17.秘すれば花となりて

監獄みたいな場所だと、ずっと思っていた。


***


「お嬢様、何かありましたら部屋の外に常駐のものがおりますので、お申し付けくださいませ」

「あぁ……」


侍女がそう言って、恐らく膝折礼カーテシーをしてるのだろう様を見ずに、適当に返事した。

振り返る余裕もなかった。

扉が閉まって、一人になる。


私の、王女ジルアとしての部屋。

質のいい豪奢な調度品で埋め尽くされた私室に、馴染みなんてものはない。

あのギルドの安部屋こそが私の本当の家であり、部屋だった。


一年ぶりに帰ってきた私室だというのに、埃一つ見当たらない。

きっと毎日掃除をしてくれていたのだろう。


(無駄な労働力だな)


私の存在ごと忘れておいてくれたらよかった。

そうしたら、私もあいつも、ずっと冒険者のままでいられたのに。


文机の前に足を運ぶと、あの日、ここから脱出する前に読んでいた本が置きっぱなしになっていた。

『冒険者への手引き』、よくある初心者指南書ビギナーズブックだ。


……こんな本置きっぱなしにしてたら、これから冒険者になりますよと言っているようなもんだ。

そんな当たり前のことに気付きもしないほどに、早くここから逃げたいという焦りだけが先走っていて……。

本当に私は、粗忽で、考えなしで、どうしようもない馬鹿だ。


ベッドに移動してそのまま倒れこんだ。

安部屋のそれとは比べ物にならないほどに柔らかな寝具に身を沈ませる。

そうすると少しだけ気持ちが落ち着いたけど……結局事態は何も変わっていない。


私は、また一人に戻って、ここに閉じ込められている。

リュグネシアの、お飾りの、第二王女。

そういう役割の、がらんどうの器のままで。

何者にもなれず、空虚なままに生かされる。


『子供のお前に何ができるというんだ! 馬鹿なことばかり言ってないで、王族としての務めを果たせ!』


ここから逃げ出すことを決断させた父上の一言を思い出した。


──なら、やってやる。

私一人でも、何かができる、成すことができるということを証明してやる。


そうして逃げて、逃げ出した先でも、結局私は一人では何もできなくて。

……あいつがいなかったら、私はすぐにこの独房へやに戻されていたんだろうな。


そんなことを考えていたら、控え目なノックの音が響いた。


「ジル? ……ごめんね、少しだけ話をさせてほしいの」


姉さんの声がした。

今は話したくない。

このまま黙っていたら、寝てると勘違いして引き返してくれないかな。

……姉さんに、狸寝入りそんなことなんて通用しないのは、よく分かっているけど。


カチャリ、とドアが開けられて、足音が近づいてくる。


「休んでいるところごめんなさい、ジル」


当たり前のように姉さんは私が起きている前提で話しかけてくる。

それが悔しくて、ベッドに仰向けのまま狸寝入りを続けた。


「……怒ってるわよね。当たり前よね、私たちはあなたを騙したのだもの」


たしかに、あの瞬間は怒りで目の前が真っ赤になった。

けど、今となっては、何でそうされたのかは分かる。


「私たちがレイル君を信頼しているのは本当のことよ。あなた達の仲を応援していたのも本当。……だから、彼の正体が何なのか想像が付いた時、言葉も出なかったの」


そりゃそうだ。

レイルが帝国の実験体ひがいしゃだった、なんて、想像付くはずもないだろ。


「もしも、彼が帝国の諜報員スパイだったら。今までの全てが嘘偽りで、信頼を得るための演技でしかなかったとしたら」

「そんなわけッ……」


思わず起き上がって姉さんの方を見てしまった。

姉さんの左手には包帯が巻かれていた。

私が、吹き飛ばしたせいで、怪我をさせてしまったのだろう。


「……そんなわけないって、あなたは怒るでしょうね。今までずっと彼を見ていたあなただもの。……でもね、もしも彼の意思に関係なく、帝国が彼を思うように操れるのだとしたら」


そんな、こと……。

ないって、言い切れない……。

古代魔術ロストマジックには、あらゆる生物の精神を操作できるような代物だってあると聞く。

もしも、帝国が精神操作それをレイルに使っていたのだとすれば。

あいつ自信の意思は関係なくて、帝国の思惑次第でいいように動かせるのだとすれば……。


「だから、確かめる必要があったの。信じたいという気持ちだけではなく、根拠に基づいた証拠を得るために」


姉さんが、ベッドに近づいてきて。

怪我をした左手で、私の頬に触れた。


「あの広間の裏方で、婆やと宮廷魔術師の皆さんがずっと頑張ってくれていたの。彼が何らかの魔術に侵されていないかを隈無く探査してくれて……結果は問題なし、だったわ。彼には魔術的な操作は掛けられていなかった」


裏でそんなことしてたなんて、考えもしなかった。

あの茶番じみたやり取りも、そういう意図があってしたことなんだろう。

時間を稼ぐために。

警戒を解くために。


「でも、魔術以外にも警戒すべきことはあったの。……帝国の機械技術メカニカルよ。スヴェンとお父様が警戒していたのはそこだったわ」


機械技術メカニカル

王国の技術を遥かに上回った帝国のそれは、王国側ではその技術がどういったものなのか、解析すら困難なものが多い。


「もしも機械技術それが使われていた場合、私たちに判別できるような方法はないわ。……最後の手段として、あの竜械人ドラゴニクスを目の前に出して、反応が変わるかどうかを見るしかなかった」


