第39話 千里の道も一歩から

 女性の話は「さえぎらない」「話題をかえない」「ダメ出ししない」。それが聞き上手になるコツらしい。おれが読んだ『恋愛心理学』の本にはそう書いてあった。



「それは……たぶん気のせいだったんじゃないかな?」



 だが、逆をいく。

 もう〈恋愛〉をやる必要がないっていうのもあるが――――


(まさかあの末松すえまつさんが)


 という思いから、自然に口をついて出てきたんだ。

 反論はんろんされた江口えぐちさんは、めっちゃ不満顔になった。


「えーっ!? どうして彼女のカタをもつの?」 

「いや、べつにそんな……」

別所べっしょくん。私ね、こういうのすっっっごく敏感なほうなんだから!」


 たん、とコウギするように片足をあげて地面をふみ鳴らした。

 まあまあ、とおれは彼女をなだめつつ、それでも


(あの子はニラんだりしないよな。女子の級長だし、クラスでも真面目まじめなキャラだし)


 って考えていた。

 江口えぐちさんはおれの顔を、ななめ下からのぞきこむ。


別所べっしょくん。ぜんぜん信じてくれないんだね。そう……そっちがその気なら、わかったよ」

「え?」

「証拠。見つけてきてあげる」

「証拠って……そこまでしなくても」

「大丈夫。私、これでもけっこうカオ広いほうだから」


 すでに会話がカミ合ってない。

 どうやらかなり頭にきているようだ。

 セミロングで毛先が内巻きの髪の毛を、いらだったように指でくるくると回している。


「絶対、見つけてくるね!」


 と捨てゼリフみたく言って、彼女は校舎の中に走っていった。

 本日は10月23日。木曜日。


 いまの状況を整理すると―――


 幼なじみのモアとの関係はサイアク。江口あおいの記憶が復活。末松さんの動きも気になる。


 こんな感じだ。

 くわえて、モアのやつはダンス部の男子とつきあっている。

 ここから彼氏彼女の関係になるのは、ほぼ絶望的といっていい。

 だったらせめて、すこしでも仲良しでありたい。

 いっしょに遊んでいたむかしみたいな関係にもどれればな、と思ってる。



「別所くん。あの……」



 昼休み。

 廊下を歩いていたら、横から声をかけられた。


「ちょっといい、です?」

「いいよ」


 そうおれが返事する前に、末松さんはダダッと一気に距離をつめてきた。

 前へならえ、で手の先があたるぐらいの近さ。

 少し鼻のほうへ下がったメガネを、両サイドの耳にかけるぼうのところを右手左手の指でつまんで、くいっと上にあげる。


「週末、あいてますか?」


 前置きなしのストレートな質問。

 さすがだ、と思わずおれは感心。

 いろいろ考えられるヒマもなく、おれは「うん、まあ」とアイマイにこたえた。


(またデートなのかな)


 と予想するも、まさかおれのほうから「またデートなの?」なんて言えない。

 なので、


「どこかに行く予定?」


 ときいたら、

「えっと…………」と、彼女は横に向いてしまった。頭のうしろでヘアピンを交差させてとめている部分が目に入る。

「あのぉ…………」と、彼女は反対に向く。耳の斜め上あたり、逆サイドでもヘアピンはぴったり同じ位置にあった。

「予定は…………」と、正面に向いてまっすぐ目を合わせてきた。 

 

 ぶるっ、と一回末松さんは頭を横にふる。


「ごっ、ごめんなさい。今は……決心がちょっと……でも明日なら」

「?」


 なんだったんだ、という疑問が、放課後までずっと残った。


(さて)


 いくか。

 おととい、昨日と連続でモアとの会話ゼロ。これは良くない。


(今日こそは!)


