20.あの人は今

「……それが、俺の知っている事の全てだ」


そうして俺は話を終えた。

覚えている限りのことを伝えたつもりだ。

前に座っていたスヴェンは、ただじっと俺の話に耳を傾けていた。

目を瞑っていて、少し表情が険しい。

今の話の内容を反芻しているのだろうか。

長い沈黙の後、スヴェンはようやく重い口を開いた。


「……一つ。お前の話に出てきた、助けてくれた『オジサン』とかいうヤツなんだが」

「あぁ、俺を助けてくれた恩人だけど……」

「そいつの手の甲にあった紋様って、これと似たようなものだったか?」


そう言って、スヴェンが右手の甲を俺に見せつけるように持ち上げた。

そうだ、どこかで見たことがあると思ったら、あの女やオジサンと同じ──、


「それだ。 形は同じではないけど、似たものがあった。……ということは、スヴェンも、かみさまの力を持っているってことなのか?」

「まぁ……そういう事になる。本来は国家機密なんだがな」


国家機密……。

そりゃそうか。かみさまの力を使えるなんて、とんでもないことだ。


──龍。

この龍世界ドランコーニアを創り出した、大いなるもの。

世界の現象そのものを司ると言われる、人智を遥かに越えた力を持つ存在だ。

その力を使えるとなると、色んな混乱が起きるだろう。


「虹の龍痣ドラグマに、自分の事をオジサンって……もうあいつしかいねぇんだよなぁ……」


ぼやくように呟いて、どこか遠くを見たスヴェン。

何か心当たりがあるらしい。


「もしかしてオジサンの事何か知っているのか? 俺、あの人の名前も聞けてなくて……。あれだけすごい人だから、同じ冒険者として活動していればあの人の事を知ることができるかと思ったんだけど、まるで情報が見つからなかったんだ」

「そりゃあそうだろうな。そいつはこの龍痣ドラグマと同じく、国家機密扱いの人物なんだ」

「オジサンが、国家機密扱い……」


驚くべきことじゃない。

散々探して情報が無かったのは、隠されていてしかるべきだったから。

それに、ドラグマなんていうとてつもない能力を持っていることもそうだけど、あの人自身からもどこか異様な雰囲気を感じた。

普通の人とは違う、言葉ではうまく表現できない何かがあった。


「……そいつはな、この国の英雄なんだよ。この王国リュグネシアに住んでいる民ならば、その名前を聞けば誰だって知っているとさえ言えるほど有名な男だ」

「そんなに有名人なのか!? ……いや、でも待ってくれ。さっき機密扱いって言ってなかったか?」

「あぁ。存在としては有名だが、その正体を知る者はごく少数ってことだ」


それは一体どういう……?

正体を隠して活動していたっていうことか……?


スヴェンが瞳を閉じ、一息の間を置いた後、ゆっくりと口を開いた。


「緑竜殺しの英雄──と聞けば王国の外から来たお前でも聞いたことはあるんじゃないか?」

「緑竜殺しの英雄って……英雄ルノアか!?」

「ご名答だ。名のある竜ネームドの一体、緑竜リントヴルムを討伐し、この王国に多大なる貢献をした英雄──ルノア・コンシェール。それがお前を助けた男の名前だ」

「……!!」


その正体を聞いて、知らずの内に立ち上がってしまっていた。

英雄、ルノア・コンシェール。

それが俺が探し求めていた、オジサンの正体。

有名も有名、超が付くほどの有名人だった。


──緑竜リントヴルム。

王国リュグネシアどころか、この世界でその名を知らないものはいないだろう。

千年以上前から存在していたとされる、体長が山一つ分ともいわれるほどの超巨大な緑鱗の竜。

王国の土地を縄張りとしていたこの竜は、王国内を周期的に移動する習性を持っており、その巨体のせいで移動するだけでも災害級の被害をもたらしていた。

不幸にも進路にされてしまい地図から消えた町や村も少なくない。この王都でさえ何度か遷都を経たという。

そんな凶悪な存在に対して立ち向かい、打ち勝った英雄がいる。

それが件のルノアだ。

この王国で最も有名というのも納得できる話だった。


……だけど、おかしい。

少しどころではない疑問がある。

英雄ルノアの肖像画は何度も見たことがあるが、オジサンとは似ても似つかなかったはずだ。


「待ってくれ。英雄ルノアって、もっとこう……渋い見た目のおじさんみたいな感じじゃなかったか?」

「そこなんだよなぁ……。お前のあった自称オジサンは、どう見ても若い兄ちゃんみたいな見た目だっただろ」

「確かにそうだ! あの人、見た目がどう考えてもオジサンとは程遠かったんで気になって聞いてみたら、自分はもうオジサンの年齢だからオジサンと呼んでくれってすっごい気迫で詰められて……!」

