第40話 サイは投げられた

 その顔には見おぼえがあった。

 あのループのあの日、おれは彼女と同じ時間をすごしている。

 しかし、相手は今が初対面しょたいめんだと思っているだろう。


「ど、どうも……」


 モアと同じダンス部のおとなしそうな女の子。

 飯間いいま翔華しょうかに「いかないで」を言ってもらおうとしたループで、ダブルデートっぽい感じでいっしょに遊んだことがあった。


「えーっと……はじめまして。おれは別所べっしょっていいます」

「もー、お見合いじゃないんだから」 


 と、江口えぐちさんはドアをしめて、その子とおれのほうに歩いてくる。

 昼休みの美術室。

 ここでまっててねー、と江口さんに言われて「ご対面!」みたいな感じでいきおいよくドアが横に引かれて、そこに彼女が立っていた。


「結論から言うね。サトちゃん、ダンス部の彼とはつきあってないんだって」

「ええっ!!? ま……まじで!?」

「……」


 急に無言になった。

 やや口をトガらせるようにして、不満げな表情だ。

 あけっぱなしの窓からの風で、江口さんの髪と赤いスカーフと紺色のスカートが同時にゆれた。


「どうしたの?」

「…………うれしそうにしちゃって。私にプロポーズしてくれた彼は、いったいどこに行ったのかなー」


 プロポーズ? とぼそっとダンス部の子がつぶやいて首をかしげる。


「私にもちょっとぐらいチャンスあるかもって思ってたけど……あーあ、今のリアクションがとどめか」

「江口さん」

「勝ち目ゼロだった……ね」 


 くすっ、と肩をすくめて笑ってみせた。

 いつでも自然な態度の彼女だけど、この笑顔だけはぎこちない。

 いつかおれの胸をグサッとさしたあの罪悪感の痛みを思い出す。


「あのぉ……ごめんなさい、なんの話でしょうか。私、次の授業体育で……」

「うわ! ごめん!」


 あわてた様子で、おれに説明する。


「彼女は証人なの。ほらほら、別所くんに言ってあげて。先週の土曜日の件」

「うん……。その日は、モアちゃんが街に買い出しにいく予定だったんです」

「買い出しって?」おれは質問した。

「今度の文化祭でつかう、小道具なんです。その店にしかない、みたいなのがあって」

「ただ、その店って街の路地裏みたいなトコにあるんだよね?」


 はい、と江口さんのほうを向いて首をタテにふった。


「あまり治安がよくない場所らしくて。それで、『おれもついていく』ってトオルくんが……」おれのカオをみて、彼女は言い方をかえた。「的場まとばくんが、名乗りでたんです。モアちゃんは、大丈夫だってことわってたんですけど」


 終わったよ、という感じでおれと江口さんの顔を順番にみる。

 ありがとね、と江口さんが彼女を廊下に送り出した。

 ドアをあけたまま、くるりとおれのほうにふりかえる。


「さーさー、別所くん。ここでクイズだよ」

「えっ」

「今の話を、彼女にしつこく質問して、ついにききだすことに成功した人がいます。それはだれでしょう?」

「それは――――」


 浮かぶその姿。

 ほとんど毎日、ときには一時間目の休み時間までおくれることがあっても「おはよう」と声をかけてきて、

 だんだんと距離をちぢめていき、

 最終的にはいっしょにデートまでした、あの女の子。おれのクラスの学級委員長。

 ふちなしのメガネと、頭のうしろの両サイドでヘアピンを〈クロス〉させてつくる、おとなしめのツインテールの髪型。

 イメージが、本物がすぐそこにいるかのように、じつにリアルに……



「――――私のこと、なんです?」



 うわっ!!!!!

 ノドから心臓がでそうだった。

 ヤバいくらい、びっくりした。


 まるでワープでもしたかのような登場。

 江口さんの向こうに、教科書やノートを腕にかかえた姿勢で立っている。


(おいおい。これほんとなのか? なんてタイミングなんだよ……)


