第6話 呉越同舟

 日曜日の昼間にダムの写真集をみながらおれは考えた。

「いかないで」にはダムがいる。

 昨日の映画をみても思ったんだが、こんな言葉はそうそう口から出るものではない。

 よっぽど相手の感情がたかぶってなきゃ、ダメだ。

 つまりおれへの好意がある程度たまっている状態で、がつん、と一撃くらうぐらいのことがないと。


 そのために――


(ギリギリまで転校することは秘密にする)


 というのは有効だろう。


 週が明けて月曜日。


 おれは校門の前を、行ったり来たりしていた。

 待っているのは、もちろん演劇部の小原おはらさんだ。

 一回デートにいって、逆に相手のことを意識しすぎてよそよそしくなる――なんて思春期をやっている場合じゃない。

 押して押して押す!



「そこ邪魔」



 と、背後から声。

 おれに敬礼のポーズ……ではなく、メガネの横に指先をあてている。



「調子はどう? タイムリープくん」



 さわやかな朝日の逆光で、表情はよく見えない。

 ほんのわずか微笑んでいるような気もする。

 同じクラスの深森ふかもりさん。


「まあ、はい」

「だれかを待ってるのね」


 ぜんぶお見通しのような口調で、ぼそっとつぶやく。


「ご苦労さま」

「あ、まって、えーっと……」

「なに?」

「土曜日、映画館で泣いて――――」


 電光石火。

 言い終わらないうちに、両手で腕をつかまれた。


「どっ……、どうしてそれをしっしし知ってるのっ⁉」

「いや、そんなにおどろかなくても。おれ、うしろの席にいたから」

「あれは中学生の男の子が興味をもつような映画じゃないでしょ!」

「それはその……デートだったから」

「デート?」


 手の力がゆるんだ。

 セーラー服の胸の前で腕を組んで、くぃっとあごを上げて、なにを言うのかと思ったら、


「おさかんでけっこう。とにかく、絶対に私が『泣いてた』とか言いふらさないように。いい?」

「そんなことしないけど……」

「あなた、意外とあなどれない存在ね。まさか里居さといさんとそこまですすんでいたなんて」

「モアと? いや、べつの子だよ」


 数秒、無言でおれをみて、

 はっ、とあきれたように息をはいて首をふった。


「それがあなたの生き方なら、私はなにも言わない」


 どいて、と手でおれをどけてさっさと行ってしまう。

 登校するたくさんの生徒の流れの中にまじって、三つ編みの後ろ姿が消える。 


 ――ん?


 いまのどういう意味……これって盛大に誤解されてないか?

 あたかも女の子とイチャイチャするためにおれがタイムリープしている――みたいに。


 ま、いいか。

 深森さんに嫌われたならそれもかまわない。

 実験で証明されてるらしいからな。


①最初はわるい評価、途中からいい評価

②ずっといい評価

③ずっとわるい評価

④最初いい評価、途中からわるい評価


 この場合、①がもっとも相手に好意をもつって話だ。

 どうせ正面からアプローチしても、おれなんかじゃ彼女と仲良くなれる可能性はうすいだろう。

 嫌われに嫌われて……ぐらいの展開のほうがまだチャンスがある。なんならおれの〈てき〉になるぐらいでも。


(あっ)


 いつのまにか小原さんが、友だち数人とおれの近くまできていた。

 通りすがりに目が合って、ウィンク。

 ドキッとした。

 まわりに気づかれないように、こっそりひみつの信号を送ってくれた感じが、すごくいい。


 ◆


 放課後。

 いきなりダムが決壊した。



「転校するって、ほんと⁉」



 小原さんが駆け寄ってきて第一声がそれ。

 うろたえつつも「まあね」とこたえたおれ。


「せっかく別所君とは仲良くなれると思ったのに。残念だなー」

「いや、まあ、でも、まだ時間は……あるから」

「もちろん。それで、どこに行っちゃうの?」


 おれは転校先の場所を伝えた。

「えーっ!」とひときわ大きくなる彼女のリアクション。

 なんか急いでいる感じがしたので、そう長くは話しこめなかった。

 バイバイ、と手をふって、小原さんは教室を出ていった。


 おれは心の中で、ストーンと両ひざを地面に落とす。


 彼女の姿と――「いかないで」が、いっしょに遠ざかったからだ。



 犯人の目星はすぐついた。



「……なによ」



 来週の火・水に中間テストがあるから、今日から部活はないし、みんなさっさと下校している。

 こいつもそうだ。あと数秒おそかったら、つかまえられなかっただろう。


「どうしてバラしたんだ?」

「知らないじゃん」

「おれからナイショにしてくれとは言わなかったけど……だいたい空気でわかるだろ。それなりに長いつきあいなんだから」

「はいはい。あやまればいいの?」

「……モア。おれはそんなことを言って――」


 ビンビンに周囲からの視線を感じる。

 言葉にすれば「おーおーチワゲンカやってんな~」という、そんな見守り。

 いい見世物みせものだ。


「もういいよ」


 そんな捨てゼリフでおれは教室を出た。

 さすがに今日は、放課後に校舎をブラつこうという気にならない。

 もはやそれどころじゃなかった。

 こうなった以上、すみやかにプランBがいる。


(まいったな)


 帰り道。

 ときどきうしろをふりかえるが、誰もいない。


(ほかの女の子に好きになってもらうより、確実におれを好きになってくれる子が一人だけいる)


 萌愛もあだ。

 一週間ほどロスしてしまったが、今からでもアタックして、前回と好感度を同じくらいにまでもっていけないか?



「こ、このヘアピン……どうかな? ヘンじゃない……?」



 咲いた赤い花の飾りがついたヘアピンを、あいつは最後のデートのときにつけてきた。

 あのとき「かわいい」とホメたおれの心は、たしかにウソじゃなかったはずだ。


(今度は前もって、あいつをトイレにいかせるとかしてれば……あるいは) 


 ぶーんぶーんとスマホがふるえた。


「やっぱりか」


 と、ついひとり言を口にしてしまった。

 みじかい「まってよ」というメッセージ。

 ふりかえった。

 そこには丸っこい髪型の、セーラー服の女の子が立っている。 

 30メートルぐらい向こうに。


(…………?)


 様子がおかしい。

 その場から、動こうとしないんだ。

 びゅう、とつよい風がふいてクラゲみたいにあばれるあいつの髪。 


 スマホに電話がかかってきた。



「私、決心したことがあるんだ」

「この距離で電話しなくていいだろ」

「きいて」

「なんだよ」

「本日10月6日むいかをもって、私―――」


 なんだ?

 急にドキドキしてきた。

 いつもの幼なじみが、いつもじゃないまなざしでおれを見ている。



「コウちゃんのてきになるっ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る