21.王の胃はボロボロ

「なぜこうも厄介事ばかりが積もり積もっていくのか……」


リュグネシアの国王、マーカサイト・クヴェニールはそう言って嘆息した。

王城の一室。限られた者しか入ることを許されない、王の執務室でのことだった。


「王、言っている場合ではありません。早急に対応を行わねば」


王国騎士団長、スヴェン・クヴェニールが王に進言する。

彼は先刻まで重要参考人であるレイルの聴取を行っており、今しがたその結果を王に報告したのだった。


「分かっている。婆、向かってくれるか」

「はいよ」


卓の中央に座る王が、背後に控えていた老婆にそう言った。

老婆はその言葉を返すや否や、姿が部屋から忽然と消え失せた。


「……『彼が帝国のスパイだった』という、最悪のケースよりはマシだと考えたいところですが」


王の左隣に腰掛けた参謀長、ジェフリー・デーヴィスが口を開いた。

片眼鏡モノクルを手に取り、布で磨くように拭いている。


「当面は彼の身体を治すのが優先目標でしょう。アプレザル婆の見立て次第ですが……、かの虹の祝福ディスパーションを受けた上でなお死期が近いとなると、望みは薄いかもしれません」


その言葉を聞きながら、王は顎に手を当て考え込む。


「『竜の心臓』……か。一体何を考えれば、そんなものを人体に埋め込もうという気が起こるのだ。……埒外の所業が故、考えが及ばぬ」

「王、恐れながら。一度ルノアを呼び戻すべきなのではないかと。未だ奴が帝国領で活動しているならば、何か対応策を見つけているやもしれません。俺ならば数日いただければ奴にたどり着けます」

「……いや、ダメだ。ルノアは、この国の責務から解放しているのだ。これ以上奴には頼れぬ」

「……はっ」


王の決断を受け、スヴェンは引き下がった。

しかし彼の胸中には煮え切らない思いが残っていた。


(……お前が助けた命なんだから、最後まで責任を持ってほしいところなんだがな)


可能性が一欠片でもあるならば、その機会を逃すべきではない。

けれど、過去にあったこの国と英雄ルノアのしがらみは、そんな簡単に解消できるものではないこともスヴェンは理解していた。


「この件に関しては一旦アプレザル婆の続報を待ちましょう。次点の優先課題は……地母龍様の龍痣ドラグマの後継探しですが、団長殿。その後どうなっていますか?」

「いえ、残念ながらこれ、という奴は未だ……」

「ミセラの奴はどうだ? 戦力的に奴はNo2になると思うのだが」

「ミセラですか? 確かにそうなりますが……。龍痣ドラグマという重要機密を扱うには、少し奴は精神年齢が幼すぎるかと思います」

「我々としても後継は古強者ベテランが好ましいですが……。今は時期が時期です。いざとなったら有無を言っていられないかもしれません。団長殿、一応ミセラ嬢には話を通しておいてください」

「はっ、了解しました」


参謀長の言葉に、スヴェンはそう返した。


「……しかし、私は未だ信じられぬ。カレドナが逝ってしまったとは、私は到底……」

「王……」


王の呟きに、スヴェンはかける言葉が見つからなかった。

呟いたその名は、王の懐刀であり、王国騎士団の副団長だった人物の名前。

そして、地母龍の龍痣ドラグマを保有していた勇士の一人。

王は、長年共に歩んできた盟友の死を受け入れられずにいた。


「帝国は龍痣ドラグマという個の極致さえも凌駕する兵器を手に入れてしまいました。これから先、戦線はより激化していくことでしょう。……王よ。ご心痛はお察ししますが、どうか、今を生きる者たちのことを考えてあげてください」

「分かってはいる。だが……」


王の表情に影がかかる。

それを見て、スヴェンは思う。


(無理もない。あれほどまでに信頼を寄せていたんだ。それに、俺たち騎士団の皆もあの人が死ぬなどと考えたこともなかった……。王が受けた衝撃も、俺の比ではないだろう)


王にとっても、騎士団に所属する皆にとっても、カレドナという人物はそれほどに大きな存在だった。


「奴はリュグネシアの守護龍たる地母龍の力を宿すに相応しい人物だった。……本当に、惜しい男を亡くしてしまった」

「……カレドナ殿は偉大な騎士でした。彼を失ってしまったことは我が国にとって大きな損失でしたが、同時に彼のおかげで救われた命があります。彼の死は無駄ではありません」