 まずいことになった。

 おれはともかく、この二人がケンカとかになったらサイアクだ。

 それだけはめないと。

 江口さんをみる。なぜか、さわやかな表情だった。まかせて、といっているようにも見える。


「スエちゃん。もういいでしょ。別所くんには、心にきめた相手がいるんだよ。ヘンな横はいりは、やめよ?」

「江口さん、意外と探偵みたいなマネされるんですね。はっきり言って、こうなることは予想できませんでした」


 それだけ言うと、スッ、といなくなってしまった。

 し目がちな、さびしそうな顔つきだった。


「なんだろ。肩すかしだなー。もっとガーッって怒ってくるかと思ったのに」

「ニラんでもなかったね」

「それは、キミがいたからだよ」


 あーあ、とため息まじりにちいさな声をだす。


「せっかく真実をあばいたのに、すっきりしないなぁー」

「いや、めっちゃ助かった。ありがとう」

「でしょ? 私、役に立ったよね?」


 と、体を近距離まで近づけてくる。

 おれは照れかくしで「ちょっとドヤ顔しすぎじゃない?」と言った。


「あー! ひっどー!」

「ごめんごめん」


 江口さんは明るく笑った。おれも笑顔をつくってみせた。

 が、末松すえまつさんのことがひっかかって、心からは笑えない。



 ――「まってます。ずっと……」



 親が不在という家にきて、とおれをさそった彼女。

 あのあと、スマホには地図の画像がとどいている。

「たぶん、行けないと思う」と送ったおれのメッセージには、まだ既読がついていない。

 そんなことを考えていたら、江口さんが真顔でじーっとおれを見つめていた。


「別所くん」

「何?」

「あのね……、あんなことしといて言うのもおかしいけど、スエちゃんのことは、ゆるしてあげてほしいの」

「もちろん」

「即答! さっすが私のダーリン!」


 と言ったあと、口元に手を当てて、心配そうに廊下のほうを見た。


「……やば。こんなところサトちゃんに見られたらこまるよね。あはは……」


 そして確認するようにもう一回「ほんとに?」ときいてきた。


「うん。ゆるすもなにも、わるいのはおれのほうだよ。ずっとアイマイな態度だったのが、いけなかったんだ。それに」

「ん?」

「おれは彼女をせめられない。彼女がやってきたことは、おれがやってきたことでもあるんだ」


 昼休み終了の5分前を知らせるチャイムが鳴った。

 そっか、と江口さんはつぶやく。

 つぶやいて、おれとまっすぐ目を合わせた。


「おジャマしたくないから、もう学校の中では話しかけるの、やめるね」

「モアにもちゃんと説明すれば――――」

「それはやめよ? これは私とむかうだけのヒミツにしたいの」


 風が窓から吹きこんできた。

 内に向いた毛先の髪を片手でおさえ、視線をななめ下にさげる。


「まだつきあってもいないのに、私たちって、なんだか元カレ元カノみたいだね」

「そうだね」

「サトちゃんとうまくいくことを願ってる」

「がんばるよ」

「転校先でも元気でね」

あおいも」


 これで最後っていうときに、ぽろっと名前呼びしてしまった。

 でも彼女はそれをトガめるでもなく、逆に、うれしそうにしていたようにおれには見えた。


(――――さて)


 しめっぽい気分になってる場合じゃない。やることはまだある。


 放課後。


 この二人に声をかけた以上、もうあともどりはできない。



「さぁさぁ、どっからでもかかってきなさいよっ!」

「闘争か逃走。好きなほうをえらべばいいんだよぉ」



 おい……いきなりスタートからこれかよ。

 この二人らしいといえばらしいんだけど。

 おれは、モアの友だちの中山と山中をあまり人目ひとめにつかないところへ呼び出していた。


「っていうかさ」中山がびっ、とおれのとなりにいる優助ゆうすけを指さす。「なんで泣きそうになってんの?」

「まるで泣く五秒前」山中も指さす。「もしくは泣いた五秒後」


 うるせー、と優助が小声で言い返す。

 さっき教室で、こいつには転校することを伝えた。そのとき、まわりにいた何人かにもきかれたから、転校のことはみんなに知られると思う。


「いくなよベツぅぅ~~~~~!!!」

「ムリいえ。しょうがないんだよ」


 くっそー、とくやしそうに言いながら、優助はバレー部があるから体育館のほうに走っていった。

 走る姿を目で追いかけてフシギがっている二人に、おれは理由を話した。


「なになに、別所くん転校するの?」

「これは今世紀最大の、幼なじみ不幸者ふこうもの

「そういうわけなんだ。ちょっときいてくれ。あの……できればでいいんだけど、おれにモアとおしゃべりできるチャンスをつくってほしいんだ」


 は? と中山は右に、山中は左に、同時に首をかしげる。


「いや……モアと三人でたのしくしゃべってるところに、おれがわりこんできたらウザいだろ? おれも、どうやって入っていいのかわからないし。だから、昼休みとか放課後、それとなくモアのやつを一人にしてほしいんだけど……」

