16.名無しの誰か

「冒険者レイル。其方の出生を検めさせてもらった」


王が手を挙げると、参謀が何かの紙を取り上げ、読み上げ始めた。


「レイル・グレイヴ、数えで20歳。リュグネシア北東部、ルチル村の出身。16歳の時にリシアの冒険者ギルドにて冒険者登録を行い、以後、リシアの街を拠点に活動を行っております」


そういえば、そんなプロフィールだったっけ。

3年も昔のどうでもいいことなんてもう覚えていない。

覚えていられない。


「グレイヴ家は、代々地主の土地で農作業に従事する小作人の一族とあります。レイル・グレイヴはそこの一人息子ということになっておりますね」


そうだったのか。

今更知ってしまった。


「ですが、つい先月、彼の死亡届が出されました。農作業中にモンスターに襲われたのが原因のようです」


なんと、死んでいたのか俺。


「は……?」


ジェーンの戸惑う声が聞こえた。

そりゃあ驚くだろう。

だって俺、死んでるんだもんな。


「我々は大いに悩みました。どうして監視中の男の死亡届が出されているのか? ……答えは簡単、あなたがギルドに提出した書類が偽造だったのです。それも、生きた人間の戸籍をそのまま使うという手口で」


そう、そのやり方が一番バレにくいと言っていた気がする。

詳しく調べられない限りは大丈夫だ、だから堂々としておけって。

俺を生きていけるようにしてくれた人がそう言っていた。


「作られた戸籍というのは調べられたらすぐに分かってしまうものですが、あるものをそのまま使うとなると話が変わる。ルチルのような農村では外に出る若者は稀です。貴重な働き手ですからね。村の中で一生を終える方が非常に多い。……なので、偽られた本人が気付くことも、偽られたことに気付くような事態も滅多にないのです」


滅多なことではバレないはずだった。

本人が死んで、死亡届なんて出されない限りは。


「ですがその滅多な事態が起きてしまった。……戸籍偽装は重罪ですが、冒険者という職業は往々にしてならず者が多い。こういうこともままあることです。本来ならば戸籍偽装の罪で聖霊士シスターの聖裁を受けていただくところですが、君には1年弱の信頼があった。……なので戸籍偽装については、まぁ、呑み込もうという話になりました」


呑み込んでもらえたんだ……。

すごいな、俺は一体どれだけ信頼されていたんだろう。


「そして我々が次に行ったのは、君の本当の素性を知ることでした。ですがこれが中々に難航しまして。……君は一体どこの誰なのか。王国の持つ諜報機関の力を持ってしても、解明は困難でした」


そんなに苦労を掛けてしまっていたのか。

非常に申し訳ない。


「そんな謎の人物をジルアお嬢様と一緒に行動させていてよいのか、という声も当然ながら出ました。もうこうなったら直接本人に聞いた方が早いのでは? という段階になり、君とジルアお嬢様を王宮まで連れてこさせるように算段を整えていたのが、つい先週のこと。……ですが、ここで問題が発生しました」


参謀が懐から何かを取り出した。

小さなビンだ。

中に赤い何かが入っている。


「冒険者レイル。これは君の血です。君がモンスターとの闘いで負傷した際に流れた時のものを取らせていただきました」

「俺の……?」


俺の血……?

なんでそんなものを?


「これは国家機密の話になるのですが、血というものからは非常に様々なことが分かるのです。健康状態、体内にある病魔の存在、どのような人種の血を引いているのか等、様々なことが。そして、それを分析する人体魔術師ドクターという専門の職種が存在します。これに、君の血の分析をお願いしました」


いやな、予感がする。

俺の血を分析したら、どうなるのだろう。

俺はまだ  なのか と見なされるのか。


「ですが、いつまで経っても分析結果が出てこない。痺れを切らした我々は問い詰めました。なぜそんなに時間が掛かる? 分析にどれほど時間が掛かるのか、詳細に説明せよ、とね。……そうしたら、思いもよらない返答があったのです」


身体から嫌な汗が吹き出す。

まるで、真綿で首を締められているみたいだ。


「『これは人間の血ではない。いや、既存のどの生物の血にも当てはまらない』……我々は理解に苦しみました。では、君は一体何なのか。……幸か不幸か、その正体は、ある出来事によって、推測することができるようになってしまったのです」


参謀が紙を下げると同時に、何かを引くような音が聞こえてきた。

王の背後、いつの間にか姿を消していた老婆が、台のようなものを押してこちらへと向かってくる。


その、台の上に、載っている、のは──、


***


「……知っての通り、王国リュグネシアと帝国は長い戦争状態にある」


いつの間にかスヴェン義兄さんが話を引き継いでいた。

婆やが何かを引いてきたのは分かったけれど、肝心の何を引いてきたのかはこの場所からは見えない。

いや、見せないようにされている……!