それが、あの場で起きた全て。

私を置いてけぼりにして、進められていた話の全貌。


「それでも彼は何も変わらず、まるでこうなることを予想してたみたいに落ち着いていた。……彼は本当に、ただ偶然にあなたと出会って、冒険をしていたのね」


──あの冒険の日々は、どれだけの偶然の上で成り立っていたものだったのだろう。

レイルと出会えたこと。

二人で一緒にいられたこと。

私たちの秘密が、秘密のままであったこと。

数多ある偶然の全部が、奇跡的な巡り合わせの結果だった。


「本当に、ごめんね、ジル……。あなたがここから出て行ってしまうくらい、思い詰めていたのも、私は分かってあげられなかったのに。その上、あなたをこんな風に騙して、傷つけるなんて……」


姉さんが泣きながら私に謝ってきたけど、別に、姉さんは悪くない。

むしろ、私の方が、考えなしの馬鹿だから、姉さんを傷つけた。

謝ろうとしたけれど、言葉が出てこなかった。

どうしてか、涙が止まらなかった。


***


光、癒しとなれライト・ヒール


回復魔術を唱えて、姉さんの傷を癒す。

光属性の扱いは苦手だったけれど、あいつが怪我ばかりするものだから、慣れてしまった。


「もう、大丈夫だっていったのに……。むしろこのくらいの傷は負ってしかるべきものよ」

「そんなわけにもいかないでしょ……」


ひとしきり泣いてしまった後、一緒に部屋の内風呂に入った。

内風呂といっても、安部屋のそれとは比べ物にならないほどの広さがあるんだけれど。

思えば、足を伸ばしてゆっくりと入浴できるのも本当に久々だった。

冒険者の間は、正体がバレるのを防ぐために、ずっと安部屋のシャワーばかりだったからな。


「それにしてもジルあなた……すっごく成長したのね? お姉ちゃんちょっと嫉妬を覚えちゃったわ……!」

「ど、どこ見てるの姉さん……!?」


姉さんの視線が私の胸やお尻に突き刺さる……!

そりゃ、まぁ……、最後に姉さんに会った時よりも成長はしてると思うけど。


「……こんなの、あっても邪魔なだけだよ」


よく転ぶし、冒険には不要なものなんだから。

むしろ私は、姉さんみたいに背が高くて細い方が羨ましい。


「隣の芝は青く見えるってやつね……。でもね、ジル。男は大抵発育が良い方が好きなのよ」

「えっ。そ、そうなんだ……」


姉さんが妙にハイライトの薄い目で語ってくる。

そ、そういうの、スヴェン義兄さんと上手くいってないのかな……。


……あいつは、そういう……好み、とか……どうなんだろうか。

一年ずっと側にいたけれど、あいつには女っ気がなかったからな……。

……あいつも、おっきいと、喜んだりするのかな……。


「……うん、もうそろそろ時間ね」

「え? 何の?」


姉さんが懐から何かを取り出して、机の上に置いた。

小さな箱に何かの珠が入っていた。

これは……?


「あと数分で、レイル君の聴取が始まるわ。スヴェンが事情を聞くことになっているの」


──あいつは。

レイルは、広間での出来事の後、重要参考人として、王宮から離れた城の地下にある留置所へと連行された。

もちろん私は抵抗したけれど、国に関わる重要な事だからと取り合ってもらえなかった。

何よりも、レイル本人が連行されることを望み、私に手を出さないよう釘を刺してきたのだ。


「これはね、あの指輪の盗聴魔術バグの受信機よ」

「は……?」


盗聴魔術バグの受信機って……これで話を聞いてたってことか。


「スヴェン、多分指輪を持ったままだと思うのよ。あの人意外とおっちょこちょいだから」

「……まさか、姉さん」

「えぇ、そのまさかよジル」


姉さんが悪戯っぽい笑みを浮かべた。

この人、以外と悪戯好きというかお茶目というか……。

いや、今はそんなことはいい。

今重要なのはあいつの話が聞けるってことだ。


「スヴェンやお父様の考えは分かるけれど、私は違うわ。あなたはレイル君のことを、ちゃんと知らなければいけない。知ってあげないと、あなたも、あの人も、ずっと辛い思いをする。……私はそう思うの」


姉さんが、私の目を真っ直ぐに見据えてきた。


私は、レイルのことを敢えて知ろうとしなかった。

それは、私自身があいつに隠し事をしながら接してきた、後ろめたさからだ。

……でも、今は違う。

冒険者ではなく、王国の王女と、帝国の実験体ひがいしゃとしての私たちを、理解しなければいけない。


「うん……。私も、レイルのこと、知りたい」

「……よし、じゃあ繋ぐわね」


姉さんが受信機に手をかざすと、音声が受信機から響いてきた。

ちょうど、義兄さんが聴取を始めたところだったらしい。

レイルの声が聴こえてきた。


レイルの過去が、自分自身の口から語られる。


──私は、それを聴いてしまって、後悔した。

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