「そうです。彼のおかげで、先の戦いにおいて、騎士団の半数は命を失わずに済みました。……殿を受け持って敵と相打ちなんて、英雄譚のような最期ですよ」

「いや、真に英雄だ。ルノアに次ぐ英雄として、王国で永く語り継がれなければなるまい」


先の戦い──帝国軍との戦闘において、竜械人ドラゴニクスが戦場に現れた際の話だった。

竜と同等の力を持つ、総勢五体の竜械人ドラゴニクスを相手に、王国騎士団は劣勢に立たされた。

そもそもにおいて、この戦いにおける騎士団の武装構成は、竜と相対することを意識したそれではない。

あの場において竜と相対できた戦力は三名のみだった。

龍痣ドラグマを持つスヴェン、カレドナの両名。および、優れた戦闘能力を持つミセラ。

それ以外の騎士団員およそ四十七名は、その戦闘領域においてただ一方的に蹂躙されるのみであった。


団長であるスヴェンは即座に撤退の指示を出したが、その指示が団員に伝わるよりも早く竜械人ドラゴニクスたちは動きだす。

団員達に襲い掛かろうとするそれを阻止するために、スヴェンとミセラは三体の竜械人ドラゴニクスを相手取り、戦闘を開始。

残る二体をカレドナ一人が引き受け、その間に他の団員達を退却させていた。


──長い戦いの末、スヴェンとミセラは三体の竜械人ドラゴニクスを殲滅し、カレドナの援護に向かおうとした。

しかし、そこで彼らが目にしたのは、二体の竜械人ドラゴニクスを屠り、全身を己の血で染めたカレドナの姿だった。

既に助からない傷を負いながらも、彼は最後まで自分の後ろに敵を通すことはなかった。

その光景は、まさに王が言った通り、英雄の姿そのものだった。


「奴の死に報いるためにも、早急に戦闘体制を整えねばならん。これ以上奴らの好きにはさせたくない」

「既に対竜戦闘に特化した陣形・武装の選定及び配備は完了しております。二度目はありません」

「軍の方も同じく。虎の子の緑竜武装も人数分の用意が出来ています」

「よし、すぐにでも動かせるように準備をしておけ。既に国内に侵入している帝国軍がいつ攻めてくるか分からんからな。奴らのその後についてはどうなっている?」

「はい、コランダム付近で発見された帝国軍の行方ですが──」


参謀長が言い切る前に、バタァン! と大きな音を立てて執務室の扉が開かれた。


「ハァ……ハァ……ス、スヴェン! 大変なの!」

「ストラス!? おいどうしたんだ」


息を切らして執務室に飛び込んできたのは、この国の第一王女であるストラス・クヴェニールに違いなかった。

息も絶え絶えになっていたストラスをスヴェンが受け止めて、何とか落ち着かせようとしていた。

どうやら何事かがあり、この執務室まで走ってきたらしい。

その姿を認め、王はストラスが入ってきた理由を大体察した。


「……ストラス。今は軍議中だぞ」

「も、申し訳ありませんお父様! でもジルがっ!」

「やはりか……何があった」


普段大人しく、何事にも冷静な対応をする娘がここまで慌てふためくとなると、その下の妹であるジルアに何かあったと考えるのが妥当だろう。

ストラスは妹を溺愛しているところがあり、彼女が関わるといささかポンコツになる面がある。


「そ、それが──」


***


「俺とレイルの会話を全部聞いてただと……!?」


その内容を聞き、王は再びがっくりと項垂れた。


「なぜこうも厄介な……」

「おい、ちょっと待てストラス! あの部屋は一級の対魔術結界が施されていたはずだぞ! 一体どうやって聞いたっていうんだ!?」

「……あのね、ちょっと言いにくいんだけど……あなた、ジルの指輪持ちっぱなしなのよ」

「……!! こいつのせいかっ!」

「おっとぉ!? 団長殿!? 一応国に伝わる龍器ですよ!?」


懐に入れっぱなしだった龍器を床に叩きつけるスヴェン。

ワンバウンドした龍器を見事にキャッチした参謀長だったが、そんなことはどうでもよかった。

第一級の魔術師であるアプレザル婆が指輪に施した盗聴魔法を通し、レイルとスヴェンの会話を、ストラスと、よりにもよってジルアが聴いていたというのだ。


「レイル君の話を聞いたジルが部屋から出ようとして、魔術を部屋の壁にぶつけて結界を壊そうとしてるの! 危ないから止めたくても止められなくて……お願いスヴェン、ジルを止めに行ってあげて!」

「また暴走してんのか姫さんは……! 分かった直ぐに行く!」

「待て! 行ってはならん」


足早にジルアの部屋に向かおうとするスヴェンを王が諫めた。


「無理やり止めたところで今のアレには何も届かん。無駄に暴れさせるだけだ」

「けどお父様! このままじゃあジルが……!」

「控えよ。婆やの張った結界を壊せるはずもない。無駄だと知って疲れて眠るまで放っておけ」

「し、しかし王! それではあまりに──」

「あまりになんだスヴェン。 あの娘が納得する言葉をお前は持っているのか? 言ってみろ」

「…………いえ、出過ぎた真似を致しました」

「分かっているなら良い。ストラスも下がれ。ジルアとの接触は控えよ。あの娘には折を見て婆やを差し向ける」

「っ…………はい、分かりました。……失礼します」


ストラスは何かを口にし掛けたがそのまま言葉を呑み込み、一礼をすると踵を返して執務室から出て行った。

王はストラスが出て行ったのを確認すると、深く、深く、ため息を吐いた。


「……軍議を続けよう」

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