 ホームルームが終わったばかりの、まだざわざわしてる教室。

 ゆっくり、背後から近づく。

 ショートの髪と、そこから下に伸びる細い首。セーラー服のうしろがわと、一部分、ちょこんと出ている下向きの赤い三角形。あれは出すのがルールらしい。大きく出すとカッコわるいらしい。出さない派もいるらしい。女子のそのへんは、はっきり言ってよくわからない。


 気配を察したように、くるっとふり向いた。


「……」

「……」


 表情を読み取ると、あまりキゲンはわるくないようだ。

 どころか、ちょっと話したそうにしている感じもある。


 ふーっ、とさとられないようにおれは息をはく。


 今日のミッション。

 それは、こいつを笑わせること。

 思ったんだ。ずいぶん長いこと、おれは萌愛の笑顔をみてないって。


 なによりもまず、そこからだって。


「いやー……英語の先生、あいかわらず黒板消すの早いよなー」

「……そうだね」

「なんだったら書く前から消してるもんな」

「はぁ?」


 ぐっ。

 ツッコミ的ないの手じゃなく、いたって純粋な「なにそれ?」。

 まったくヒットしてない。が、ちょっとドアをあけれた手ごたえ。


 ―――続行だ。


「すわっていいか?」

「勝手にすれば」


 モアの前の席のイスをひいて、横向きにすわる。


「あれ? 前髪切ったか?」

「……切ってない」

「おまえが行かなくなったから、さびしがってたぞ。散髪屋のおじさん」

「アン」おっと、という感じでモアは口をとじた。「別所べっしょくんは、まだあそこ行ってるんだ」

「気にしないぞおれは。『アンタ』でもなんでも」


 すっと耳元に顔をよせて、私が気にするのよ、と小声でささやいた。


「おかしいでしょ。教室で『アンタ』だの『おまえ』だの呼び合うっていうのは……」

「そうかな」

「そ・う」必要以上にくちびるをつきだして発音する。「ってか、しょうがないじゃん。もう月イチでお母さんと美容院にいっしょにいくリズムになっちゃったんだから」

「あそこ、店の中にセントバーナードの子犬がいただろ?」


 ああいたね、と気のない返事。


「だいぶおっきくなっててさ」

「うん」

(ここだ)

 前回のループでさんざん安藤あんどうと練習した〈漫才〉。さあ、その成果をみせてやる。


「今じゃハサミもって、お客さんの髪切ってるからな」

「…………」


 ど――どうだ?

 やったか?

 と、待つまでもなく、

 ぱっ、と一瞬で表情をかえて笑った。


「あっ……あはは! もう、なにいってんのよ! バカ!」

「は、はは……。とか言って。冗談」

「はー、おっかし」


 モアは指で目をこすった。

 その仕草にドキッとする。

 泣かれたようにサッカクしたからだ。

 泣かすのだけは、ダメだ。


 おれが転校する最終日も、悲しい思いはしてほしくない。

 やっぱり萌愛もあはたのしそうに笑ってるのが一番いい。


「あーあ……」萌愛は窓の外をみる。組んだ腕を机の上にのせて、おれに横顔を向けて。「あ、あの……さ」

「なんだ?」


 顔の向きをもどして、あごをひいて少し上目づかいになった。


「月曜のことは、ごめんね」

「気にするなよ。おれもわるかったよ」

「ちがう、コウちゃんはわるくないよ。私が―――」


 そこで言葉をとめて、右、左、とモアの目線がうごいた。

 どうしたのか、とおれも追いかけてみると……


(うっ! めちゃくちゃ注目のマトになってるじゃないか!)

「ぶ……部活があるから行かなきゃ」


 と、そそくさとモアは教室を出ていった。

 出ていくのを見送るとき、教室の中で友だちと話している末松さんが視界に入った。

 しかし、とくにおれたちを気にしている様子はない。

 もし、江口えぐちさんのいったようなキャラなら、おれやあいつのことを「がるる」とニラんでいるはずだが、そんなそぶりは一ミリもない。


(やっぱり気のせいだったんだろ)