「童顔だから若く見られるのが嫌なんだよあいつは。で、肖像画とかは理想の自分を無理言って描かせたんだよ」

「そ、そういうことだったのか……!」


妙に納得がいった。

確かに、あの人ならそういうことしそうだなぁ、なんて思ってしまう。

俺が冒険者になるまでの少しの間だけしか一緒にいなかったけど、どこか抜けていたり、変にこだわりが強かったりと、とにかく変わった人だった。

でも、とても人を惹きつけてしまう魅力をあの人は持っていた。


「あいつは今でこそ冒険者なんぞやってはいるが……昔はこの王宮騎士団の団長を務めていたんだ」

「……えぇ!?」

「当時は俺が副団長、あいつが団長でな。色々あって奴は騎士団を抜け、今は自由気ままな生活を送っているってわけだ」

「色々って……」


オジサンの経歴がとんでもなさすぎて、軽く眩暈を感じる。

英雄で、元王宮騎士団の団長で、現在は冒険者。

そして、俺の恩人だ。

改めて凄い人に助けてもらったんだなと実感する。


「まぁ、あいつの話はここまででいいだろう。龍痣ドラグマ持ちの帝国の女の話も突っ込みたいが、あいつが消したのならもう生きてちゃいまい。お前だってそれ以上の情報を知ってはいないだろうしな」


首を縦に振って肯定した。

あの女のことは、覚えている限りを話した。

そもそももうあんまり昔のことは覚えていない。覚えていられない。


「問題はお前だよレイル。……いや、元レイルか。えぇい、姫さんもお前もややこしいな! 二人とも偽名だから混乱しちまうわ!」

「それは本当にごめん……」

「いいさ、このままレイルと呼ばせてもらうが──……先の話の中で、お前の身体はもう長くないと言っていた。その事を詳しく聞かせてくれるか」


俺の身体──。

あれから三年経った今でも、俺の身体は心臓の鼓動に合わせて全身に激痛が走っている。

むしろ痛みは増し続けている。


「話した通りだけど、俺の人間の身体の部分が竜の心臓の負荷に耐えられないんだ。はっきり言って、限界に近い。最近はもう体を動かすのも辛いんだ」


スヴェンは険しい顔をして黙ったままだった。

それはそうだろう。こんな話、聞いていて楽しいものじゃない。


「夜に眠ることすらもできないくらいで──眠るって言っても、痛みが限界で気絶するように意識を失ってるだけなんだけどさ。……最近は気を失うと帰ってこれなくなりそうで怖いんだ」