「なんだよそれ! おっとこらしくないなぁ!」

「悲報。幼なじみ氏、まずソトボリからうめる裏工作にはしる」


 さきに言った中山と、あとに言った山中をじゅんにみて、おれはいう。


「たのむ。もう時間がないんだ」

「……」「……」


 しぶしぶ、という感じではあったが二人は了解してくれた。

 そして、それぞれ一言、念をおすように言って立ち去っていく。


「ようやく重い腰をあげたなっ! しっかりやりなさいよ!」

「夏休み最終日に必死で宿題やる子どもを、手伝えない親の立場で見守るのみ。ぐっどらっく」


 ふー。 

 これでいいだろ。

 たとえ味方になってくれなくても、あいつらが協力してくれるのは助かる。


 次の日。10月25日。土曜日。


(電話してもダメか…………)


 おれは彼女のことが気になっていた。

 末松すえまつさんだ。

 何度ラインしても既読にならないし、電話もでない。


(まさか、だよな)


 たくらみがバレて、クラスでの評判もわるくなるとか、思ってたりしないよな?

 そんなマイナス思考なんて……。

 頭には、ずっとあのときの彼女の姿がチラついている。気落ちしたようなあの姿。


(まさか、だろ)


 たんなる偶然だが、昨日の晩に読んでいた小説で、中学生が自殺するっていう場面があった。

 だからって、それを彼女とつなげることはない―――


(だめだ! 気になる! やっぱり会おう)


 ちゃんと無事ぶじなのをたしかめたい。

 午前10時ごろ。おれは服を着替えて家の外に出た。



「どこに?」



 いく気? と機械の読み上げのような口調とで、おれの耳に飛びこんできた音声。

 家を出てすぐ、うしろからだ。

 ふりかえると、


「ごきげんよう」


 深森ふかもりさんがいた。

 彼女がそこにいることより、まず、見た目のインパクトにおどろいた。

 全身黒づくめで、ドレスのような服装―――は、いいんだが、問題は目元だ。


「これが気になるのね」


 黒いサングラス。

 敬礼のような手つきで、ゆっくりそれにさわる。

 おそらくおしゃれだとは思うが、そんな服の上にそんなのまでかけていたら、さすがに人目を引きすぎるように思う。

 それは深森さんの望むところじゃないだろう。


「じつは、ふだんかけているメガネにも、すこし加工したレンズを入れている。きれいな透明じゃないのよ」


 そうか、とおれはひそかに納得した。

 たしかに、あのメガネは彼女の目が小さく見えるというか、ボヤけて見えるというか、とにかく見えづらいと思っていた。



 だから彼女は目立たない。



 クラスのアイドル的存在の翔華しょうかがきいたらキレるかもしれないが、もし深森さんがコンタクトにしたら、そのトップのはひじょうにあやうくなるはずだ。


 それぐらいメガネが彼女のの魅力をジャマしている。


「うまれつき、ひとみが光に弱い体質なの。でも、こういうのをかけてたら悪目立わるめだちするでしょう? だから、今までかけたくなかったのよ」


 いつも見なれている景色が、ちがって見える。

 深森さんがそこにいるだけで。

 彼女はひとりごとのように話をつづけた。


「でも決心した。私は〈これ〉をかけて生きていく。立ち向かうの、自分に。いずれループの記憶がなくなったとき、この気持ちも消えてなくなりはする。ただ、もし忘れても残る〈想い〉がひとかけらでもあれば、私はきっと黒いレンズのグラスをかけてだって学校に行ける」

「おれにはよくわからないけど、目にいいならそうしたほうがいいよ」


 ふっ、と目をつむって――光の加減で、かすかにすけてみえる――口元をゆるめた。不敵ふてきな笑み、って感じだ。


「あなたらしい、まっすぐな意見ね」

「で、どうしたの? おれに用事?」

「そう。10月最後の週末に、最後の世話を焼きにきたってところよ」腕を組んで、やや横向きになっておれから視線をはずす。「どこかへ行こうとしていたようだけど?」

「そ……それは……」


 このゴにおよんで、かくしごとしてる場合じゃないだろう。

 おれは金曜の朝に末松さんに自宅にさそわれたことと、現在彼女と音信不通なことを説明した。


 ふむふむ、と深森さんはうなずき、

 おれは、

 おそらくこれで聞きおさめになるような直感とともに、



「あほ」



 の二文字ふたもじびた。

 口にした彼女の顔つきは、きびしい。


「行ったらどうなるのか、私には手にとるようにわかる。まず、あなたは家の中に招き入れられる。そしてしばらく話しこむうちに、いつのまにかおたがいの距離が近くなっていることに気づく。ひょっとしたら、男の子をドキドキさせるようなガードのゆるい姿も見せつけてくるかもしれない」

「いや、おれはただ……」

むかうには性欲はないの?」

「えっ!?」

「セックスにだって、興味はあるんでしょ?」


 おっ、おいおい!