 で、

 一日はまだ終わりじゃない。

 むしろここからはじまるともいえる。



「ちょいおそ」



 夕方の赤い陽射ひざしで、彼女のメガネのカドがキラリと光った。


里居さといさんとは、ちゃんとしゃべれた?」 

「え? なんでわかるの?」

「それしかないでしょ。あなたが、おくれてくる理由は」


 おれが萌愛と話してたとき、すでに教室に深森ふかもりさんはいなかった。

 このために。おれと二人きりで、だれにも気づかれずに会うために、だ。

 彼女はスマホをもってないから、こうするしか方法がない。ちなみに、ここに来るようにという内容のメモ書きは、靴箱の中に入っていた。


「じゃあミーティングをはじめましょうか」


 彼女の背後で、川の水面すいめんがだいだい色に染まっている。

 ここは河川敷。

 けっこう学校から遠いから、うちの制服を着てる人は一人もいない。


「というより、もう話は終わるけど」

「えっ」


 サッ、と深森さんが紙をさしだしてきた。


「転校しても、これを肌身はだみはなさず持っておくこと。いい?」

「これは……」


 シンプルな文面だった。

 10月1日、またはその前日、別所むかうは死の危険にあう。くれぐれも、注意されたし。


「私は、向が死ぬ未来を絶対に回避したい」

「おれも……無事でいたいよ」

「事前にわかってさえいれば、きっと防ぐことはできる。まずは〈知る〉ことからよ。ループ時の記憶がなくなるというのなら、こうやってメモを残すしかない」


 そうだね、と受け取ったとき、

 ヘンな違和感があった。


「あれ………………?」

「どうしたの?」

「文字が、ぜんぶ消えてる」

「ちょっとかして!」


 うばうようにおれから紙をとる深森さん。

 彼女が、こんなうろたえたようになるのはめずらしい。


「うそでしょ。ペンのあとすらない……」

「ま、まあまあ、おちつこうよ。もう一回書いてみれば」


 まだ言い終わらないうちに、深森さんは行動にうつっていた。

 背中を向けてしゃがみこみ、ジーとバッグのジッパーをあけて、筆記用具をとりだした。

「10月1日の日付だけははずせない」「『死』を言いかえてみれば」「英語で書いてもダメなの!?」――――

 受け取るたびに、深森さんの字はスーッと消えてゆく。

 10回ぐらいトライしたところで、いったん彼女は紙とペンをスクールバッグにしまった。


「手ごわい。これは正攻法じゃムリのようね」

「ムリか……」

「そんな顔しないで。まだあきらめたわけじゃないから」


 そっとおれの肩に手をおく。右手を。


「きっと何か方法はあるはず。もっと試行錯誤しましょう。それができる時間は、じゅうぶんにある」

「そうだね」


 ところでむかう、と深森さんは肩から二の腕のあたりにかけて、さするように手を動かした。



「痛いのはガマンできるほう?」



 かっ、とメガネのレンズがホワイトアウトした。

 これは―――今までにも何度かあった、イヤなことを言われる前ぶれ。


「えっ……」

「でも最終日までにまにあうかどうか……」

「なんの話?」

「そういう映画みたことない?」

「映画?」

「記憶をなくした主人公が、忘れたことを思い出すために」なんでもないことのように深森さんは言った。「タトゥー、いれてたでしょ?」


 タトゥー!!??

 た……入れズミ!!???

 中学生のおれがっ!?


 大丈夫、と深森さんは親指をたてた。


「私がいちから勉強して、あなたに最高のタトゥーをってあげるから」


 あれ冗談……だよな。

 目がマジっぽかったけど。


 次の日。金曜日。


 中学校のずっと手前で、まっていたかのように末松すえまつさんがあらわれた。


「おはようございます!」


 おはよう、とかえしたおれの声は、あきらかに彼女のより元気がなかった。

 すこし疲れがたまってるのかもな……。

 あんま眠れてない気もするし―――そんな体の不調が、一気に吹き飛んだ。



「明日からの週末、私の家にきませんか?」

「い……え?」

「土日に親だけで外出する予定があって、家は、私だけなんです……よね」



 おそらく長い道のりと思われ、

 自分には当分こないと思っていた大人の階段の一段目は、

 赤いじゅうたんつきで、しかもエスカレーターだった。


「まってます。ずっと……」


 去っていく背中。

 心臓がはやくなっていた。

 こんなときに、と思うが、おれは未来のことを考えている。死ぬかもしれないことを。その可能性が高くなってることを。

 だったらせめて〈そういう経験〉を――――。


(バカっ‼ おれっ!)


 首をふる。

 そのまま、モアの家のある方角へ顔を向けた。

 深呼吸。

 うん。


(コドモだよな……まったく……) 


 さあ、今日も一日がはじまる。今日はあいつと、どれだけしゃべれるかな。


 大事だいじにしよう。


 もうおれには、たった一週間しかないんだ。

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