「……」


眠れるくらいの暇もなかったというのもあるけど、ここ数日は全く眠れていない。

食事や睡眠を取らずとも、俺は生きていける。

けど──、


『人間でいたいと思うのなら、普通の人と同じ生活を心掛けるようにしなさい』


オジサンの言葉だ。

俺は普通の人間として生きていたかった。

もう、そんなことすら守れていない。


「……お前さんは、完全な帝国の被害者だ。今は重要参考人としての扱いしかできないが、いずれは自由になれる。今すぐにとはいかないが、それは俺が約束しよう」

「スヴェン……」


スヴェンが真剣な眼差しで俺を見つめていた。

オジサンと同じ、慈しみと優しさに満ちた瞳だった。

この人もまた、俺のことを気にかけてくれている。

それが分かっただけで嬉しかった。


「お前の体についても、王国側で治療ができるかもしれない」

「いや、俺の体は──」

「分かってる。そう簡単なもんじゃないことくらいは百も承知だ。だがな、帝国にしかできないことがあるように、王国にしかできない事もあるんだ」

「王国にしかできない……?」

「あぁ。王国は他国よりも魔術の研究が相当進んでいる。魔術的なアプローチでお前の体を見てみるのもいいだろう」


確かに、王国には優秀な魔術師が数多く在籍していると聞いたことがある。

広間で聞いた血から様々なものを見出す魔術というのも、王国ならではなのだろう。

それを、俺に対して使ってくれると言っている。


……この末期の身体に、手の施しようはない。そのことは自分自身がよく分かっている。

その申し出が気休めにしかならないと分かっていても、気持ちがありがたかった。


「……すまない。ありがとう」

「礼なんかいらんさ。俺はお前を疑っていたんだからな」

「それでもだ」


確かに、スヴェンは俺の事を疑っている素振りが見て取れた。

それもそうだろう。一国の王女に、こんな身元も分からない奴が付いてたら誰だって警戒する。

けれど、スヴェンからは優しさも感じられた。

これが最後になるかもしれないから──と、ここに来る時に言ってくれた言葉は、疑っている相手に対して出せる言葉じゃない。


「それでも、本当に、ありがとう」


頭を下げて、精一杯の感謝を示す。

それくらいしか俺にできることはない。


「よせってば、頭を上げろ! ……はぁ、お前は本当愚直というかなんというか……。姫さんが気に入るのも分かるよ」

「え?」

「いいや、なんでもねぇ。──っと、そろそろいい時間だ。聞けることは全部聞いたし、一旦お開きにしよう。申し訳ないが、今日はここで過ごしてもらうことになる。構わないか?」

「あぁ、どこでも大丈夫だ」


どうせ眠れないのだから、どこにいたって同じだ。

場所をくれるだけでありがたい。


「あぁ、そうだ。スヴェン」

「なんだ?」

「俺の体のことはジェーンに言わないでおいて貰えると、その……助かる」

「……姫さんには黙って死ぬってか?」

「……」

「そんなこと姫さんが許すはずがないってのは、お前が一番分かってそうなもんだがな」

「分かってる。ジェーンはきっと、なんで黙ってたんだって怒ると思う。……でも、あいつを巻き込みたくないんだ」


ジェーンは俺の事なんか忘れて、王女様に戻るべきだ。

こんなどうしようもない事に付き合わせたくない。


「姫さんの事を考えてっていうのは分かるさ。けどな、それで何も知らないままお前が死んだら、姫さんは一生引き摺るぞ」

「……ジェーンは強いさ。こんなことでいつまでも立ち止まったりはしない」


俺の見てきたジェーンはそういう奴だ。

ジェーンはいつだって前を向いていて、明るくて、眩しくて、太陽みたいだった。

俺がいなくなったら悲しんでくれるとは思うけど、きっと立ち直って、また前を向けるはずだ。


「お前が他人の心をどう推し量ろうと勝手だがな、本心なんざ当人にしか分からないものだ。お前が勝手に決め付けるな」

「それは……」

「俺から姫さんには言わないでおいてやる。だから、お前の口からちゃんと説明してやれ。機会は必ず設けてやるから」

「……分かった」

「よし、じゃあ今日はもう休め。話はまた明日だ」

「……あぁ、ありがとう」


***


ゆらりと揺れる蝋燭の灯りだけが部屋を照らす。

連れてこられた経路からして、この部屋は地下奥深くにあると思われた。

鉄格子の向こうには、ただ真っ暗な闇が広がるばかり。


──意識が飛びそうになるほどの痛みが全身を巡っている。

心臓が握り潰されるような、貫かれるような苦しみ。

胸元を掻きむしりたくなる衝動を必死に抑え込む。


何もしない時間は嫌いだ。

痛みと向き合うしかなくなってしまうから。


ズキリと痛む身体をベッドに横たえて、目を閉じた。

瞼の裏に浮かぶのは、ここにはいないジェーンの姿。

ジェーンは今どうしているだろうか。


……ジェーンが俺の正体を知った時、一体どんな顔をするのだろう。

驚く? 怖がる? それとも軽蔑するか。……どれも嫌だな。

結局のところ、俺はジェーンに嫌われたくないだけなのかもしれない。


朝まで、後一体どれくらい掛かるだろう。

この有様じゃ明日にたどり着けるのかすらも分からない。


……せめて、もう一度だけ、ジェーンに会いたい。

最後に見たジェーンが、あんな悲しそうな顔なんて、嫌だ。

ジェーンの笑顔が見たい。

俺に笑いかけてほしい。


胸の内に希望を灯す。

それだけを頼りに、暗澹とした夜を彷徨い続けた。

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