 性欲とかセッ……とか。

 カンベンしてくれよ。こんなの近所の人にきかれたら……いくら、もう引っ越すとはいえ。


 おれのく手をさえぎるように、彼女は右手を横にまっすぐ伸ばした。


「私が様子を見に行く。これで問題ない。地図は?」


 画像をひらいて、スマホを手渡す。

 3秒もしないうちに、すぐもどってきた。


「おぼえた。ちょうどいい機会ね、あの子とは一度」キラッ、とサングラスのはしっこが光った。「サシで話をしたいと思っていた」

「ほんとに……なにもないのかな?」

「一億かけたっていい。ケロッとしてるから。あなたを自宅に来させること、それが、これまで彼女がおこなってきたテクニックの総決算。伏線の総回収。最終の総仕上げ」


 でたぞ。ラップっぽい言い方……っていうか、心なしかメロディまでついてたような気が……。とくに最後の「げ」なんかノリノリで音が上がっていたけど。


里居さといさんと、うまくやりなさい」


 そう言い残して、深森さんはスタスタ歩いていく。


(ま……これで大丈夫か。じゃあ)


 おれはスマホでモアと連絡をとった。



「いいよ」



 あっさりOK。

 結局、土曜日も日曜日も、連続でモアとデートすることができた。

 二日とも、あいつはお母さんがのこした赤い花のヘアピンを髪につけてきた。


 そして10月最後の週―――。


 中山と山中はうまく気をきかせてくれて、おれとモアが二人で会話できる時間をつくってくれた。


 転校のほうに話題がいくとしんみりしたものの、だいたいおれたちの話はハズんで盛り上がった。


 あるとき、むかしのことを話そうとするモアをさえぎって、おれはこう切り出した。


「なあ萌愛もあ。そろそろ、思い出ばなしはやめないか?」

「えっ」

「もっと前向きなことがいい。おれは、おまえと未来の話がしたいんだ」

「未来~?」

「萌愛は、将来なりたい職業とかあるのか?」

「ん~~~、いきなりそう言われても……ダンスは好きだけど、プロになるわけないし」

「そうなのか?」

「アンタは? 将来、何になりたいわけ?」

「おれは……文章を書く仕事がいいな」

「よく小説よんでるもんね。なにかくの? ラノベっぽいやつ?」

「なんでもいいんだ」

「はぁ~!?」

「なんでも。べつに小説じゃなくてもいい」

「そうなの?」

「たとえば戦争してる人たちがいても、読んでる間だけは心があたたかくなるような、そんなものが書きたいんだ」

「戦争? なんか急にスケールでかっ……」


 モアは机に頬杖をついて、やさしい表情をおれに向けながら言った。


「でもわるくないじゃん」


 最終日の前日の帰り道。


萌愛もあ。手つないでいいか?」

「やだよ。恥ずかしいじゃん」

「じゃ足でいいから」

「はぁ~~~!!?? またバカいって」


 こつん、とおれのクツのかかとを、つま先でかるくけってくる。

 で、前にまわっておれのカオをななめ下からのぞきこんできた。


「って、ボケたみたいにしてるけど、けっこう本気で私と手をつなぎたかったんじゃないの~?」

「べつに」

「べっしょ」

「おおっ!!!!」

「ちょっ……うるさいなぁ」

「わるいわるい。うれしかったんだよ」


 だんだん、おたがいの家が近くなってきた。 

 近くなるにつれ、おれたちは口数がへっていった。

 だまっているのもな、とおれは口をあけて、 


「あー、えっと、これでおまえと帰るのもさい…………」

「いわないで」


 モアは、おれのほうを見ずに、そう言う。


「いつもどおりでいいじゃん」

「わかったよ」


 そこでまた静かになってしまった。

 が、だまってても、気まずくない。

 会話がなくても、会話してるんだ。


「また………………明日ね」

「ああ」


 元気なく手をひらひらふって、あいつは自分の家のほうにかえっていく。

 一度、そこを通りすぎて、わざわざおれの家までいっしょに歩いてきてくれたんだ。



「コウちゃん!」



 モアはおれのほうをふりかえって、赤い夕焼けをバックにこう言った。



「私ね、コウちゃんが幼なじみで……本当によかったと思ってる」



 夜が明けて朝になった。


 家をでる前、今日までずっとすごしてきた自分の部屋を、いろいろなことを思い出しながらながめた。


 10月31日。


 おれはやっと、ループの先に―――いける。



 いよいよ転校の日。


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