「現在は国境付近の戦線が落ち着いて長期的な冷戦状態となっているが、未だ各地で戦火は絶えていない」


心臓が早鐘を打っている。口がいやに渇いている。


戸籍偽装くらいの話ならこんな大事になるはずもない。

だってさっき参謀ジェフリーのおっさんが言っていたじゃないか、ままあることだって。

私だってジェーンという戸籍をでっちあげて冒険者として登録していた。


──『これは人間の血ではない。いや、既存のどの生物の血にも当てはまらない』


どういう、ことだ……?

あいつが、レイルが、人間じゃないっていうのか……!?


「つい先月、王国内に侵入してきた帝国軍との大規模な交戦が起こった。その戦場において、帝国軍が使ってきたのがだ」


何だ。何をレイルに見せてる。


「ジル……」


ふと気付くと、姉さんに右手の手首を握られていた。


「ダメよ……お願いだからここに居て」

「は……?」


何でだよ。何で私が見ちゃいけないんだ。

大体、さっきまでの茶番は何だったんだよ。

皆こうなることを分かってて、笑ってたのか?

ふざけるな。


「姫様……落ち着いてください……!」


ミセラが一緒になって私を止めようとしてきた。

お前も一緒になって笑ってたろうが。

反吐が出る。


──念のために杖を隠し持っておいて、本当に良かった。


龍気、マナ・──」


「ダメッ! ジル!!」

「姫様!!」


私から、離れろ!


「──満ちよハッカー!」


掬いあげるは魔力の塊、かみの残滓。

地母龍の恩恵が厚い王都ここならば、いくらでも補充できる。


「キャアァッ!」

「ぅっぐ! ス、ストラス様!」


姉さんも、ミセラも、お前ら全員、邪魔だ!

──吹き飛べ!


「邪魔だぁぁぁあああッ! どけぇっ!!」


騎士団員の包囲の壁を一つ、二つと魔力の奔流で吹き飛ばしていく。


「消えろ!!」


三つめの集団を吹き飛ばした時だった。

スヴェン義兄さんがいつの間にか真正面にいた。

意地でも私にを見せたくないらしい。


「姫さん、落ち着け。お願いだから」

「落ち着けるかぁッ! ふざけるなよさっきから!!」


スヴェン義兄さんだろうが容赦はしない……!

邪魔をするなら──、


「暗転」

「──!」


瞬間、視界が黒一色に染まる。

義兄さんの技だ。

幻覚。幻覚を見せられている。

関係ない、そのまま強引に薙ぎ払えばいいだけだ……!


火、発してファイア・フラッシュ、──燃えよグロウ燃えよグロウ燃えよグロウ燃えよグロウ!!」

「ジェーン、待て!」


レイルの声が聞こえた。お前は私が絶対に助ける。


「姫さんやめろ! 広間ごと焼き払う気か!?」


そうだ。

八小節詠唱さいだいしゅつりょくでぶっ飛ばす!


蒼焔、フラム・──」

『消え失せよ』


「灰燼──?!」


組み上げた魔術が、詠唱破棄で無理やり掻き消された……!


「婆やか……!」


婆やも敵だってか……!

スヴェン義兄さんだろうが、婆やだろうが関係ない!

私がレイルを守るんだ!!


『止まれ』

「──……!」


動かない。動かない、動かない、動かない!

父上の真言だ。父上までもが私を止めるのか……!


