第七章 恋心

好きだと思ったのは、いつからだろう。


里美はフッと口元を緩めた。

当たり前のことを、いつも心に思い浮かべている。


そんなのは決まっている。

初めて模型室で、徹夜明けの彼に紙コップのコーヒーを運んだ時なのだ。


急な仕事があり、早朝出勤したあの日。

模型室で遠藤と熱く建築を語る山下を見た瞬間、里美の胸はキュンとなったのだ。


初めてだった。

人を、男性を好きだと思ったのは。


それまで色々な恋のシチュエーションは経験した。

何人にも恋の告白は受けた。


だが、どれも実は結ばなかった。

お互い牽制しながら男達は去っていった。


それが理由ではないことは、里美自身が一番理解していた。

自分から好きになろうとしなかったからだ。


怖かったのだ。

自分の恋心が否定されることが。


本気の気持ちを、もしも否定されたらと。

いつも足踏みしていた。


できれば強引に男の方から自分を導いて欲しいと願っていたのに。

何故か、男達はお互いを牽制しながら遠巻きに見ているだけだった。


そのうち、それぞれがパートナーをみつけて去っていった。

それは自業自得のことなのだから、仕方のないことだった。


だから、橋本と山下のファンクラブの事件では同じ過ちは犯したくは無かった。

二人に想いを寄せられるのは嬉しかったが、今度こそは自分から選ぶべきと思ったのだ。


答えは明白だった。


模型室で熱く語る男が、心の底から愛おしいと感じたのだ。

徹夜明けの無精ひげの顔が、ボサボサ髪の疲れた表情の中にランランと光る瞳が。


里美には物凄く格好よく、素敵に見えたのだから。


紙コップにコーヒーを注ぐとき、男への想いを込めた。

照れ隠しに遠藤の分も、お盆に乗せて運んだ。


そのまま部屋を出ようとしたら、遠藤に呼び止められた。

建築のことなど、チンプンカンプンの自分に遠藤は聞いてくれた。


これも的外れな意見なのに、山下は感謝の言葉を送ってくれた。

その時から、里美は山下に恋をしていたのだ。


あの事件の日。

自分のファンクラブの規定などと子供じみた誓約書を掲示板に貼られ、死ぬほど恥ずかしかった。


トイレで恵理子さんの胸で思いきり泣いてしまうほどに。


でも、嬉しかった。

山下が、愛おしい彼も自分のことを好きだったことに。


だから、今度のホワイトデーに彼から何かをプレゼントされたら。

好きだと、返事をしようと思っていたのだ。


それが臆病な自分の精一杯のパフォーマンスになる筈だったのに。


山下が名古屋に転勤する。

別に海外に行くわけではない。


それでも里美は怖かった。

もう二度と気軽に話すこともできない。


山下から依頼されるCAD図面を入力しながら、とりとめない会話を弾ませる機会はもう、ないのだ。

里美は自分の恋心を認めれば認めるほど、もどかしい切なさを感じるのであった。



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