こんな迷宮序盤に出てくるようなモンスターに苦戦するようでは、これから先やっていけない。

やるなら徹底的に、完膚なきまでに叩き潰すべきだ。


「ジェ……ジェーンさん……? なんか怖いっすよ……?」

「……決めた」

「え?」

「なぁレイル。もう依頼に必要な最低数はとっくに超えてる。けど、このまま引き下がるのは消化不良だろ。……どうせならこの迷宮の一番奥まで行こうぜ」

「……マジすか」

「してやられたままじゃ、腹の虫が収まらないんだよ。オマエも一匹倒しただけじゃ満足してないだろ?」

「それはまあ……そうだけどさ」

「よし決まり! そうと決まれば……あいつら殲滅してやるぞ! 燃えカスにしてやる!」

「コワ……悪役の台詞だぞそれ……」


レイルの呆れた声を聞きながら、私は決心を固めた。

借りはやつらワーウルフにもあるのだ。百倍にして返してやる。


「ほら、ジェーン。立てるか? そういや結局身体は大丈夫なのか?」

「大丈夫だってば。身体強化も掛けてたからそんなにダメージは負ってない」


レイルの手を借りて立ち上がろうとした、その時。


──ブツリ。


「あ゛」

「え?」


背中から、破滅的な音がした。

続いて、締め付けから解放される感覚。

心地よさを感じるとともに、胸元から何かが滑り落ちていく感触──!?


「あ゛ー!?」

「どうした!?」

「なっなんでもない! なんでもないけどこっち見んなっ!!」

「えっ!? わ、わかった!!」


レイルは何がなんだか分からないだろうにも関わらず、素直にも私から顔を反らしてくれた。

私は何とか滑り落ちていく”ブツ”を服の中で止めた……セーフ!!

……状況的には何もセーフではないのだけれど。


──下着のホックが、壊れた……!


*** ***


「んー!! んむー!!」

「あいつやるなぁ……。ウチにほしい逸材だ。姫さんの放蕩が終わったらスカウトしてみたいとこだな」

「んむ……!! んむ……!!」

「おっと、悪いミセラ。抑えっぱなしだった」

「ぷはーーーっ!! ちょっと団長!! なんで止めたんですかっ!? 今の、一歩間違ってたらジルア様死んじゃうかもしれなかったんですよ!?」

「大丈夫だよあのくらい。あの指輪には致命傷を避ける魔術を婆さんが付与してる。ワーウルフ程度に魔術を破れるはずもない」

「だ……だからって!! だからってー!!」

「落ち着け……。姫さんには少しくらい痛い目を見てほしいってのが王からの仰せでな。現実を知れば懲りるだろうって言ってたが……実際は反対に火ぃつけちまったみたいだな」

「王は酷いです!! どうして姫様に辛く当たるんですか!! 王のバカッ!! ツンデレッ!!」

「……ま、俺らが口出しすることじゃねぇ。子育ては親の仕事だ。俺たちは見守るしかできないんだよ」

「うー……あっ。……ストラス様、あまりの出来事に気を失ったみたいですよ」

「……あいつには少し刺激が強すぎたか……。帰ったらまた小言を貰うなぁ……」

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