「スヴェン、もういい。ここまで来たら全てを知らなければ納得すまい」

「……はっ」

「──ジルアも、続きを聞きたいのならば怒りを収めろ。皆、私の命令に従っただけのことだ。恨み辛みの類ならば後で聞きつける」

「!」


視界が元に戻った。

けど、身体は動かない。

私の意思が父上の真言と相対しているからだ。


「ジェーン、大丈夫か!?」

「……レイル」


レイルがいつの間にか側にいた。

私の手に触れて、優しく、労わるように包み込んでくれた。

暖かい、人の熱。

……こいつが人間じゃない訳がない。

全部、何かの間違いだ。


「……おい、二人とも離れてくれ。ここまでした意味が無くなっちまう」

「いや、もういい。この男に争いを行うような意思はない。十分に分かった。──全員武器を収めろ」

「王、ですが──」

「二度言わせるな」

「……はっ」


スヴェン義兄さんがようやく剣を収めて下がった。

私の身体もいつの間にか動くようになっていた。


「……話を戻そう。アプレザル婆、こっちへ」

「はいよ」


婆やが台を引いて王と、私たちの前へと、それを持ってきた。


「なん、だ……これ」


台の上にあったのは──死骸。

何の?

分からない。

何だ、これは。


「帝国軍の生体兵器だ。……現状、これが何なのかは未だに判明していないが、仮の名称として、これを竜械人ドラゴニクスと我々は呼んでいる」


それは、人のように見えた。

人と同じような体躯、手と足が二つ、顔があって髪が生えている。

けれど、決定的な違いがある。

皮膚に生えた鱗、発達して爪、異様な風貌の顔面。

そして、尻尾と翼。

これは、まるで──、


「……ドラゴン?」

「そう、竜だ。竜の爪牙、竜の翼、竜の皮膚、竜の息吹を放つ臓腑。竜をそのまま人間サイズに縮小させたようなもんだ。……恐ろしい戦闘兵器だよ」


スヴェン義兄さんが忌々し気に吐き捨てた。

実際にこいつと戦ったのだろう。


「こいつが出てきた戦場は俺たちが担当していた。始めは俺たちが押していたが、こいつが出てきて戦況がひっくり返った。総勢5体だ。……何とか殲滅したが、少なくない被害が出た」

「……よく勝てたな」

「幸いオツムの出来は良くないらしくてな。同士討ちしたり、連携が取れていなかったりと隙だらけだった。……だが、その力は竜と大差ないくらいにはあった」


戦闘能力も竜並みとなると、非常に脅威的だ。

本当に、よく勝てた方だろう。


「だが問題はそこじゃない。こいつらの強さはどうでもいい。問題はこいつらが何なのかっていうことだ」

「何なのかって……さっき分かってないって」

「あぁ、分かっていない。だが、判明している事実もある。……こいつらは、元は人間だった」

「……は?」


人間? これが?


「倒した遺骸の一部に、人間の名残をそのまま残しているものがあった。……恐らく、人為的な方法で、後天的にこの竜のような姿へと作り変えられている」

「いや、人為的って……!」

「帝国は禁忌を犯したってことだ。人の尊厳を踏みにじり、知性の消え失せた怪物に仕立て上げている」


スヴェン義兄さんが言っていることが、頭からすり抜けていく。

いや、言っていることは分かる。

ただ、なんでこれがレイルと関係あるんだ?


──『これは人間の血ではない。いや、既存のどの生物の血にも当てはまらない』


──……。


「レイル。君の血から、なぜかこの竜械人ドラゴニクスと同じ成分が発見された」

「…………」


レイルの、顔が、見れない。

そんなわけない。

だって、こいつは。


……私は、レイルの何を知っている?

身分は偽りで、本当の名前も、生まれた日も、生まれた場所も、知らなくて。

知っているのは、好きなものとか、嫌いなものとか、得意なこと苦手なこととか、そういう表面的なものだけ。


「冒険者レイル。……いや、名無しの男ジョン・ドゥ。其方が誰で、何なのか。其方の口から我々に聞かせてほしい」


凍り付いたように動かなかった首を上げて、レイルの顔を見た。


──やめてくれよ。

なんで、そんな、重大な秘密があるみたいな顔をしてんだ。

お前は、ただの人間だろ。

ちょっと馬鹿で、鈍くて、不器用で、どこにでも居る普通の奴じゃないか。

お願いだから──、


「俺は」


やめろ。言わなくていい。


「俺は、帝国軍の実験体です」

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